第24話 憎悪と願いⅩ

 意識が浮上する。


 目を開けると、僕は暁人さんの首に、割れた壺のカケラを突き立てていた。


 年老いた─────────?


 そうだ。さっきまで僕は暁人さんの記憶を視ていた。


 暁人さんの、若い頃の記憶。


 叶さんと過ごした日々。後輩の青年との衝突。そして、愛する妻の死。


 全て、憶えている。


 この桜井家に突如侵入してきた不審な男は、記憶の中で出てきた明臣に違いない。


 叶さんをDVで苦しめ、暁人さんが叶さんを保護するきっかけを作った男。


 そして、暁人さんに、彼女を奪われた男。


 なぜ、こんなものを見せられたのだろう。なぜ、こんなものを見る事ができたのだろう。分からないことばかりだ。







 記憶を整理している内に、身体の力が抜けていることを感じた。


 今まで暁人さんの首を掻き切らんと力を込めていた右手は獲物を掴む力さえ失い、次第にコントロールが戻ってくる。


 陽香さんを助けなければ。


 今度こそ、油断しているであろう明臣の隙を付いて陽香さんを開放する。






 僕は瞬時に身体を反転させ、陽香さんの首を絞めている明臣の腕を右手で掴み、左拳で顔面を殴りつけた。


 「なにっ!?!?ぐっ─────────っ」


 反撃を受けるとは思いもよらなかったのだろう、明臣は想定外の奇襲に驚き、殴られた衝撃で後ろによろけた。


 利き手では無い為そんなにダメージは与えられていないかもしれないが、ひとまずこの男から陽香さんを引き剥がすことに成功した。


 何故か殴った瞬間に左手がひどく熱くなったが、まあ大して問題にはならない。そんなことに思考を割く余裕はどこにもない。


 明臣の手から逃れた陽香さんは床に崩れ落ち、ぜえぜえと苦しそうに呼吸をしている。


 僕は明臣と陽香さんの間に立ち、反撃に備えた。






 「このクソガキ、やりやがったな......!」


 体勢を立て直した明臣は、襲いかかるでもなく、おもむろに言葉を紡いだ。


 「暁人を殺せ」


 先ほどは、この言葉を聞いた瞬間に僕の身体の自由は奪われた。


 しかし今度はどうだろう。


 僕の身体に、特に異変はない。手を握り、床を踏み締めてみる。指先の感覚、足先の感覚まで鮮明に感じられた。


 「は?何で効かねえんだよ、暁人を殺せ!おい!」


 明臣はこちらに向かって再度言葉を飛ばすが、やはり特に変化はない。静かなリビングの一室に、見知らぬ男の叫び声だけがこだまする。


 ─────────効かない?


 効かないってどういうことだ?今までは何かが効いていたということか?


 この男に暁人さんを殺せと命じられてからコントロールを奪われた僕の身体。勝手に暁人さんを殺しに動いた腕。


 その状態がと言うのであれば、この男は命令で人をコントロールできる何かを持っている、ということか。


 ただ、今はどうやら、それが効かないらしい。


 「何故だ?このガキにだけ効かないのか......?おい女、お前の夫を殺せ!」


 明臣は独りでにぶつぶつ呟いた後、今度は床に蹲っている陽香さんに向けて命令した。


 しかし、陽香さんは動かない。


 「チッ、肝心な時に使えない能力だな。仕方ねえ、俺の手で、お前ら全員殺してやるよ」


 そう言うと、ゆっくりとこちらに近づいてきた。


 暁人さんは立ち上がれる様子になく、陽香さんも今すぐ動くことが出来なさそうだ。


 絶対的なピンチ。体格で劣る僕が、正面からやりあってこの男に勝てるだろうか。勝算は低いとしか思えない。


 じりじりと距離を詰められていく。







 一歩踏み出せば殴りかかれる距離まで近づかれたその時、その男は静かに現れた。


 「そこまでだ」


 「─────────!?」


 侵入者も僕も突然の来訪者に驚く。凛とした声色に、その場は静まりかえった。荘厳さに、場が威圧されているのだ。


 黒い外套を纏い、髪も黒。外は暑いと言うのに、なぜか手には黒い手袋が見えた。首には、唯一黒色でない、十字架と見られるネックレスが鈍く光っている。


 僕は、この男を見た事がある。


 「だ、誰だよお前は!」


 「私はミューズ......BM協会の長坂嶺ながさかりょうという」


 ミューズ。


 明石さんが、その団体がオカルトでどうたら、みたいな話をしていたな。


 確か、世界的な慈善団体、と言っていたような気がする。


 「はあ、そのミューズってのが、このチンケな家に何の用だ?」


 「用があるのは、貴様だ。藤原明臣ふじわらあきおみ


 「は─────────?」


 どうやら、只者では無さそうなこの男は、偶然この場に居合わせたという訳では無さそうだ。







 「私は、貴様のBranch能力の行使を。その能力は、人に危害を加え人類種の天敵となり得るものと、協会に判断された」


 「人類種の天敵......?何言ってるんだ?」


 「貴様は人類の正しい在り方を破壊する可能性を持つ能力を保持しており、自らの意思でそれを行使、乱用した。私は、貴様をしに、ここに来たのだ」


 Branch能力?人類種の天敵?処分?


 まるで頭がついていかない。この男が何を言っているか、何一つ理解出来ない。


 「よく分かんねえが、俺の邪魔をするんだったらお前も殺してやるよ!」


 そう言い、明臣は長坂に殴りかかった。


 すると、長坂は慌てた様子もなく、後ろに身を引いて躱し、いつの間にか手に持っていたハンカチほどの大きさの布で明臣の鼻と口を塞いだ。


 「もごっ─────────」


 明臣は数秒抵抗したが、すぐに気を失って床に伏した。


 長坂の動作は至極綺麗で一切の無駄が無く、美しかった。


 倒れた明臣は呻き声を漏らしながら痙攣している。


 「何を......したんですか......?」


 「毒薬を吸引させた。全身の筋肉を痙攣させ、行動を制限するものだ」


 どうやら殺した訳では無いようだ。ただ、この状態なら、しばらくは僕達に危害を加えることは無さそう。


 極度の緊張にあった僕は、膝をガックリと折り、地面に座り込んだ。






 少し間をおいて、冷静になった僕は、突然の来訪者に声をかけた。


 「どうして、ここに......?」


 「私がコレを保護しに来たことには理由がある。先ほど私がコレに忠告した通り、コレは危険なBranchの能力を持っている。使用された貴様が一番よく分かるだろう」


 「Branch......って、何のことですか......?」


 「さっき貴様の身体がコントロールされたのは、この男が自らが持つBranchの能力を使用したからだ。コレのパイプは舌であり、を降ろしてくる」


 パイプ?願い?長坂が発する言葉は、よく分からない。知らない単語だらけで、耳に入ってこない。


 「からの情報を降ろすことのできるコレの舌は、言葉を発するだけで、言葉にした願いを叶える事ができる。その能力が人類種の天敵となり得ると協会に判断された為、私が派遣された」


 「ちょっと待ってください。さっきからBranchやらパイプやら、意味が全く分からないんですけど......」


 「─────────そうだな。貴様はまだ何も知らない」


 長坂は諦めたように目を伏せた。


 そして、明臣を持ち帰る為なのか、痙攣する明臣を紐で縛って、大の大人が入るほど大きい麻袋に詰め込んでいく。慣れているのか、動作には迷いがない。


 「一から説明しよう。元からそのつもりではあった。貴様が答えを急かすから、結論だけ返答したが、それで理解出来ると思った私が馬鹿だった」


 なんか煽られている気がする。


 明臣を麻袋に詰め終わった長坂は、やれやれと立ち上がり、こちらに向いて話を始めた。


 少しムカついたが、黙って聞くことにした。







 「まず、Branchとは何か。


  それは、全世界の人間の意識が集まるに繋がる人間の事を指す。


  思念樹とは、その名の通り思念が集まった樹木だ。


  しかし、その存在は概念であり、実際に目視できるものではない。


  そんな思念樹に接続する為に必要なのがだ。


  パイプは、思念樹から枝分かれするように発生する。


  発生する場所は、何らかのきっかけで機能や意味を失った人体の部位。そこに対して、後天的に割り当てられる。


  思念樹と言う幹から分かれた枝。だからBranchと呼ばれている。


  そして、そのパイプから流れ込んできた全世界の人間の膨大な意識情報によって、副作用的に超能力を発揮する。それがBranchの能力だ」







 思念樹。パイプ。Branch。人間の意識。超能力。


 漫画や映画の世界の話のようだ。


 ただ、身をもって体験してしまったが為に、現実味を感じている。


 それは後ろで倒れている暁人さんや陽香さんも同じだろうか。


 それにしても、最初の陽香さんの異常行動。あんなに仲の良かった夫婦に突然起こった殺人劇。そして、僕の身体に起こったこと。自分の意思無視して勝手に動く手足。


 それらはつまり、明臣がBranchであり、言葉でを発したことにより、その願いが能力によって現実に叶えられ、その結果僕達の身体が支配され、命令されるがまま操られていたということか。







 そこで一つの疑問が生まれた。


 「ちょっと待ってください。この男が発した願いが現実に叶えられるとしたら、どうしてわざわざこの家まで押し寄せて、遠回しに人に殺させるような事をしたんですか?」


 「コレの目的はそこの桜井暁人に絶望を味わせる事だったから、だろう。命令で自殺させたとしても、それは恨みを晴らすには物足りなかった、ということだ」


 つまりは、妻である陽香さんに暁人さんを殺させる事で、自分が恋人を奪われた絶望以上のものを思い知らせてやろう、という動機だったと。


 恨みが動機であれば、ただ殺すだけでは物足りない。分かる気がしなくもないが、全くもって物騒な話だ。


 「また、このという属性は、思念樹からの情報として余りに量が多すぎる上、一人間が扱える自然の摂理を大幅に超越している。よって、どんな願いでも叶えることは出来なかった訳だ。コレがBranchとしての力を使って操れたのは、せいぜい人の神経信号のような電気的なものだけだろう」


 なるほど。だから物理的に物や人を動かして殺すというよりは、人間に対して命令して、行動を操っていたのか。







 それについては納得出来た。ただ、もう一つの疑問が残っている。


 「それと、もう一つ。この男は途中から、命令してもその願いは叶えられませんでした。それは一体どういう事だったんですか?」


 「それは、貴様がその左手でコレに触れたからだ」


 触れた?いつ?


 ─────────そうだ。


 僕は意識を取り戻してから、左拳で明臣の顔面を殴っている。


 しかし、それがなぜ明臣の能力が発動しなかったことに繋がるのだろう。


 「貴様の左手は特別な力を持っている。私が観測した限りでは、その左手はパイプの情報を司っている。恐らく、そのパイプの情報を使って、藤原明臣のパイプの力を打ち消したか、情報を削除したか、何らかの操作をして能力の発動を出来なくしたのだろう。だが、それ以上のことは、私には分からない」


 ─────────僕が、特別な力を、持っている......だって?


 今までの説明からすると、パイプというのはBranchが身体の部位に持つもののことだろう。


 僕の左手には、そのパイプの情報が思念樹から流れ込んできているという事か。


 そして、僕はその力を使って明臣の力を封じ込めた、と。








 ただし、長坂が言うことは、僕が今解釈した認識と少し違っていた。


 「ああ、そうだ。パイプの情報など思念樹は持ち合わせていない。パイプはあくまで思念樹が発生させる物であり、人間の意識でどうこうできるようなものでは無いからだ」


 「じゃあ、僕はBranchでは無い、という事ですか?」


 「そういう事だ。パイプの情報は思念樹ではなくに含まれる。阿頼耶識とは人類種の意識だ。人間が個々人で持っている意識ではなく、人類という自体が持つ意識。それが阿頼耶識だ」


 また新しい単語が出てきた。


 人類種の意識を阿頼耶識と呼んでいて、パイプの情報はそこに含まれている、という事か。


 「そして、その阿頼耶識とのパイプを持つ者はMissionaryと呼ばれている」


 ─────────Missionary。


 訳すと、宣教師という意味になる。


 「阿頼耶識は過去も未来も全てを含めた人類種としての意識である。時空を超えて蓄積されている情報は、まさに神が扱う領域。神の信託を受け取る者たちという意味合いを持って、Missionaryと呼ばれている。貴様は、Missionaryなのだ」


 そんな度を超えた力を、この左手は持っていると言う事か。それにしても、余り実感が無い。


 改めて自分の左手を見直してはみたが、何ら変哲のない、ただの手だ。


 「まあパイプがある部位の色が変わる訳でも、筋肉隆々になる訳でもない。実感が湧かないのも無理はないだろう」


 「そう、ですね......」


 筋肉隆々、という表現のセンスに突っ込むことはやめておいた。







 僕は説明を聞きながら、この男が発したある言葉に引っ掛かりを覚えていた。想定が正しければ、と、問いかけてみることにした。


 「そういえば、あなたは"Branch能力の行使を聴いた"と言ってた気がするのですが、あなたも何かの能力を持っているんですか?」


 「察しがいいな、少年。私も貴様と同じMissionaryだ」


 やはり。


 これだけ色々な事を知っていて、この男がただの人間であるとは到底思えなかった。


 「あなたは、どんな力を持っているんですか?」


 「という言い方には語弊があるかもしれない。パイプは情報を降ろすインターフェースであり、能力は降りてきた情報による副産物でしか無いからだ。......ああ、それは余談だったな」


 すると、長坂は自分の右耳の耳たぶを掴みながら、こちらに見せつけてきた。


 「私のパイプは右耳にあって、という属性を持っている」


 記憶とは、これまた広範囲の定義だな。


 「それは、どんな事ができるんですか?」


 「簡単だ。人類種の記憶を音として耳で聞き取る事ができる。情報源が阿頼耶識であるから、過去も未来も関係なく記憶を収集する事ができる。だから私は藤原明臣の行動を知り、協会に報告し、こちらへ赴いたのだ」


 「未来予知、みたいな感じですね」


 「まあ簡単に言えばそのニュアンスで捉えてもらっても構わない。ただ全知全能という訳でも無い。ただでさえなどという膨大な容量の情報を、一度に脳に叩き込めば、途端に脳味噌は焼き切れるだろう。自らが意識して聞き取る情報を制限しなければたちまち自我が消滅する、極めて危険な爆弾なのだ」


 能力には副作用が存在すると言う事か。さすがに無制限に使える訳では無い、と。


 「ちなみに、貴様の左手にも反動が出ている筈だ。思い当たることは無いか?」


 「─────────そういえば、あいつを殴った直後から、妙に左手だけ熱かったです。妙に熱を持っていました」


 「それだ。能力を使えば、そのような副作用も出てくる。何せ、この力は人間にとって過ぎたるもの。一人間がコントロールできる以上の使い方をすれば、必ずどこかにガタが来る。気をつけることだ」


 「あ、ご忠告、ありがとうございます......」


 見ず知らずの他人にここまで教えてくれるこの男は、見た目は怪しいながらも案外悪い人では無いのかもしれない。







 「最後に聞きたいんですが、あなたが所属している協会とは一体どんな組織なんですか?さっきはミューズ、BM協会と言ってましたが......」


 「そうだな。貴様は嫌でも関わる事になる。今説明しておいた方が、色々と好都合だろう」


 僕は嫌でも関わる?能力を持っていれば必ず関与してくるような組織なのだろうか。







 「表向きでは、世界中で展開している慈善団体という名で活動している組織だ。


  基本的には、世界の安寧を守る為に慈善活動を行うのがこの組織の目的である。


  貴様もテレビやネットなどでその名前を耳にした事があるだろう。


  ただミューズは、裏の顔としてBMという一面を持っている。


  ......そうだ。貴様の思っている通り、BMとはBranch/Missionaryの頭文字から来ている。


  その実態は、世界中に存在するBranchやMissionaryを監視する機関だ。


  監視する中で、人類種の天敵となり得る能力を持つ者や、能力を悪用する者を観測した場合はをして一般社会から隔離する。


  そして、Branch/Missionaryの存在を隠蔽し、一般社会の混乱を防ぎ、安寧を守る。


  それがBM協会のミッションだ。ある意味、ミューズとBM協会は目的が一致している。


  実態がどう在るのかを明確に公開しているか、いないかの違いだけなのだ」







 僕が思っていたよりもスケールが大きい話だった。そんな裏世界が、この世に存在したとは。


 「分かったかもしれないが、貴様の能力はBranchやMissionaryが必ず持つパイプをコントロールできる類のものだ。協会が放っておく訳が無いとは思うが、それについては何も指令が降りていない。私も、指令が降りない限りは特段何もしないつもりだ」


 「それって、今後は連行される可能性があるとか......ですか?」


 「そうだな、最悪標本にされたり、ホルマリン漬けにされたり、左手を切り取られる可能性もあるかもしれんな」


 ─────────ひっ!?恐すぎる。


 「まあ、あくまで最悪の場合だ。異能者を取締るBM協会にとって、今回のように異能者の力を制限できる貴様の存在は大切にしなければいけないだろう。みすみす手荒な真似はしまい」


 「何だ、そうですか......」


 少し安堵。─────────いや、安堵できるのか?


 僕が、自分はどう立ち振る舞えばいいのかと困惑していると、長坂は明臣を詰め込んだ麻袋を肩に担いで踵を返した。


 「聞きたい事が山ほどあるだろうが、すまない少年。私はここで失礼する。コレを早いところ協会に持っていかなければいけない」


 「それ、どうするんですか......?」


 「説明しただろう、協会でするのだ」


 そう言って、長坂は玄関から出て行った。






 こうして、自分の世界観をガラッと変えてしまうような出来事が、嵐のように過ぎ去った。


 その場に取り残された僕や暁人さん、陽香さんにとっては、もう何が何だか分からなかった─────────

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