第8話 迷いは無い

亜沙美のデスク


「ど、どうしよう、ああは言ったものの何て連絡すれば……。あっ、そうだ!メールするって言ってからしてなかったっけ。じゃあそれ口実にメールしてそれで、会えない?って聞いてみよう」

亜沙美の大きな一人言が誰もいないオフィス内に響いた。


しかしその前にやらなければならない仕事があることに気が付いた亜沙美は一旦メールは保留した。




二時間後、一通りのやるべき仕事を終えた亜沙美はまたメールを考える事にした。



「まず昨日は休日出勤ありがとうって事と次は実家に帰るときのスケジュール、最後に今日会えませんか?……うん、これで行こう」

亜沙美はついにメールを送った。



送ってから10秒後


「えっ?返信無い、何で?何かあったのかな。もう5分ぐらい経って……ないね…」

時計を見て冷静になった。


直人からの返事が待ち遠しすぎた、それ故に時間感覚が狂っていた。


こんな気持ちは初めてだった。

好きな人からのメールをただただ待つということは今までの人生で一度も無かった。




「えー、まだ来ないー」

亜沙美は座っているチェアーでぐるぐる回っていた。

その顔は不安のようなものでもあり不満のようなものでもあった。



その数秒後にメールが届いた。

「き、きた!!」


見るとそれは通販会社からのメルマガだった。

「違ぁーう!!今はお前じゃない!!いや、ずっとお前じゃない!!」


亜沙美は荒ぶっていた、こんな気持ちは初めてだった。

好きな人からのメールをただただ待つということは今までの人生で一度も無かった。




直人の部屋


直人は布団に仰向けになりながら昨日の事を考えていた、さとみの態度はいつもと違い、格好も見たことないようなおしゃれをしていた。


「やっぱりそうなのかな…。俺、めちゃくちゃ最低な事をしたんじゃ……」

さとみが自分に好意を持っていたのかもしれない、そう思った。



「だからわざわざあんな話をしてきたのかな。だとしたら竹下さんの事が好きって話をしたのはどうなんだ?……あぁ、わからん!!本人に確かめるとかそれも最低だしなぁ……」


両手で顔を覆い、しばらく止まっていた。



するとスマホからメール着信音が鳴った。

「ん?メール?誰からだ?」

確認すると亜沙美からだった。



「竹下さん!」

直人はガバッと起き、思わず正座でメールを読んだ。



「…………今日会えませんか?」

最後の一文に直人は少し複雑な気持ちになった、一瞬さとみの顔が浮かんだからであった。


「俺、このままで良いのかな…」


もちろん亜沙美の為なら何でもする、その気持ちは変わらない。

しかしさとみとの事でこの偽物のカップルという関係性が正しいのかどうかわからなくなっていた。


「そういえばさとみ言ってたな、それは俺がやらなければいけないことなんですか?って……」

直人はまた布団に寝転んだ。


「……竹下さんに確認してみるか、本当に僕達はこれでいいのかって。いや、それよりも好きだってこと言った方がいいのかな…」

しばらく天井を見つめる直人。



再度起き上がりメールを打った。

「………今日何も予定は無いので僕はいつでも大丈夫です」と

直人はメールを送った。


「それじゃ出掛ける準備するか、そういえば今日何も食べてないな……。まぁ、いいか」

冷蔵庫を開けても何も無いことがわかっていたので、そのまま外出することにした。




亜沙美のデスク



亜沙美はついにデスクに突っ伏していた。

「メールの返信が来ない時間ってこんなに辛いんだ、初めて知った……」


亜沙美は以前仕事と恋愛の両立を失敗した経験がある。

その時はメールの返信の事など何も考えていなかった。

後で返せばいい、時間が出来たらでいい。


フラれた理由は仕事の方が大事なんだろ?だった。



「確かにこっちがそんなことないって言ってもそりゃそう思っちゃうよね。だってこんなに辛いんだもん」

亜沙美はこれからは気を付けようと強く思った。



そこから数分後メールが届いた。

「きた!」


確認すると直人からだった。

「やっときたーー!」

両手を上げチェアーでぐるぐる回った。



「何々?……いつでも大丈夫です?じゃあすぐに会いたい!」

亜沙美はすぐにそう返信した。


直人からの返信を待たずに帰る準備を済ませ会社を出た。




直人のアパート前


階段を下りて駅に向かおうとするときにメールが届いた。

確認すると亜沙美だった。



「早いなぁ、えっと、…今すぐ会いたい?」

今までそんな事言ってきた事が無いし今は会社にいるはず。


「あれ?これ実は昨日何かやらかしてて怒られるやつじゃ?」

少し怖くなった。


でも返信しないわけにもいかないので

「今、どこにいますか?」

と返信した。


またすぐにメールが来た。

「会社出たところ」



「うん、これ電話した方が早いな」

直人は亜沙美に電話をかけた。




亜沙美のスマホに電話がかかってきた。


「…えっ?藤堂くん?」

亜沙美は焦った、まさか電話が来るとは思っていなかった。

画面をスワイプする指は微かに震えていた。



「も、もしもし。あっ、お疲れ様……。うん、えっ?今からこっちに?…じゃあ会社近くの公園で待ち合わせる?うん、わかった。じゃあ待ってるね」



亜沙美は胸がドキドキしているのが収まらなかった。

「………はっ!!ボーッとしてる場合じゃない!行かなくちゃ」



会社から五分程歩いたところに広い公園がある、芝生が広がりベンチもあるため周辺の会社で働いている人達の憩いの場となっている。


さすがに年末の為、亜沙美が到着した時は誰もいなかった。


「ここも誰もいないと雰囲気が違うわね、まぁ街中にも人がいないし、それもそうか」



亜沙美はベンチに座ろうとしたが昨夜降った雪の影響で濡れていたので諦めた。

「藤堂くん、通勤時間30分ぐらいって前に話してたっけ?じゃあまだまだかな…」

そのまま公園の出入口を見ながら立っていた。




直人は駅に向かっていた、途中スマホが震えたので横断歩道で止まる時に確認する。


由香からのメッセだった。



内容は簡潔に


『さとみの事は心配しなくて大丈夫です』


とだけ書かれていた。




「本当に学生の時から何でも見抜いてるような感じだよな」

直人はありがとうと返信した。



するとすぐに

『さとみに二人を祝福させてあげてください、そうすればさとみは次に進めます』

と返信が来た。



直人は横断歩道の前から離れて塀に近い所でその文章を何回も読んだ。


全てわかった。


そして由香がさとみの背中を押すために自分の背中を押していることにも気が付き、先程まで部屋にいた自分の事を思い出して恥ずかしくなった。


さとみと由香は共に戦ったんだ、それに比べて俺はどうだ?昨夜までの事を思い出し胸が熱くなった。


『情けない先輩ですまなかった、本当にありがとう』


上手く言葉が見つからなかったため情けないと表現をし、返信した。



横断歩道の信号が数えて五回目の青になったとき、直人は真っ直ぐ前を見て歩き出した。


もうその目には迷いはなかった。

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