第26話 心の距離Ⅱ
田舎の街を月明かりが照らす。
外灯は少ない。基本車社会の地方では、歩行者のための明かりはあまり意味を為さない。
窓を開けながらアクセルを踏み込むと、生温い風が顔に当たった。
まあ、店に入れば涼しいだろう。室内仕事の良いところだ。
今日は夜勤。忙しくないことを祈ろう。
「おはようございまーす」
「おはよ」
店に入ると、夕勤の想太さんが挨拶を返してくれた。
「今日はどうですか、忙しかったですか?」
「キャンプの客が多い、わりと」
「あー、夏休みだから他県から来たりしてるらしいですね」
「らしいな」
このコンビニはこの街を象徴する山の麓に存在している。
山にはキャンプ場があり、近年設備がきれいになったりして、観光客やアウトドアを楽しむ人達に人気だ。
夜になると隣のスーパーが閉まってしまうから、買い出しをするとなるとうちの店ぐらいしかない。
田舎なりに立地がよく、繁盛している店なのだ。
それにしても相変わらず想太さんは口数が少ない。想太さんらしいや。
事務所に入ると、先に出勤していた浅田さんが既に準備を済ませていた。
「おはようございますー」
「あ、深井くん、おはよう」
大きく伸びをしながら欠伸する浅田さん。気の抜けた「ふわあ〜」という声がかわいい。
「あんまり寝てないんですか?」
「うーん、ちょっとね。深井くんは?」
「冷房ガンガンつけて寝たのでぐっすりですよ」
「うわー、それ風邪引きそう」
夜勤前、僕は夕方から5時間くらい寝るようにしている。
ただ夏ともなると、太陽が出ている内に寝るのは至難の技だ。
冷房をかけないと、暑苦しくて寝れたもんじゃあない。
冷房で喉を乾燥させ、声をガラガラに枯らした状態で夜勤に入るのはよくあることだった。
「僕も着替えちゃいますね」
「そうだね。今日も頑張ろっか」
それから日付が変わるまではかなり忙しかった。
うちの系列のコンビニは、店で作るパフェやかき氷をウリにしている。
キャンプ場からくる観光客はもちろん、地元の住民も熱帯夜の寝苦しさに耐えられず、冷たいスイーツを求めて大盛況。
お客を捌きつつ、その合間に届いた荷物を陳列していると、あっという間に時間が過ぎていく。
浅田さんの様子を気にはしていたが、明石さんが言っていた「調子が悪そう」な様子は見えなかった。
見えなかったというより我慢して隠していたのかもしれないが。
一通り作業が片付いて、客入りも落ち着いた午前2時。
洗い物をするために厨房に入った僕は、目元を押さえて床に蹲っている浅田さんを見つけた。
「浅田さん!大丈夫ですか!?」
慌てて駆けつけて声をかけたが、動きはなかった。
女性に触れるのはちょっと戸惑ったが、それどころじゃない。
浅田さんの肩を揺らして、無事を確かめた。
「─────────ふか...い......くん」
「何があったんですか!?浅田さん!」
顔色は悪く、目は虚だ。身体にもあまり力は入っていない。
厨房の床はあまり綺麗じゃないし、お客さんに見られても大変なので、とりあえず事務所に行こう。
「浅田さん、肩貸します、立てます?」
「あり...がと......」
立ち上がると、浅田さんは僕に身体を委ねてくれる。
僕は慎重に浅田さんを事務所まで連れて行き、奥の椅子に座らせた。
それでもまだ辛いようで、上半身を机の上に伏せ、ぐったりしている。
この様子だとバイト切り上げて帰った方が良いんじゃないか?
「親御さんとか呼びます?」
「いや......最近こんな感じだから大丈夫...そのうち治る......」
「最近って、やっぱりしょっちゅうこうなってるんですね」
「やっ......ぱり?」
「明石さんから聞いてたんです。体調悪そうだって」
「日奈多ちゃんにはバレバレだったか......」
僕はしばらく事務所の店内モニターから客が来ないか監視しながら、浅田さんの様子を隣で見守った。
「ん、しょっと」
15分くらい経ったころ、浅田さんは自分の力で身体を起こし、椅子の背もたれにもたれかかった。
「もう、大丈夫なんですか?」
「たぶん大丈夫。ごめんね、仕事中断させちゃって」
「いや、浅田さんの方が心配で仕事してる場合じゃないですよ」
すると、浅田さんが目を丸くしてこちらを見つめてくる。
「えー、深井くんでもそういうこと言うんだ。おねーさんキュンと来ちゃった」
「彼氏いるのにやめてください」
てか、僕でもってどういうことだ。......まあ良いか。
どうやら冗談を言えるレベルまでは回復したようだ。
浅田さんが落ち着いたところで、本題を切り出してみることにした。
「で、最近調子が悪いってのは、目のせいなんですか?」
浅田さんとしては、きっとバイト中僕に気を使わせない為に我慢していたのだろう。
やっぱり、あまり言いたくなさそうだ。聞くのはやめておこう。
「あー、やっぱいいです」
しかし浅田さんはかぶりを振った。
「─────────ううん。深井くんだから隠し事せずに言うよ」
僕だから、と言うのはどういうことだろう?
「私の目のことについては、深井くんが既に知っている通り。ただ、最近は前より人の気持ちが鮮明に、よりダイレクトに伝わってくるようになったの」
そう。浅田さんの右目には変わった特徴がある。
それは、見た人の感情が分かること。そして、その能力に付随して視力が悪くなること。
以前は眼科に通院し原因を探っていたが、医者も匙を投げたらしい。
それ以降浅田さんはこの能力を抱え、隠しながら生活している。
この能力について話したのは僕と両親だけだそうだ。だが、両親からは冗談に捉えられ、あまり信じられていないらしい。
「ダイレクトっていうのは、具体的にどんな感じなんですか?」
「前は白いもやが視界に現れるだけだったけど、今は文字が映るようになっちゃって」
「文字?」
「そう。それは多分、私が感じ取っている人の感情だと思う。今私が深井くんを見ている時は、心配って出てくる」
以前能力についてカミングアウトされてから、浅田さんと話す時は気持ちを読み取られた上で会話しなければいけないことを常に覚悟していたが、心配していることはやっぱりバレバレのようだ。
小っ恥ずかしい。
「心から私のことを思ってくれているの、今日のバイトが始まってからずっと知ってたよ。ありがと」
「べ、別に僕はそんなにそんな、そんなこと......」
照れて、意味不明な日本語でツンデレ発言をしてしまう僕。浅田さんはクスッと笑ってくれた。
「で、こんな感じで鮮明に文字になって感情が視えるのと同時に、伝わりかたも変わってきた。今はまるで、脳味噌に直接相手の感情を注ぎ込んでいるような、そんな感覚で伝わってきてる」
「脳に直接、ですか......」
ふと、長坂が言っていた言葉を思い出す。
─────────ただでさえ人類種の記憶などという膨大な容量の情報を、一度に脳に叩き込めば、途端に脳味噌は焼き切れるだろう。
待てよ。浅田さんの能力が、長坂や僕、藤原明臣と同じ類のものだとしたら......
「しかも、前はコンタクトを付けていれば、ある程度は読み取る感情の量を抑えられていたんだけど、最近はもうコンタクトしてもメガネをしても、目蓋を瞑っても視界に文字が映るようになってきた」
「目蓋を瞑っている時も、ってことは、寝ている時もですか......?」
「ううん、寝てる時は私の意識が飛んでるから大丈夫。でも、ちゃんと眠りにつくまではお母さんの感情が見えたりもするから、困っちゃうかな。それが映り込む度に頭が感情を読み込んじゃって、マトモに眠れないの」
それは重症だ。明らかに脳に負担がかかっている症状ではないのか?
早い事治した方がいいだろう。
─────────でも、どうやって治すんだ?
「だから症状がひどくなってからは、なるべく人との距離を遠ざけて生活してた。仕事はしなきゃだからシフトには入ってたけど、それ以外は家に引き篭ったり、大学でもなるべく1人でいるようにしてたんだ」
そんな綱渡りな生活は長くは続かないだろう。いつか崩壊する。
人は生きていれば必ず誰かと接触する。他人と関わらないと、人間は生きていけないのだから。
それにしても、どうすれば手がかりが見つかる?誰に聞けば解決する?
両親は信じてくれない。医者は匙を投げるだろう、何せ奇想天外な能力だ。今の医療ではどうにもなるまい。
もし浅田さんの能力がBranchやMissionaryであれば、自分の思い当たる中では、長坂しか手がかりを持っていない。
しかし、長坂の連絡先は分からない。あの一件から店に顔を出すこともない。
どうすれば─────────
「そこまではまだ大丈夫だったんだけど、想太さんに対しては誤魔化しきれなかった。シフトの入れ替わりで会った時に、どうしてしばらくプライベートで会ってくれないんだ?って言われちゃった。当然よね」
彼氏としては、会うのを拒まれるのは不審でしかないだろう。浮気等を疑われても仕方ない。
浅田さんとしては相談したい所だろうが、このような能力のことは易々と言えないだろう。
─────────果たしてそうだろうか?
想太さんは、浅田さんにとって彼氏のはずだ。一番身近な存在で、一番心を許すような存在のはずだ。
それがなんで、僕には相談できて、想太さんには相談できないのだろう。
「事務所で久々に2人きりで話した。その時、想太さんの感情が物凄い量伝わってきて、目と頭の中がものすごく熱くて、痛かったの。その時は想太さんに早く帰って欲しくて、話を拗らせて長引かないようにひたすら我慢したけど、想太さんが事務所から出た後に私は倒れちゃって」
「......それを明石さんに見つかった訳ですね」
浅田さんは静かにこくり、と頷いた。
確かに、想太さんの、浅田さんへの感情は強烈なものだった。
以前想太さんと浅田さんの話をした時、尋常ではない雰囲気、煮えたぎる激情を感じたのを今でも覚えている。
もし僕が感じ取ったものが本物であるとすれば、浅田さんには地獄のような負担になるだろう。
それこそ、脳味噌が焼き切れてもおかしくないはずだ。
「そういえば、僕と話しているのは大丈夫なんですか?」
「刺激的な感情じゃなければ、伝わってきてもそんなに辛くないの。敵対心とか、嫉妬心とか、そういうのがダメみたい。でもなんでか深井くんの感情は、どんなでも大丈夫なんだよね。なんでだろ」
そう言って浅田さんは僕の目を見て微笑んでくれた。
心配させまいと、不快な思いはさせまいという、僕に向けての精一杯の気遣いなのだろうか。
「僕に対しては無理しなくてもいい、ですよ。辛かったら見えない所に行きますし、言って下さい」
「......ぃゃ」
─────────え?今なんと?
「いやだ、って言ったの」
途端に、ぶすーっと膨れてしまった。拗ねているのだろうか。
─────────いや、僕が馬鹿だった。なんて鈍感。
辛い状況にも関わらず、理解されないような常識外れな事象は、両親にも、身の回りにも相談できない。
唯一身近であろう彼氏、想太さんと会ってしまうと、症状が悪化してしまう。
誰も寄せ付けない、孤独な生活。寂しいに決まっている。
誰かが支えてあげないと、浅田さんの心は崩壊してしまう。
─────────じゃあ誰が支えるんだ。
浅田さんの肩に手を置き、視線を覗き込みながら、僕は勇気を振り絞って言った。
「浅田さんのことを知っているのは僕だけです。もし僕の感情が負担にならないのであれば、僕を頼って下さい!浅田さん!」
如何せんクサい台詞だっただろうか。ドン引きされてないだろうか。
内心ビクビクしていた僕の胸元に、浅田さんが飛び込んできた。
とすっ
「うん、ありがと。お言葉に甘えて、頼っちゃうね」
ぐすっ、ぐすっと、鼻水をすする音が聞こえる。泣いているのだろうか。
視界に広がる、クリアグレージュの綺麗な髪。
ちょっと汗臭さもあるけど、女性特有のいい香り。
柔らかい感触。背中に回された両腕。
僕はそれに、覚悟を以ってして抱きしめ返した─────────
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