第16話 憎悪と願いⅡ




 ゴッ。バリッ────






 壺が、殺人の鈍器が、強く叩きつけられて割れる鈍い音。リビングに響く、衝撃。


 目を見開くと、暁人さんと陽香さんの足元に壺のカケラが散乱していた。


 しかし血の色は見られない。


 暁人さんは咄嗟に後ろに下がって、頭への直撃を回避したようだ。


 しかし避けた壺は足に直撃し、椅子から転げ落ちた暁人さん右足を痛そうに押さえている。







 壺を投げた陽香さんは力が入らないのか、その場にへたれこんでしまった。


 真っ青な顔で、目線が定まっていない。何が起きているのか、自分が何をしたのかわかっていないような様子。


 「どう...してっ...?陽香...」


 暁人さんは立ち上がろうとするが、足の痛みでうまく立ち上がれないようだ。


 すると、玄関の方から足音が聞こえてた。







 とん、とん。







 ────足音?誰かいるのか?







 とん、とん。


 とん、とん。







 侵入者は、慌てる様子もなくリビングに姿を現した。


 デニムパンツに、ぴっちりとした黒のライダースーツ。髪は茶髪で、やや崩れ気味のオールバック。


 年齢は40歳ほどだろうか。無精髭が大人の色気を醸し出している。


 「あーあ、失敗しちゃったんですか奥さん。まったく使えないなあ」


 陽香さんは未だに放心状態で、侵入者の声には反応しない。暁人さんは痛みを堪えながら睨みつけた。


 「誰だ...お前は...?」


 「は?俺の顔忘れちゃったんですか暁人先輩?ひどいなあ」


 「誰が...お前のことなんて...?」


 暁人さんは侵入者の顔を予め凝視すると、何かを思いついたかのように目を見開いた。


 侵入者と暁人さんが会話をしている隙に、僕は陽香さんに駆け寄って声をかけた。


 「大丈夫ですか陽香さん!?陽香さん!」


 「はあ...はあ...」


 肩を揺さぶり呼び掛けたが、陽香さんの焦点は未だに定まらない。


 僕はこのままでは危険と判断し、侵入者から遠ざかろうと陽香さんを起こしたその時、背中に強い衝撃を受けた。


 「邪魔なんだよガキが」


 「ぐッ────!」


 侵入者はどうやら僕の背中に前蹴りを加えたらしい。僕は壁際まで吹っ飛び、食器棚に激突して止まった。








 「さーて暁人先輩。なんで俺がこんな田舎まで遥々やってきたのか、あなたなら分かりますよねえ?」


 僕が蹴り飛ばされたことにより再度床に崩れ落ちていた陽香さんに近づき、首を掴んで持ち上げる侵入者。


 陽香さんは苦しそうに呻き声を上げているが、反抗する気力は無く、為されるがままである。


 「お前、陽香を離せっ...」


 「質問しているだろう?答えて下さいよォ」


 暁人さんは痛む足を庇いながらも、なんとか侵入者の足に掴み掛かろうとする。







 ────ごりっ







 その伸ばされた手は、容赦無く、慈悲なく踏みつけられた。


 「づッ───あああ!」


 「かなえは死んだ」


 唐突に話を切り出す侵入者。叶とは誰のことだろう。暁人さんや陽香さんからは聞いたことのない名前だ。


 暁人さんは床に伏しながら、侵入者を睨み上げている。その顔には困惑と憎悪が滲んでいる。


 陽香さんは「あ...あ...っ」と小さく呼吸をしている。どうやら侵入者は本気で首を締めているわけではなさそうだが、それでも陽香さんの顔色は徐々に色をなくしているように見えた。


 「叶は死にました。暁人先輩は生きています。暁人先輩は叶を守れませんでした」


 声色は、話の内容に反して楽しそうだ。それが、かえってこの男の狂気を強調している。


 「暁人先輩は再婚して子供がいる。幸せそうだ」


 床に伏した暁人さんを見下ろしながら笑う。瞳孔は開いている。鋭い目付きに狂気が滲み、鮮やかさを増している。


 ここまでブッとんでいると逆に綺麗だ。俗に言うサイコパスというものなのだろうか。


 「どうして、叶を守れなかった暁人先輩はこんな所で生きているんですか?」


 「づっ...あ゛っ...お前...!」


 暁人さんは侵入者の話を聞いて一層顔色を険しくした。


 守れなかった叶。死んでしまった叶。


 誰だろう。暁人さんと、この男と、どのような繋がりがあるのだろうか。


 「ねえ、暁人先輩、答えて下さいよ。あなたの奥さん死んじゃいますよ」


 「う゛っ」


 陽香さんが苦しそうな声を発した。侵入者は陽香さんの首に対し、更に力を加えたようだ。


 しかしどうやら、侵入者の目的はあくまで暁人さんのようだ。陽香さんは暁人さんへの脅しでしかなく、僕なんかは蹴り飛ばされてから見向きもされていない。


 チャンスだ。そう感じた僕は静かに立ち上がり、隙を見て一瞬で侵入者の懐に踏み込んだ。


 タイミングは完璧。誰もこちらを見ておらず、目線の変化で僕に気づくのは不可能だろう。


 取った。そう核心した僕に

 






 「暁人を殺せ」







 そう、侵入者が囁いた────

 

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