6章 心の距離
第25話 心の距離Ⅰ
あれから1ヶ月が経った。
今は高校も大学も夏休みの真っ只中。
初夏でもただでさえ暑かったのに、夏本番になって太陽はいっそう本気を出している。
アスファルトは熱を吸収し、遠くを眺めると陽炎で景色がぐにゃりと歪んでいる。
足に怪我をした暁人さんは数日休んでいたが、「キリがない」と言って店に復帰した。
ただ、やっぱり本調子では無いようで、足を引き摺りながら仕事をしている。
陽香さんの身体には怪我が無かったが、心の方に傷を負ってしまったようで、以前のような元気さはあまり無い。
随分おしとやかになってしまった陽香さんを見てバイトの皆は驚いていたが、深くは聞かないように僕から釘を刺しておいた。
そんな夫妻に対して、僕は付きっきりでサポートをした。ことの顛末を知っているのは僕しかいない為、メンタルのケアも僕にしかできまい。
僕は付きっきりで陽香さんと話すことが多くなった。ある程度日が経つと、病んでいる感じはだんだん薄れてきた。
何せ元々おしゃべり大好きおばさんだ。どんなきっかけであれ、話す回数を増やして引き出してあげれば、それなりに元に戻るだろう。
暁人さんの仕事の手伝いもした。どうしてそこまでしてくれるんだ、と聞かれたが、夏休みやる事なくて暇だからですよ、と惚けながら答えておいた。
当の自分はどうかというと、あれから何も分かっていない。
突然長坂という男に突きつけられた事実。自分が常人では無いという真実。
そんな突拍子もないものに向き合える訳も無いから、何も考えずに日常を過ごしてきた。
知りたく無いと言えば嘘になるが、積極的に関わっても良いこと無さそう。そんな考えで、逃げ続けている。
あれからコンビニに長坂が来ることもないし、藤原時臣は協会に保護され戻って来れないだろう。
そんな感じで、僕達のコンビニにはだんだん元の日常が戻ってきた。
「なんか明石さんと畑中くんって、いっつも一緒にシフト入ってるよね」
「なんかそれ誤解を招くような言い方なんですけど!?」
ふと思ったことを口にすると、食い気味に反論された。
「そうっす、たまたまっすよ」
おっと、こっちもちゃんと会話に乗ってくれたな。
「いや、平日だったらまだ分かるよ。二人は高校生だし、働ける時間も同じようなタイミングだろうしねー」
高校生コンビの二人は怪訝そうな眼差しで僕を見つめている。
お調子者で自由奔放、いつでも明るいイケイケJKが明石日奈多さんで、一見チャラ男そうだがやるときはやる爽やかボーイが畑中陸くんだ。
「だけど、今は夏休みで高校は休み。高校生だから夜勤はできないけど、日中ならいつだってシフトを組める。そんな状態で二人はシフト合うことが多いんだから、流石に勘ぐっちゃうよ」
「変なところに頭使わないでください柊さん、そんなに頭良く無いんだから余計なことに脳味噌使っちゃダメですよー」
何気にひどくないそれ!?
まあ、バイトを初めて数ヶ月、こんな感じで高校生組とも打ち解けて話せるようになったのは嬉しいことだ。
年下に罵倒されて喜んでいる自分。よくよく考えたらMっ気があるのかもしれない。
「頭悪いのは否定できないや、あんなピンキリ大学通ってるんだし」
「日奈多お前、あの成績でよく人のこと言えるよな」
「は?なんで陸アタシの成績知ってんの?」
「こないだお前にカバン託された時、中身漁ってたら成績表見つけたんだよ」
「ちょ、変態!女子のカバン勝手に覗くとかありえない!」
「腹減ってたからお菓子でも入ってないかなーと」
「それはそれでどうなの...」
今日もわちゃわちゃ、もといイチャイチャしている高校生コンビ。
桜井夫妻のことでいろいろ不安定になっている中、職場の活気が保たれていたのはこの二人のおかげだ。
今日も平和に時間が過ぎていく。
あの一件があって、自分や身近な命の危険を感じてから、この平和な時間は尊いものなんだな、と再確認した。
安全に暮らせていることほど幸せなことはないのだ。
しかし、仕事も楽しいと時間が過ぎるのが本当に早い。
日はとっくに傾いていて、店の大きい窓ガラスから差し込む光はオレンジ色だ。
僕より先に出勤していた畑中くんは既に退勤していて、明石さんも帰る準備をしている。
すると、唐突に明石さんから声をかけられた。
「そういや知里さん、なんか調子悪そうでしたよ」
「......なんで僕に言うの?」
脈絡もなく言われて困惑してしまった。
「明日の夜勤、知里さんとですよね?知里さんのことだから明日も我慢して出勤してくるとは思いますけど......アタシ昨日、休憩中の知里さんが目を押さえながら蹲っているところを見ちゃって」
─────────目を押さえながら?
能力のことで何かあったのだろうか?
「アタシが声をかけたら、目にゴミが入っちゃってとか言ってましたけど、それぐらいであんな床に蹲ったりしないと思うんですよね。あれ絶対何かある」
「なるほど、ね。他は何か聞いた?」
「いんや、聞かないで欲しそうな雰囲気だったから聞かないでおきました。でも、夜勤中は気を使ってあげてくださいね。年上でも女の子なんですから」
明石さんは、調子の悪そうな浅田さんに気付き、その上で次のシフトに一緒に入るのは誰か調べ、僕に根回ししたのか。
普段はイケイケサイコー!みたいなテンションでいる明石さんが、本当はこういう心遣いを持っているんだ。すごいな。
「もちろん浅田さんは全力で支えるよ。それにしても、明石さんは優しいね」
「へっ!?アタシはそんなあ、大したことないっすよ.....」
照れたのか、じゃよろしくお願いしますね!と言って、そそくさと店を出て行ってしまった。
少し気がかりながらも、明日聞いてみないことには分からない。
僕は今日やらなきゃいけない仕事に集中することにした。
本当に大切なこと全てから逃げながら─────────
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