5章 憎悪と願い

第15話 憎悪と願いⅠ

 愛とは何か。きっと人間が知性を得て、古来から問われていた問題だろう。


 様々な哲学者や宗教が答えを出しているが、全く不毛なことだ。


 見えないものを定義することに一体何の意味があるのか。


 そんな不確かであやふやなものを、それでも皆は人生をかけて求めている。


 僕はいつか、愛を得る事ができるのだろうか────






 今日はバイト先のコンビニを営んでいる桜井家にお邪魔している。


 日曜日なのもあり昼勤でシフトに入った僕は、店に忘れてあった陽香さんの私物を届ける為、ここに訪れたのだった。


 せっかくだからと、陽香さんは家に上げてくれて、お茶とお菓子を頂いているところ。


 「いやあ、ありがとね柊くん。アタシうっかり忘れちゃってて。届けてくれて助かったわ」


 「いえいえ、ついでなんで全然大丈夫ですよ」


 「だいたい、あんたもちゃんと憶えときなさいよ。一言くらい声かけておいてくれてもよかったんじゃない?」


 「なんで俺が声かけなきゃいけないんだよ」


 「まあまあまあまあ」


 陽香さんは店で一番お喋り好きなだけあって、家の中でもマシンガントークは健在のようだ。


 暁人さんは文句ありげな表情で陽香さんに言い返すが、どちらかと言うと押され気味に見える。


 「今日は健くんいないんですか?」


 「あー、健は塾行ってるわよ。遊んでばっかだからちょっとくらい詰めて勉強してもらわないと」


 「深井君は勉強とか大丈夫なのかい?」


 ......ギクッ


 「ま、まあ、シフトに支障が無い程度には大丈夫ですよ」


 「深井くんは真面目そうだから大丈夫なんじゃない?」


 「そんな真面目そうに見えます?僕」


 「「うん」」


 さすが夫婦、息が合うところはぴったり合うようだ。


 店のバイトのみんなからも周知されているが、この二人はなかなかのおしどり夫婦である。


 店内でも遠慮無く夫婦喧嘩が勃発するが、生暖かい目で眺めるのはウチのバイト達にとっては恒例行事だ。


 喧嘩するほど仲がいい、とはまさにこの夫婦の為に作られた言葉だろう。


 僕は暖かい家庭の会話に対し、無意識に羨望の眼差しをむけていた。






 ────ピンポーン


 しばらくして日が暮れた頃、桜井家のインターホンが鳴った。


 「あら、宅配かしら」


 「かもですね」


 「陽香、出てくれよ」


 「はいはい」


 いいわねーあんたは動かなくてもいいんだから、と小言を吐きながら、陽香さんが玄関へ向かう為リビングから出て行った。


 「あいつは小言が多いんだよ。黙っていれば可愛いんだから」


 ......惚気られた気がする。


 「僕にはきれい系にみえるんですけど、暁人さんには可愛く見えるんですか?」


 「ま、まあ、そうだな。というか陽香に色目使っちゃダメだぞ深井くん」


 軽く冗談を言ったら嫉妬された。ガチじゃん。


 「でも、けっこう陽香さんはモテる方ですよねきっと」


 「まあそれなり...だと思う」


 嫌そうな顔をして答える暁人さん。機嫌をとる為に暁人さんもおだてておこう。


 「暁人さんもダンディなんで、昔は相当モテてたんじゃないですか?」


 「昔は────」


 すると、陽香さんが玄関から戻ってきた。






 しかし様子がおかしい。


 表情は強張り、足も震えている。


 呼吸はハアハアと荒い。何より





 ────手に、人の頭の大きさほどの壺を抱えている




 

 確かあれは玄関に置いてあったものだ。飾り物だろう。特に観葉植物が入っている様子もなかったので、水を変えるとかの必要もなさそうだ。


 なのになぜ、陽香さんは壺を抱えてリビングに入ってきたんだ?


 何かボソボソと話しながら暁人さんの方にフラフラ歩いていく。顎も強張って震えているようだ。あれではまともに声を発する事は出来ないだろう。


 様子がおかしいのは一目瞭然。でも、僕は陽香さんの行動が理解できない。脳の処理が追いつかない。考え込んでしまって、身体が動かない。


 「......て。...げ...」


 何か言っている。最初は聞き取れなかったが、暁人さんに近づくにつれ、徐々に呟いている内容が推測できた。


 暁人さんも状況が飲み込めず固まってしまっている。


 「に.......。......て。...ねが...」


 ついに陽香さんは暁人さんの目の前まで来た。震える手で、重いであろう大きな壺を振り上げる。僕はハッとして瞬時に叫んだ。


 「避けて!暁人さん!」


 僕が叫んだ瞬間、






 陽香さんは暁人さんの頭に向かって壺を叩き付けた────

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