第20話 憎悪と願いⅥ

 一面が白色に包まれた視界が反転する。


 眩しい光が消えていくと、今度はカフェの店内と思われる光景が目の前に広がった。


 お洒落な木目調の机の対面には叶さんが座っている。


 「俺たち、一年前にファミレスで話してから、なんだかんだ1ヶ月ごとに会ってるよな」


 「そういえばそうですね......忙しいのに、ごめんなさい」


 「叶、何でもかんでも謝るところはお前の良くないところだぞ。俺も叶の為になりたくて会ってるんだから、せめてありがとうって言って欲しいな」


 冗談まじりの口調で暁人さんは叱った。


 「ご、ごめんなさい......」


 「ほらまた謝る。いいかげん怒るぞおー」


 すると叶さんはクスッとほんの少し笑った。相変わらず神妙な面持ちだったが、緊張が解れたようで柔らかい表情になった。


 「本当に、暁人先輩には毎度毎度お話聞いてもらって、とてもありがたいです」


 「そう、それでいいんだよ」


 叶さんに答えるように暁人さんも優しい口調で微笑みかけた。








 しかし穏やかな雰囲気になったのも、その一瞬だけだった。


 「先月は少し落ち着いてたみたいだったが、最近はどうなんだ?」


 暁人さんがそう叶さんに問いかけると、より一層険しい表情になってしまった。


 前回より深刻な状況なのかもしれない。


 叶さんは顔を伏せながら応えた。


 「私、妊娠したみたいなんです」


 「────────────────」


 暁人さんは驚愕で声が出なかった。


 それにしても全く良い知らせとは言えない。彼女らは結婚しておらず、まだ大学生だ。


 しかも彼氏である明臣からのDVはまだ収まっているような様子はない。


 毎月叶さんが話してくれる状況を聞いている限り、子供を産んで結婚する流れがベストな状況だとは到底思えない。





 ジリジリ


 じりじり


 ビリビリ


 びりびり





 ────────ん?




 視界にノイズが走る。


 なんで■■■であるはずの自分が、という判断をしたのか?


 僕はではない、はずだ。


 なんて知らない。


 そんな情報を■■■は持ち合わせていない。


 ......なんだろう、意識が、思考がはっきりしない。








 「叶は、叶はその子を産みたいと思っているのか......?」


 暁人さんが混乱する思考の中で絞り出した第一声がこの言葉だった。


 それに対し、答えはもう決まっていたかのように叶さんははっきりと意志を口にした。


 「私はこの子を、産みます」


 自分は男なので、子供を授かったときの気持ちは分からない。


 愛おしさを感じるのか。母性が芽生えるのか。堕胎に恐怖を覚えるのか。


 確かなのは、叶は身篭った子供を育てる覚悟ができていること。


 しかし、明臣の元で子供を産み育てるのは危険すぎる。


 母親が暴力を振るわれているのに子供が暴力を振るわれない、なんていう道理はありえない。


 必ず何らかの悪影響を及ぼすだろう。







 ────────止めなければならない







 「叶。いいか。聞いてくれ。このままだと生まれてくる子供に悪い影響があるのは分かるよな?お前は明臣から暴力を振るわれている。それがDVで無いとしても、暴力を振るわれているのはだ」


 必死の形相で説得しているのだろう。今にも机に身を乗り出しそうな勢いと熱を自分自身から感じる。


 「叶自身は暴力が平気だと言っても、自分の子供に暴力が振るわれるのはどうなんだ!?子供が暴力を振るわれないという保証は、叶達の事情を聞いている限り無いぞ」


 「それは...明臣君はそんなこと...」


 「生まれてくる子供を守りたいなら、母親になるんだったら、現実を見てくれ。叶......!」


 「じゃあ、じゃあ私はどうすればいいんですか!?」


 叶の身内に駆け込む、が一番無難だろう。しかし、DVするほど執着しているのであれば、ストーカーを十二分に考えられる。


 しかし何より、俺は────僕は────自分の手で叶を守りたかった。


 「俺の家に来い、叶。お前と、お前の子供は俺が守る。誰からも、一切の危害を加えさせない」


 「それじゃ、明臣君とはもう会えないの...?」


 「少なくとも明臣の執着が無くなるまで、そして叶と生まれてくる子供の状態が安定するまでは会うべきではない」


 「────────そう、ですよね」


 叶さんは諦めたように顔を伏せた。








 話がまとまったところで、店を出ようと席を立った。


 「会計は済ましておくから、叶は先に外で待っていてくれ」


 「いつも、ありがとうございます」


 叶さんはペコリと頭を下げ、他の客の邪魔にならないようにそそくさと店の扉から出て行った。


 二人ともコーヒーを飲んだだけなので会計は千円以下になった。財布から千円を取り出し、お釣りを受け取る。


 さて、今後どうするか、と考えながら店の扉を開けると







 「やめ、はなしてっ...!」


 「うるせえ、騒ぐなって!こっち来い!」


 




 手荒く引っ張られる叶と、無理やり連れて行こうとする明臣の姿が視界に入った。


 暁人さんは明臣を止めようと咄嗟に叫ぶ。


 「おい!お前何やってんだよ!」


 「チッ────────」


 明臣がこちらを振り向くのと同時に、叶は引っ張られていた手を振り解き、こちらに駆けてきた。


 「暁人センパイ、お会計早くないっすかあ?叶も反抗するから、見つかっちゃったじゃないっスか」


 「どうしてそういう事をするんだよ、明臣!」


 「そういう事って、浮気をしていた自分の彼女を連れて帰る事を言ってるんスか?」


 この後に及んで、自分のやっている事を正当化する明臣。


 「ふざけるな!お前が叶に暴力を振るっていたことは知ってんだぞ!」


 「そっちこそ。叶をたぶらかして毎月密会してたの、オレは知ってんですよ」


 明臣の視点から見れば正論だ。彼氏持ちである叶と二人きりで、彼氏に内緒で会っていたのは暁人さんだから。


 「とにかく、叶はお前と距離を取らせる。お腹の子供の為にも、お前から保護する」


 「お腹の子......?叶、お前孕んでたのか。なのに今更他の男の所に行くのか?」


 叶さんは、暁人さんの袖を掴みながら背中に隠れている。


 「おい、どうなんだよ。答えろよ叶。他の男の所で、オレとの子供を育てるのか?」


 「っ──────────」


 「いい加減にしろ明臣。お前は叶を幸せにしたいのか、ただ自分のモノとして手元に置いておきたいのか、どっちなんだよ」


 「はっ?そんなの決まってるじゃないっすか。叶を幸せにする為に、オレのモノにしていたんスよ」


 明臣の言っていることは何一つ矛盾していない。愛している人を自分のモノにして幸せにする行為が悪という定義など何処にもない。


 「叶にDVしておいて良くそんな事が軽々しく言えるな、明臣。大学にいた頃は、お前がそこまで落ちぶれた男だとは思っていなかったんだがな」


 「勝手にオレの人物像を決めつけないでくださいよ。むしろ人の女を強奪するなんて、昔の正義感溢れる暁人センパイからは考えられないですね」


 暁人さんは明臣を必死に説得するが、全て空振りに終わる。むしろ正論の刃が暁人さんを襲う。







 許さない




 ─────じりじり




 彼の言っていることは至極正論だ




 ─────びりびり







 思考にノイズが走る。


 ダレカの意識が混合していく。


 ■■■の情報が端に追いやられていく。


 「さあ、オレの女を返してくださいよ、暁人センパイ」


 明臣がゆっくりとこちらに近づいてくる。裾を握る叶の震えが伝わってくる。


 許せない。


 こいつは、許せない。


 無意識に、右腕を振りかぶっていた。


 「暁人先輩、だめっ──────!?」






 ゴッ






 コンマ数秒遅れて、右手の拳に鈍痛が走る。


 地面には、鼻から血を流し倒れている明臣。


 周りには、悲鳴を上げたり、怪奇の目でこちらを見る通行人。


 後ろには、どうしていいか分からないという表情の叶。


 「あ──────────」


 やってしまった。怒りに身を任せ、暴力を振るう悪人を裁く為に


 「痛って......。あーあ、手え出しちゃったっすね、暁人センパイ。それ、オレがやったことと何が違うんスか?」


 「うるさい、黙れ」


 強がりの言葉は負け惜しみでしかない。手を出した時点で、暁人さんは負けだ。


 「叶、こんな暴力を振るう奴について行くのか?」


 「────────────────」


 叶さんは状況が飲み込めず、声にする事ができない。


 「......そうかよ。もういい、今日は好きにしろ。その代わり、ちゃんとオレの所に帰ってきた方がいいぞ、叶」


 明臣はよろけながら立ち上がり、捨て台詞のように言葉を紡ぐ。


 「その腹にいる赤ん坊の認知は誰がするんだ?今までお前を分かってやって、愛してやったのは誰だ?このまま暁人センパイの所に行けば、暁人センパイを苦しめる事になるだろうに」


 「黙れよ、明臣」


 「オレが今言ったことが理解できたら、オレの所に帰ってこいよ、叶」


 そう言い残して、俺達の前から去っていった。

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