第5話 カフェラテとライバル

十二月 仕事納め


午前中、オフィス内は怒号入り交じる戦場と化していた。


仕切り無しに鳴る電話とイラつきが混ざったタイピング音、そして。



「ここ、誤字!直して!!……もしもし?書類のサーバー保存まだですか!?……オッケー!じゃあ処理待ちの伝票を手伝いに行ってもらえる?」

亜沙美もあっちにこっちにと大忙しだ。


直人はその様子を見ていて仕方ないと思いつつもこういう時に亜沙美の一点集中型の性格が悪い方向に出るのも知っていた。


直人は作成した書類を印刷するとそのままオフィスを出て廊下にある自販機でペットボトルのカフェラテを買った。


それを書類と共に持っていく。

「竹下さん、確認お願いします。それとこれでも飲んで一呼吸置いてください」

「ん?あ、ありがと…」



いつからか亜沙美に余裕が無くなっている時には必ず直人がカフェラテを持ってくる、というのが当たり前になっていた。



以前、同じように忙しい時に亜沙美は余裕が無くなり周囲に当たり散らしてしまった事があった、それは直人にも同様に。


その時に亜沙美は周囲からの信頼度を下げてしまったがそれでも直人だけはついてきた、その時に直人がくれたのがカフェラテだった。


それを飲んだ亜沙美は何故か気分が落ち着き、急に先程までの自分の行動が恥ずかしくなり周囲に謝罪。

その後はスムーズに仕事がはかどり視野も広く持ち続けることが出来た。



それからも自分に余裕が無くなっていると直人がカフェラテを持ってくるようになった、それは自覚していない時でも気付かせてくれるきっかけのような物にもなっていた。


「……うん、これでいいよ。あと残ってるのは?」

「これで最後です」

亜沙美はカフェラテを一口飲んだ。


「…ふーっ、藤堂くん申し訳ないけど仕事回してもいいかしら?藤堂くんなら30分もかからないと思うから」

「はい、良いですよ」

「ありがとう」


説明を受けた直人はデスクに戻っていった。


もう一口カフェラテを飲んだ亜沙美は

「…しまった、また余裕が無くなってたのね」

と自覚してから

「……よし!」

改めて気合いを入れ直した。


ちなみにこの件はオフィス内では有名な光景であり、見る人が見たら長年連れ添った夫婦のそれのようだった。


上司と部下の関係を越えたやり取り。


クリスマスイブにさとみがやっぱりと言っていたのはその為だった。



戦場と化していたオフィスは昼過ぎには落ち着いていた。


この会社では毎年仕事納めの日は午前中だけ忙しく午後には大してやることも無くなるためデスク周りの整理整頓や掃除をする時間になっていた。



直人もデスクと周辺の掃除を行っている。

「藤堂くん、ちょっといい?」

「あっ、はい。何ですか?」

声をかけてきた亜沙美は申し訳なさそうに立っていた。


「さっきはありがとう、助かりました」

「…あぁ、いえいえ」

「それで、そのぉ、頼みたい事がありまして…」

「…はい」

「明日から連休のところ悪いんだけど明日だけ出勤してもらえないかしら……」


毎年仕事納めの翌日からは年末年始の連休に入るのだが店舗は営業しているのと物流が動く最終日は連休初日の為、何かあった場合に備えて毎年持ち回りで誰かが休日出勤しなければならなかった。


直人は転属したその年に教育係だった亜沙美と休日出勤した経験があり、そこからやっていなかったのでそろそろ来るだろうな、とは予想していた。


「はい、大丈夫ですよ」

「ありがとう」


休日出勤といっても一日中いるわけではなく午後二時頃に物流からかかってくる業務完了報告を受けたらそのまま帰っていいというのが毎年の決まりだった。

「まぁ、どっかで昼食食べてから帰ればいいしな」

直人は掃除を再開した。



「藤堂さん」

振り返るとそこにさとみがいた。


「あぁ、さとみ、おつかれ」

「お疲れ様です、あの、そのデスク拭いてるクロスってどこにありますか?うち、何故か無くて」


「あぁ、経費削減でフロアでいくつって数が決められちゃったんだよ。これがあるところ教えるから一緒に来て」

「はい、お願いします」

さとみは亜沙美の事を見た、亜沙美はそれに気付いた。


クスりと笑ったあとでさとみは直人に付いていった。



「な、ななななな、何?あの子!まさか!」

亜沙美は自分も行こうとしたが、そのタイミングで上司から呼ばれてしまった、会議に行かなくてはならない。


「もう、こんな時に!」

亜沙美は胸の辺りに痛みを感じながら会議に向かった。


「だ、大丈夫、きっと大丈夫。信じるのよ」

信じる?大丈夫?何を?私達は恋人のフリをした二人、実際に付き合っているわけではない。


亜沙美はもしかしたら自分の考えたことが間違っていたのではないか、もっと早くに素直に言っておけば良かったのではないかと後悔した。


そして急激に不安に襲われた。


今、二人で何してるの?何を話してるの?

気が気ではなかった。



会議の内容は年明けからのスケジュール確認で形式的なものだった。


会議が終わり亜沙美はすぐに戻った。


「もう!あんな内容なら社内メールでいいじゃない!!」

亜沙美はイラついていた、すぐに、今すぐに直人の顔が見たかった。


戻った亜沙美はすぐに直人を探した、デスクに座っている直人を見て心から安堵した。


さとみを探したがせっせと掃除をしていた。



自分の考えすぎだったのだろうか、いや、でも負けませんからと言われたし……。


亜沙美はまた少し胃が痛くなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る