第32話 心の距離Ⅷ

 目が覚めると、薄暗い部屋の中にいた。


 いや、振動を感じる。エンジンの音が聞こえる。


 これは車の中、だろうか。


 左頬に冷たい床の感触がある。寝転がった体勢だ。


 手は身体の後ろで縛られ、動かすことができない。


 立ち上がろうとしたが、足の自由もなくて、バランスを崩して倒れてしまった。手と同じように縛られている。







 倒れた先には暖かい感触があった。


 わずかな隙間から差している光が顔を照らす。


 そこには浅田さんがいた。


 僕と同じように手足を縛られている。


 「浅田さん、起きて。聞こえますか?」


 誰かに聞こえないように、耳元で声をかけてみた。


 すると、目蓋がうっすらと開き、んん、と寝起きの声が聞こえた。


 「深井......くん?どうし......て......」


 「協会に連れ去られた浅田さんを追っかけてきたら、僕も捕まっちゃったみたいで」


 すると、浅田さんはすまなそうな顔をした。


 「私のせいで......ごめん......」


 「僕こそ、浅田さんを助け出せなくて。ごめんなさい」


 「そんな......!深井くんが謝ることはないよ。助けに来てくれてありがとう」


 絶望しかないこの状況でも、浅田さんは無理に笑ってみせてくれた。


 どこまでも精錬な心を持っているんだろうか。


 その儚げな笑顔に、僕はしばらく目を奪われてしまった。







 「私たちはどこに運ばれているんだろうね」


 「分かりません。でも、首謀者は協会自体ではなく、神崎美代だということは分かってます」


 「かん、ざき?」


 「そうです。浅田さんを戦争に利用するために協会を騙して保護させ、本来協会員でも不可侵の保護対象を我が物にしようとしているんです」


 「戦争......」


 その二文字を聞いて、一層深刻そうな表情になった。


 僕達が普段生活している中では意識もしないもの。遠い世界で起きているとしか認識していない事象。


 それが急に身近な存在にあるということに対する恐怖。


 未知の恐怖。


 「私は協会の人が来たとき、周りに悪い影響を及ぼさない為に匿う、って言われたの。人の心が見えちゃうのはおかしいことだし、一般社会の中に居てはいけない存在なんだって。私は周りの人に迷惑をかけないために付いて行ったの」


 「そんな。浅田さん自ら赴いたんですか?」


 「うん。無理矢理連れて行かれたわけじゃなかったの」


 やはり協会自体は悪意のある組織では無いのだろう。


 ただひたすらにパイプ持ちを守り、一般社会の安寧を守り、両者を隔離する存在。それがBM協会なんだ。


 「施設についてからも、協会員の人はみんな優しく接してくれた。ご飯もちゃんと出たし、ベットだってあった。無機質で薄気味悪いところだったけどね」


 「あの部屋から自由に出入りはできたんですか?」


 「それは許してもらえなかった。脱走とかを警戒してたんじゃないかな」


 流石にそうか。


 「だから意識を失う前は普通に寝てた筈なの。それなのに、こんなことになるなんて......」


 鼻水をすする音が部屋にこだました。泣いているのだろう。


 僕も浅田さんも、どうすることもできない状況に絶望していた。


 できることは、これから自分たちがどんな目に遭うのか想像し、震えることだけだった─────────



 




 すると、僕達を大きな揺れが襲った。


 「きゃああああああああ!」


 浅田さんが悲鳴をあげるほどの大きな揺れ。


 部屋はガタガタと上下左右に揺れ、20秒ほどでおさまった。それと同時に、加速度を感じなくなった。


 どうやらこの乗り物は止まったようだ。


 「な、何が起こったんだ......」


 静かになったのも束の間、ドアを開ける音と、次いで銃声、怒声が聞こえた。


 協会でも聞いた銃声。慣れない非現実が立て続けに起こり、正常な心理を奪っていく。


 「敵襲か!?」


 「あそこだ、撃て!」


 外から神崎の声がした。相当焦っているのが感じられた。


 この車両にも銃弾が当たる音がする。


 僕と浅田さんは部屋の中央で身を寄せ合った。


 「ひっ」


 「とりあえず身を小さく屈めて、じっとしていましょう!」


 手足を縛られた僕達には、当たる的を少なくする程度のことしかできない。


 神さまの存在を一切信じない僕でも、この時ばかりはそれに助けを求めた。


 それほど、心に余裕はなかった。







 しばらくして、突然部屋の壁から月明かりが差した。


 「深井柊!いるか?」


 長坂の声だった。


 「長坂さん!?」


 「やはりここにいたか」


 黒い外套を纏い、髪も黒。手には黒い手袋。首には、唯一黒色でない、十字架と見られるネックレスが鈍く光っている。


 夜に映え、暗闇に溶け込む長坂の服装は、なぜか、普段より神聖に見えた。


 「助けに、来てくれたんですか?」


 「おしゃべりは後だ、とりあえず脱出するぞ」


 そう言うと、長坂は僕と浅田さんの手足を縛っていたロープをナイフで切り落とした。


 動けるようになった僕達は、長坂と共に車両の外に出る。


 すると、前方には銃を構えた神崎の部下が4人と、その後ろに神崎が待ち構えていた。


 協会員と見られる人が、足元に倒れている。


 腹には銃痕が数点あり、血はひたひたと流れ出ていた。


 周囲を見渡してみると、そこら中に同じような死体が転がっていた。


 壮絶。まるで戦場。


 敵はこちらに対し圧倒的な殺意を向けている。






 ─────────しっかりしなきゃ


 何の為に東京に来たんだ。


 何の為に協会に乗り込んだんだ。


 僕は何をしにここに立っているんだ。


 ─────────浅田さんを、支えるんだ







 僕は浅田さんの前に出て、神崎を睨みつけた。


 「浅田さん、後ろにいてください。浅田さんの眼であいつらを見たら、悪い心に取り込まれちゃいます」


 「うん、ありがと......」


 浅田さんは息も絶え絶えに答え、僕の背中に額をつけた。


 守らなきゃ。


 でも、この状態をどう切り抜けようか─────────







 「よくも邪魔してくれたな長坂。何で私の意図が分かった」


 神崎は腕を組みながら堂々と立っている。


 案外余裕なのか。虚勢を張っているだけなのか。


 「私の力を知らない訳ではなかろう」


 そう、長坂はMissionaryだ。その力は人類の記録を聞き取ること。


 未来の記録でさえ捉えることができる。


 「ああ、よく知っているさ。ただ手出しはしてこないと思ったんだがな。何せこの件はお前の管轄外じゃないか」


 そういえばそうだ。協会に来る前に言っていたことを思い出した。





 ─────────さあ、私の管轄外なので、そこまでは分からん





 管轄外ということは長坂の担当する案件ではない、ということだろう。


 どうして助けに来てくれたのか。


 以前に助けた情で助けに来たとも思えない。長坂はそういう人物ではない、何となくそう思う。


 でも、わざわざ僕に浅田さんの居場所を伝えに来たのは、もしや─────────







 「いや、今は私の管轄になっている。というか、私に命令が下った」


 「は?何でお前に命令が?そもそも内容は何だ?」


 神崎は、理解できない、という反応を示した。困惑している。


 「当たり前だろう、《神崎美代を処刑せよ》、だ」


 「なん......だと......!?」


 「これだけのことをしておいたら、流石に元老院が動くに決まっているだろう。保護者の私物化など許されるわけがない」


 「それは分かる。協会の襲撃者を始末する命が飛ぶのはまだ分かる。それが何で、私の個人を対象にした命令になっているんだよ!?」


 「お前が協会に発行した偽物の保護命令がお上にバレたんだよ。元老院を通さずに組織に命令を飛ばすのはタブーだ。重大な謀反ということで俺に処分の依頼が来たのだ」


 「く─────────」


 苦虫を噛み潰したような表情をする神崎。


 しかし優勢は神崎側にある。あちらは4人の神崎の部下が自動小銃を持っている。


 比べて長坂はナイフのみ。もしかしたら懐に武器を隠しているかもしれないが、数的不利には変わりない。


 長坂側の協会員が残っていないかと改めて辺りを見渡してみたが、生き残っている者は見つけられなかった。


 「ま、まあ、お前を殺してしまえば済むことだ。みすみす殺されるような私ではない」


 そう言うと、神崎は右足を大きく振り上げ、そのまま地面を踏み鳴らした。


 まるで震脚のような動作だ。


 ドン、という鈍い音があたりに響き渡る。


 「お前ら、殺せ」


 その一言で、部下達の銃が火を噴いた。

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