脳内バトルプロ野球小学生vsコロナ
島崎町
俺たちの開幕戦
「あーわかんね! わかんねわかんねー!」
「ノリフジ、お、おまえうるさいぞ」
「じゃあデーブおまえわかるのかよ、問2の3、下線部Cの令子の気持ちを四つの中から選べって!」
「う、うるさいなあ、音割れるだろ」
「ちぇっ、だからおれ国語嫌いなんだよ。もっとズバッと火の玉ストレートみたいな問題出せよなー、なーミーコ」
「……」
「なーミーコ?」
「……」
「おいデーブ、ミーコが返事しねーぞ」
「み、ミーコは僕の知るかぎり、三〇分くらい前からおなじ姿勢をたもったまま動かないでいる」
「え!」
「い、いっけんああして下を向いたまま教科書をじっと見つめてるようだけど実は……」
「まさか!」
「そう」
「ミーコ死んでるのか?」
「寝てるんだよ!」
「ほんとか? おいミーコ起きろ!」
「ノリフジ、ディスプレイ叩くな。お、おまえの家だけ地震起きてるみたいだ」
「ちぇっ、最低の夏だぜ」
すべてをあきらめた。
ノリフジは鉛筆を放り出して、イスの背もたれに深く身を落とした。
目の前にあるノートパソコンが、静かにたたずんでいる。
どこか遠くで飛行機の音が聞こえる。
じっと、ノートパソコンを見つめた。
ノートパソコンもまたノリフジを見つめかえす。ディスプレイ上部についたカメラが、じっと。
パソコンの画面は三分割されて、それぞれの部屋を映している。
ノリフジ、デーブ、ミーコ。
ミーコはまだ下を向いたまま。死んでいるのか寝ているのか。
「起きろよ」
ノリフジは消しゴムを画面に投げつけた。
ストライク!
みごとミーコの頭頂部に当たったけれど、ぽよんとはね返ってどこかへ行ってしまった。
ミーコは動かない。
そりゃそうだ、消しゴムが当たったのはノリフジのノートパソコンで、実際のミーコはここから数キロ離れた団地で下を向いたままなんだ。
デーブが鉛筆を置いて、麦茶色の液体をごくごく飲んでコップを置いた。
ノートパソコンの画質じゃ見えないけれど、コップにはきっと、しずくがたくさんついてるんだろう。今日はそれくらい暑いんだ。暑すぎるんだ。
「あーもう!」
ノリフジはすべてがいやになった。
日曜日、学校がないというのにたらふく出された宿題の山。まるでノーアウト満塁。しかもランナーはすべて四球で埋まったかのようなやるせなさ。
2020年夏、数ヶ月間の学校閉鎖がもたらした勉強の遅れは、ノリフジたち中学生の楽しい休日を侵食するという最悪の結果をもたらした。
「バカやろう!」
いまノリフジには、まるで万年最下位チームのヤジのような汚い言葉しか出てこない。プロ野球だって開幕延期だ。死ぬほど好きな野球がない。これほど悲しいことはない。
「うるさいなあ……」
ミーコがようやく顔をあげた。
小さな顔の左半分は、ヒジを突いてたために赤くなってる。
まるで三年前までミラクルスターズに在籍していた赤ら顔の外人選手・ボーンナチュラルみたいだなと、ノリフジは思った。好成績にもかかわらず、メジャー契約が取れるからとチームを去ったあいつは、いまごろどうしているんだろう?
「ねえどこまで進んだの?」
ミーコは眠い目で画面越しにこっちを見つめてくる。
こうして見るとまあまあカワイイ顔だ。将来、球団の応援団・ミラクルガールズになれるかもしれない。
「宿題は進んでねーよ、デーブがサボってんだよ」
「さ、サボってるのはノリフジだろ!」
「いいからもう」
ミーコは立ちあがって、
「わたしケーキでも食べてこよ」
ちょんちょんとステップを踏むように部屋を出ていった。
「そんなんじゃミラクルガールズになれねーよ」
ノリフジは言った。
ひとりごとが聞こえたようだ。デーブが、
「おお、おまえ球場に行くことばかり考えてるんだろ」
「おまえだってそーだろ? プロ野球のない生活なんてまるでプロ野球のない生活みたいだぜ」
「ほ、ホントだなあ」
デーブはどこか宙を見てる。きっと我らがミラクルスターズの活躍を頭に描いてるんだろう。
いや違う! 我らが、じゃなくて俺のミラクルスターズだ。
ノリフジは身を起こした。手をついた机に消しゴムがあった。
「ピッチャー
ふりかぶって、消しゴムを投げた。
画面の中で驚いてるデーブに直撃。
「ストライク!」
「ど、どうしたんだよいきなり」
はね返ってきた消しゴムをうまくキャッチして、また投げる。
「ノーボールワンストライク、第二球を投げました!」
「カキーン!」
デーブが声をあげると、同調するかのように、消しゴムは画面に当たって大きくはね返り、ノリフジの頭上を越えていった。デーブの誇らしげな声が聞こえてくる。
「デーブ監督率いるミラクルスターズ、い、一番に抜擢されたドラフト一位の鈴宮、開幕戦で先頭打者ホームラン!」
「勝手に鈴宮使うなよ! 新人なんだからまずはファームだ!」
「へへ、これは僕のデーブスターズなんだ」
「ちっきょー、じゃあノリフジスターズの力を見せてやる! 大東ふりかぶって投げました!」
「カキーン! 二番江田島、右中間に大飛球!」
「と思ったがライトの幕張、フェンスギリギリでジャンプ! 捕りました!」
「おお、おまえ……」
あわやホームランと思われたがまさかのファインプレー。ノリフジはつづける。
「大東、投げました!」
「三番小原、バットを思いっきり――」
「振りましたがまったく当たらず! 三球三振です!」
「ぼぼ、僕の小原を!」
「つづく四番オーランドもまったく手が出ず連続三振! 一回の表終了です」
「よよ、よし! おまえがそうくるなら僕だって! デーブスターズ、開幕投手は去年の最多勝投手、ダイナマイトから移籍してきた
「勝手に移籍させんなよ!」
「僕の世界ではありなんだ! 五月雨投げました! スリーアウトまったく手が出ません!」
「まだバッターの名前言ってないぞ!」
「二回 三回、四回、五回、五月雨好調、無失点!」
「バカ! 俺にも打たせ――」
「六、七、八回、すごいぞ無四球無安打、パーフェクト継続中!」
「だから打たせろよ! もう九回だろ!」
「開幕戦パーフェクトゲームの偉業まであと三人!」
「まてまて! えっとバッターは七番の……」
「ピッチャー投げました。あーっと平凡なキャッチャーフライ、捕ってアウト! あとふたり!」
「まずいぞ八番は代打! 代打えーと」
「空振り三振!」
「まだ名前言ってねー!」
「さああとひとり! あとひとりで完全試合達成!」
「九番春川! スピードが自慢の俊足選手!」
「五月雨、第一球を!」
「投げた瞬間バントだ! ボールは三塁線を転々と転がる!」
「三塁は名手・猫田、すばやく捕って一塁へ!」
「春川、気合いのヘッドスライディング!」
「審判の手はアウ――」
「セーフ!! ついに最初のランナーが出ました!」
「ちち、ちくしょー!」
「ノリフジスターズはじめてのランナー。さあ一番はドラフト一位の鈴宮!」
「それはデーブスターズの一番!」
「俺のチームにもいるだろ」
「しかし鈴宮、お腹を壊してベンチから出てきません!」
「そんな! 卑怯だぞ!」
「ど、どうやらノリフジスターズもうベンチに選手は残っていないようです」
「なんでだよ!」
「これはこのまま試合終了か?」
「おっっとここで、ここで新しい情報が! なんと三年前にアメリカに渡り、メジャーリーグでも二刀流で活躍している
「ごご、剛谷!」
「さあ剛谷選手、バッターボックスに立ちました。すごいオーラ、すごい気迫だ!」
「ぎぎぎ……五月雨投手、ここで打たれるわけにはいかない。全身全霊、すべての力をふりしぼって、第一球、投げた!」
「剛谷、バットを豪快にフルスイング!」
「時速一六〇キロのボールが火を噴きながら一直線!」
「剛谷打ったああああ! ボールは大きく飛んでいく!」
「レフト春川、俊足を飛ばして追いかける!」
「ボールはグングン伸びていく! レフトの頭を越して、満員の観客の中へ、俺たちの夢を乗せ、全国の野球ファンの愛を抱き、すべての、すべての……いやなことなんか、悲しみなんか、コロナなんか、ちくしょー! 全部をふりはらい、いま白球はスタンドへ! スタンドへ! スタンドへ!」
「あーっとしかし! ポールの左側!」
「ニュースニュース!!」
画面が大きく揺れた。地震か! そう思ったけど揺れているのはミーコの画面だけだ。ミーコが部屋に駆けこんできた。口には白いクリームをつけて、興奮してる。
「大ニュース! いまテレビでやってる! プロ野球はじまるんだって! 開幕戦、来週から! これからチケット売るって! 球場行くと倍率低いって!」
ノリフジは自然に立ちあがっていた。
狭く暑いだけの部屋だった。どこからかまた、飛行機の音が聞こえてくる。
遅れに遅れたプロ野球開幕戦のチケット、いますぐに買いに行かないと、そう思った。
だけど……
デーブと目が合った。
興奮した赤い顔が、画面越しに見える。ハアハアと息が荒い。
まるで三年前までミラクルスターズに在籍していた赤ら顔の外人選手・ボーンナチュラルみたいだなと、ノリフジは思った。いい選手だった。
思い出した、たしかネットニュースに載っていた。あいつはすぐに3Aに落ちたけど、いまメジャー昇格のためにがんばってるんだ。
ノリフジはゆっくりイスに座り直した。
「ノリフジ!」
悲鳴のようなミーコの声が聞こえる。
「先に行ってくれ、俺たちまだやることがある」
「なにやんのよ!」
「試合はまだ、終わってないんだ」
デーブがニヤリと笑った。あいつもわかってるみたいだ。
「大飛球でしたがギリギリファール。まだ勝利の女神から見放されていません」
デーブが言った。
ノリフジもつづける。
「しかしさすがは剛谷、パワー十分。つぎの球で仕留めるでしょう!」
「ピッチャー五月雨、ふりかぶって――」
「バッター剛谷、バットをかまえて――」
「投げたあ!」
「打ったあ!」
鳴りやまない歓声が、心の中で聞こえた。こだました。
2020年、夏、これから。
脳内バトルプロ野球小学生vsコロナ 島崎町 @freebooks
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