第4話 出勤Ⅱ

 僕は家族の暖かさを半分しか知らない。親父は幼少の頃から家にはおらず、遠くの勤務地に住み込みで仕事をしていた。

 だからほぼ片親みたいなものだ。母親にはシングルマザーに匹敵する負担がかかっていたと思う。

 おまけに一人っ子だから、同年代以外とのコミュニケーションに慣れていないのだ。ケンカとか出来ないし、年上や年下とどうやって接すれば良いか分からない。そこらへん人より経験値が足りないのだと思う。


そんな僕にとって、仲睦まじい家族エピソードは、空想の憧れでしか無かったんだ────




 「あら、深井くんおはよう」


 今日はコンビニバイトを始めてから2回目の出勤だ。店に入って事務所の扉を開けると、えらくおばさん臭い口調で僕は迎え入れられた。


 事務所の中で事務作業をしていたのは桜井陽香さくらいはるかさん。この店のマネージャーを努めており、オーナーの暁人さんの奥さんだ。


 「おはようございます」


 「今日は暑いわねー。アイスとか食べちゃってるしアタシ」


 そういって、陽香さんは当店自慢のアイスクリームを頬張りながら端末を操作している。


 よく食べるからか知らないが、グラマラスなスタイルをしている。食べたものの栄養が行くべき所に行っている、良い例だと浅田さんは話していた。


 「だれー、このひと?」


 「あんたは失礼なこといわない!」


 ついでにちっこい少年も陽香さんの隣に座っていた。息子のけんくんだ。小学2年生らしい。

 一応挨拶しておこう。


 「こんにちは、深井っていいます」


 「ふかいねー、よろしく!」


 「呼び捨てにしないのあんたは、もー」


 「あははは......」


 仲睦まじい母子の姿に苦笑いをしながら僕は制服に着替え、帽子を被って準備を整えた。胸元にはまだ「研修中」の文字。


 「今日も知里ちゃんとなのね。深井くんは運がいいわ、知里ちゃん丁寧だし、立派な見本よねー」


 「はい、とても分かりやすくてありがたいです」


 「うんうん、それじゃ今日も二人でよろしくねー」


 暁人さんと何処か似通った、だが母性も相まって包容力のある笑みを浮かべながら、陽香さんは事務所からレジに出ていく僕を見送った。




 「おい兄ちゃん、セッターくれ」


 「すみません、何番のおタバコでしょうか?」


 「あー、53番、いや、54番だな」


 「こちらでお間違いありませんか?」


 2日目ということもあり、割と業務の流れを掴めるようになってきた。商品バーコードを読み取って会計をする、までは一人でできるようになった。これも、丁寧に教えてくれる浅田さんのおかげだ。


 「460円になります」


 「兄ちゃん見ない顔だな。新入りか」


 「そんなところです」


 「そうか、頑張れよ」


 「あ、ありがとうございます」


 気の良さそうなおっちゃんは、悪そうな笑みを浮かべて店の自動ドアをくぐっていった。


 このコンビニは田舎にあることもあってか、客層は人情にあふれている気がする。特に、店員にフレンドリーに話しかけてくれるおっちゃんやおばちゃんが多いな、という印象だ。


 僕はそれなりにバイトを楽しめていた。




 出勤してから4時間、21時になり日も暮れて、今日のバイトは平和に終わりそうだった。客足も平均的で、暇にならずキャパオーバーしない程度の忙しさだった。


 「アイスクリームください」


 「コーンにしますか?カップにしますか?」


 「そしたら、コーンで」


 「かしこまりました、220円になります」


 僕が働いているコンビニチェーンのイチオシは店内の厨房で巻くアイスクリームだ。


 ────僕は注文を受けてから、アイスを巻くため厨房に、


 「きゃっ!?」


 ドン!という衝撃。どうやら厨房の入り口で浅田さんとぶつかってしまったようだ。僕は急いで浅田さんに謝罪した。


 「あ、ごめんなさいっ」


 「わ、私こそごめ......あれ、コンタクトが」


 浅田さんの視線が定まっていない。何かを探すそぶりをしている。


 「どうしたんですか?」


 「どうしよう、落としちゃった......」


 浅田さんは凄く不安そうな表情で床に目線を這わせている。


 「ほ、ほんとですか!?ちょっと待ってて下さいね、アイス作ったら僕も探します」


 接客業なので、お客さん優先だ。僕は今日出来るようになったばかりのアイス巻きを急いで済まし、お客さんに手渡しに向かった。




 厨房に戻ると、浅田さんはまだ探していた。


 ────探し方が雑だ。目線の送り方が、手付きが、細かく見えている人のものではない。


 「あの、浅田さんってコンタクトしてたんですね。けっこう視力良くないんですか?」


 「うん、昔ちょっとあってね。特に右目がすごく悪いんだ」


 「そうなんですか......。僕、目は良い方なんで、僕が探しますから待ってください」


 「あ、ありがとう、助かる」


 浅田さんとぶつかった周辺の床を探すと、割とあっけなくコンタクトを見つけることができた。これでも小さい頃から視力1.5を維持し続けてきたので、小さくて透明なコンタクトでも裸眼で見つけることは容易だった。視力は僕にとって、数少ない自慢できるポイントだ。


 僕は見つけたコンタクトレンズを床からそっと拾い、浅田さんに手渡す。


 「浅田さん、コンタクトありました、はい」


 「え、ほんと!?ありがとう!良かったあ!」


 浅田さんは僕と目を合わせ、少々焦りながらもにっこり笑って感謝の言葉をかけてくれた。




 ────ぞくり


 その瞬間、なぜか悪寒がした。急に背筋がゼロ度になった。絶対零度の大気の中で、心が丸裸で晒されている。


 (なっ......!?)


 僕は一瞬で硬直してしまった。味わったことのない感覚だ。何より浅田さんの目から視線を逸らせない。異変の根元はそこのようだ。

 

 みえている。

 見えている。

 視えている。

 ミエテイル。


 識────


 しかし、浅田さんに特別変な様子は見られなかった。その目から感じる雰囲気は明らかにおかしいのに、「洗浄してくるね」と言い残して、そそくさとお手洗いの洗面所へと消えていった。


 (今のは一体......)


 心の首根っこを掴まれるような感覚。脳味噌を後頭部から引き抜かれるような錯覚。浅田さんの「目」から流れ込んできた「何か」。僕はその時、何一つ理解できなかった。





 その後は、大きなトラブルもなく、夜勤と交代する時間を迎えた。浅田さんは僕とぶつかったことをあまり気にしていないようで、「お疲れ様でした。今日はありがとね」と言って、帰っていった。


 (ぶつかったのは僕なのに。まあでも悪い気はしないかな)


 僕自身も何事も無かったかのように装い仕事をこなした。それでも、浅田さんの目に見入った時の異変を、僕は忘れることができなかった──── 

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