光って消えたその先で

夢月七海

光って消えたその先で


 誰もが、無理だと言った。いや、僕自身、ほとんど不可能だと思っていた。

 それが、実現しようとする日が来るなんて、一年前の僕に言っても信じてもらえなかっただろう。


 二〇二〇年八月二十四日の種子島の発射場、こうして両足でしっかりと床を踏みしめているのに、どこか現実感がないのは何故だろう。

 硝子一枚隔てた向こうには、青い晴天を突き刺すように立つロケットがある。高さは十メートル弱で、ロケットの中では小型の方だけど、見上げるたびに嘆息するほど立派だ。


 大学の先輩方が続けてきた、小型ロケットで人工衛星を発射する取り組みを完全に引き継いだのは、去年のことだった。

 ロケットと人工衛星は完成していたため、後は発射のための許可取りや運送のやりくりが重要課題だった。なんとか二〇二〇年の初夏の発射が決まったのだが、その後勃発したコロナ禍により、僕はほぼ今年中の発射を諦めていた。


 しかし、そんな僕の背中を押してくれたのは、これまでプロジェクトを進めてきた先輩たち、苦楽を共にしてきた後輩たち、何よりも種子島の宇宙開発機構の皆さんの熱意だった。

 予定は二か月延期になったものの、こうして発射の日を無事に迎えられたのだから文句はない。こうしてどこまでも青い空が広がっているのを見ても、今日で良かったと心から思える。


 「いよいよですね」と、隣で後輩の物部もののべ君が、ネット配信用のカメラでロケットを撮りながら呟く。

 僕は頷いて、時計を見た。発射まであと三分を切り、周りのギャラリーも増えてきた。


 トーチが点火し、熱が陽炎となって揺れる。ロケットからは白い煙が微かに噴き出してきた。

 一分を切ると、物部君も含めたみんなが、カウントダウンを始めた。だけど、僕には一緒にカウントダウンをする余裕はなく、じっとロケットに目を向ける。


「ごー! よーん! さーん! にー! いちー! ゼロー!」


 皆がそう声を合わせた瞬間、トーチからオレンジの炎が噴き出した。真っ白な煙が噴き出して、嘘みたいなスムーズさでロケットが、空へ上がり始める。

 轟音は、僕らの元まではっきりと届き、硝子と建物が振動した。みんなと一緒に、僕も雄たけびを上げていた。


 あっという間に、ロケットは高く高く飛んでいく。白い煙をたなびかせ、山も雲をも越えて、遠くまで。

 わああああと歓声が鳴りやまない中、僕は口をぎゅっと結び、手を祈りの形に組んでいた。どうか、どうかこのまま、大気圏を突破できますように。


 瞬きをする暇も惜しむほどに、見つめ続けていたロケットはさらに上がっていき、もう目で追えるのはエンジンが燃える炎と発射台から続く煙だけとなっていた。

 落ち着いてきたみんなが、青空の中で星のように光るその点を、じっと目を凝らして眺めていた。


「管制室に行きましょう。そろそろブースター切り離しのはずです」


 物部君の一言に、僕は頷いた。

 管制室へとぞろぞろ連れ立って歩きながら、今頃あのロケットは、宇宙に行ってしまったというのに、まだ信じられない気持ちがあった。






   □






 外はすでに真っ暗だった。昼間の興奮が嘘のように、鳩尾は冷え切っている。

 何度も出したり引っ込めたりしたスマホの画面をじっと眺める。意を決して、発信ボタンを押した指は、情けないほどに震えていた。


『もしもし?』

「……先輩、お久しぶりです」


 電話を取ったのは、僕にロケット計画を引き継がせてくれた大森先輩だった。

 懐かしい声に泣き出しそうになるのを必死にこらえて、僕は口を開いた。


「先輩、申し訳ありません」

『ああ、うん。大丈夫だから』


 やはり先輩は、ネットニュースなどで情報を見ていたのだろう。僕の謝罪の意図を聞かずに慰めてくれた。

 発射されたロケットは、ブースターの第二段までの切り離しまではうまくいったものの、人工衛星だけになる前に地球の軌道を外れてしまった。現在は、太陽系の外へと向かっていき、そのうち信号も届かないほど遠くへ行ってしまうだろう。


『こうなったのには色々な要因があるから、自分ばっかり攻めるなよ』

「でも、先輩方がこれまで、たくさんの時間と情熱をかけて作った人工衛星を、僕は……」

『池端、こう考えてみたらどうだ?』


 もう一度謝ろうとした僕の言葉を、先輩は優しく遮った。


『あの人工衛星は、銀河系をどんどん進んでいって、人類未踏の地まで言って、そして遠い未来に、異星人か宇宙に進出した人類に拾われる――そっちの方が希望があるような気がしないか?』

「先輩は、ロマンチストですね」


 僕は知らずに微笑んでいた。

 先輩が研究所に在籍していた時、何度その言葉を先輩に言ったのだろうか。先輩の変わらなさに、僕は妙に嬉しくなった。


「どんな人が拾ってくれるんでしょうか」

『分からん。でも、絶対驚くだろうな』


 硝子越し、大気圏越しの宇宙を見上げる。澄んだ空気の中で、星がきらきらと輝いていた。

 あの星たちの間を縫うように、ロケットが飛んでいくだろう。いつの日か、誰かが拾わるその時まで。






   ◇






 今夜の星もまた綺麗だ。まあ、惑星にある管理棟の基準時間では、地上はまだ昼の十三時なんだけど。

 ご飯も食べ終わって、私はぼんやりと一人で球体型人工衛星のモニターから、広大な宇宙の光景を眺める。


 この先に、私たち人類が生まれた地球があるのだということは、知識としては知っていても中々実感は生まれない。私自身は、開拓地惑星出身であるからということと、何万光年と離れているため地球の姿はここからでも見えないのが理由なんだろう。

 そんな感傷的な気持ちでいると、後ろのスピーカーからこの人工衛星に搭載為されたAIのJrが起動する音が聞こえた。


『ハカセ、お母さまから音声メッセージが届いています。再生しますか?』

「いつ帰ってこれるか、でしょ? 大丈夫だから」


 私はあっさり断った。一人娘である私が、もう何年も宇宙生活を続けていること心配していることは分かるけれど、郷愁を上回るほどここが快適だから、あまり帰りたくなかった。

 当然のように、Jrは私に対してくどくどと説教を始めたけれど、モニターの向こうに気になるものを見つけて、私は「ちょっと待って」とそれを止めた。


「ねえ、あそこで何か動いていない?」

『……確認します』


 Jrは、衛星外のカメラで私が指差す先を確認し始めた。画面の上の方で、右から左、まるで彗星のようにゆっくりと光る何かが動いている。

 分析は意外と時間がかかった。距離的にこことぶつかることはないだろうけれど、私の仕事は無人惑星に不時着した宇宙船の救難信号をキャッチすることだから、あれも何か事故などとと関係あるのではないかと気が気ではない。


『分析完了しました。あれは、旧型ロケットの先端部分のようです』


 Jrの撮った画像が、モニターにアップされた。確かに、ロケットの頭らしい、白い三角の部品である。

 だけど、こういう形のロケットは、教科書でしか見たことが無かったから、私には新鮮だった。


「いつのロケットか分かる?」

『発射記憶帳にアクセスしましたが、あれと思しきものはどこにも……少々お待ちください、側面に何か記録されています』


 Jrは画像の一部を拡大した。そこには、「8.24.2020」と刻まれている。

 私は、驚きが胸いっぱいに広がっていくのを感じた。二〇二〇年は、まだ民間宇宙旅行も実現していない、宇宙開発の黎明期のはずだ。あの頃のロケットが、ここに浮かんでいるなんて。


 確か、時空間ワープが発見されたのが二十五世紀で、私の出身の星の開拓が始まったのが二十六世紀だったはず。それ以前にこのロケットは偶然時空間ワープを潜って、私のいる三十世紀に来てくれたんだ。

 画像に刻まれた、「2020」の文字を食い入るように見つめる。このロケットを直接触ってみたい、このロケットを飛ばした人たちのことを知りたい。そんな衝動に、私は支配されていた。


「……Jr、管制塔にメッセージを送って」

『かしこまりました。なんとお書きしましょうか』

「由来不明のロケットを発見しました、安全を考慮して、速やかに回収してください、って」


 興奮を抑えながら、私は冷静にそう告げる。だけど、目線は彗星のような白い点が流れていくのを追い続けていた。

 回収されたロケットは、宇宙博物館に寄贈されるだろう。これを宇宙に送り届けてくれた、先人たちの名前も共に記されて。
























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光って消えたその先で 夢月七海 @yumetuki-773

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