1章 出勤

第3話 出勤Ⅰ

 人との距離感ってよく分からない。いきなり近づき過ぎれば引かれるし、かといってずっと遠目に見ていては会話さえできない。

 人望が厚い人はすごいな、とつくづく思う。どうしたらあんなに多くの人を引きつけて、かつ深くまで仲良くなれるんだろう。


 僕にはよく分からない────




 「先週の日曜日に面接を受けてたよね?改めまして、私は浅田知里あさだちさとっていいます。よろしくね?」


 今日は僕の初出勤日。気慣れないコンビニのテーマカラーをした制服に腕を通し、人生で初めてレジの内側に入った。


 「ど、どうも。深井といいます。よろしくお願いします......」


 今日のシフトは浅田さんと一緒のようだ。面接を受けたときに手を振ってくれたのも、オーナーが「教育はバッチリだな」と言っていたのも、浅田さんのことだったようだ。


 綺麗なクリアグレージュの髪、人当たりが良さそうな柔らかい雰囲気。女の子にしては平均的な身長で、出るとこは出ている。


 ────何を考えてるんだ働いている時に......

 

 完璧に下心が発生した自分に嫌気が差して、視線を逸らした。それでも、バイトを始めるまでは異性との接点が少なかった僕としては、いつもは信じない神にも感謝してしまいそうなくらい嬉しかった。可愛い女の子と一緒に働けて、嬉しくないはずがないのである。


 


 そんなことを考えていると、なぜか浅田さんは頬を少し赤めて、僕を案内してくれた。


 「と、とりあえずレジの手伝いから初めてみようか!こっちに来て」


 「あ、はい」


 初対面の人と話すのは浅田さんでも緊張するのかな、と思ったりしたが、正直慣れない環境の中で他人のことを考えている余裕はなかった。


 「お客さんが品物を持ってきたら私がレジを通すから、深井くんはレジ下の棚からレジ袋を取って、バランスよく入れてお客さんに渡して欲しい。そんなとこかな。」


 「分かりました、やってみます」




 暫くするとお客さんが店内に入ってきた。このコンビニチェーン特有の入店音が陽気にスピーカを揺らす。


 「いらっしゃいませ!」


 「いらっしゃいませー......」


正直僕には、まだ浅田さんのような、自然に笑顔のこもった挨拶は難しいようだ。そもそもそこまで明るい性格ではないので、性格から変えないといけないかな?


 すると、浅田さんが気を遣って声をかけてくれた。


 「まあ、最初は慣れるまで時間かかるかもだけど、きっと大丈夫だよ」


 「慣れ、ですか。そんなもんですかね」


 「うん、そんなもん」


 浅田さんの優しさに、僕は幾分かリラックスすることができた。



 

 暫くすると、カゴに5品ほど品物を入れて、お客さんがレジのところにやってきた。


 「いらっしゃいませ!」


 「い、いらっしゃいませっ」


 浅田さんは手際良く商品のバーコードにバーコードリーダで読み込んでいく。僕は覚束ない手付きでレジ袋に商品を詰め、取手を丸めた。


 「お会計は980円です」


 「カードで」


 会計の流れはとてもスムーズに見えたが、今の自分にはレジ操作の手順を盗み見て覚える余裕はまだなかった。お客さんがカードとレシートを財布にしまった後、僕は丸めた取手をお客さんに渡した。


 「ありがとうございました!」


 「ありがとうございましたー......」




 ────初めてお客さんと接した。やっているのは業務のほんの一部分だが、初めての労働に予想以上の達成感が湧いてきた。ひどく感動する。


 「うれしそうね。初々しい感じ」


 (......!?)


 どうしてそう思われたんだろう。顔に出ていたのかな。僕は小っ恥ずかしくて、耳が熱くなった。


 その後も赤くなった顔を必死に隠しながら、浅田さんのレジの手伝いを続けた。時間が過ぎるのはあっという間だった。





 ここのコンビニのシフトは、朝勤・昼勤・夕勤・夜勤で大体時間が区切られている。今は22時。夜勤が出勤し、夕勤と交代する時間のようだ。


 結局、僕は浅田さんに付きっきりで教えてもらいながら、なんとか基本的なレジ打ちをするまで覚えることができた。


 「おはようございまーす」


 眠そうな顔をした夜勤のお兄さんが出勤してきた。夜勤でも出勤時の挨拶は「おはようございます」だ。


 「それじゃあ今日は時間になったからアガろうか。お疲れ様でした」


 「はい、お疲れ様でした」


 浅田さんは僕に柔らかく微笑みかけながら、労いの挨拶をしてくれた。面接の時に見た遠慮がちな表情より自然笑みを見て、今日頑張って良かった、なんて思えた。




 ────それに対し僕の挨拶は形式ばったもので、感謝の気持ちすら込められていなかった。自分自身が疲れた/自分は頑張った/自分はよく働いた、という感情しか湧き上がらなかった。


今の僕には、魅力的な異性にさえ気を遣えないほど、自分に余裕が無かったのだ。

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