A New Gate Opens

次元つぐ

第1話

「さあ、これが私の肛門だと思って……そう、尻の穴を通すような気持ちで、集中して打つんだ」

「針の穴を通すみたいに言わないでください」

 夏の太陽が照り付けるグラウンドの一画。

 スティックを手に持ち、ボールと第一ゲートを交互に見ながら意識を集中させようとしていると、部長が初っ端から酷い下ネタをぶっこんでくる。

「ミスったら、ゴールポールを尻に突っ込まれながら『らめぇ、新しいゲート開いちゃうのぉぉぉ~~~』って叫ぶの刑だから」

「最低なタイトル回収……」

「私とゴールポール姉妹になりたくなければ、せいぜい頑張ることだ」

「ゴールポール使って変なことしてるの告白しないでください」

「いや、後ろではまだやってないぞ。ただちょっと、膜を破っただけで……」

「なお悪い……」

「ははっ、冗談だ……………………………………………………………………………」

「何ですか、その意味深な間は……」

 気づけば、部長が声を発するたびに、わたしはツッコミをしなければならなくなっていた。

 どうしてこうなった。



 高校に入って間もなくあった部活紹介で、イケメン(女子)を見つけた。

 次はゲートボール部の紹介だと聞いて、「ゲートボール部……?」となったのも束の間、ステージの上に現れた人物に、わたしの目は釘付けになった。少し色素が薄いショートカットの髪に切れ長の目、少し面長で顎が細く、声は低く落ち着いているけどよく通るイケボだった。

 それがこのイケメン風お下劣ド変態部長だったのだ。

 部長の本性など知る由もなかった当時のわたしは、一目惚れした。

 ゲートボールなんて正直あまり興味なかったけど、イケメンにお目にかかるために、わたしは部室のある部室棟に向かった。

 扉を開けようと引き手に手をかけたところで、後ろから声が聞こえた。

「後ろの門がガバガバだぜ、新入生」

 そのときのわたしは、まだ部長によって毒される前でピュアだったので、それが下ネタとはわからなかった。おそらく「背後がガラ空きだぜ」的なことなんだろうけど、ちょっと酷すぎるのではないか。

 振り向くと、イケメンが私の腰からお尻の辺りに取りついて、そこに向かって話しかけていた。

「なっ、何してるんですか……」

「私は女子の尻の匂いを嗅ぐのが趣味なんだ」

「え、変態……」

「すまない、どうか私を許してくれ。私の前世は雌犬ビッチなんだ」

 そう言いながら、なおもわたしの後ろから離れようとしなかった。

「いや、前世がビッチとか知りませんけど……というか、いつまでそうしてるんですか」

「ふむ……」

 そう言って部長は静かに立ち上がった。すらりと背が高く、近くに立つと、見上げる形になった。やっぱり見た目は良かった。

 部長はくるりとこちらに背を向けると、大きめに脚を開いた。それから、スカートを暖簾のように押し開きながら、股の間から顔を覗かせて言った。

「ようこそ、ゲートボール部へ」

 何だそのポーズ。



「あれは、ゲートからこんにちは、って感じのつもりだったんだが」

「そうですか……。というか、下ネタ言ったり、セクハラしたり、そういう変なことばっかやったりしてるから、誰もこの部活に寄りつかないんですよ」

「でも、お前は来てくれた」

 部長は何かいい感じの笑みを向けて言ってくる。

「それはそうですけど」

 ずるいんだ、この変態は。

 ふだんは最低だけど、ふとした拍子にこうやって何かいい感じの表情を見せるのだ。部長のその顔でそんな表情を見せられたら、わたしみたいなのは、だめなのだ。

「そういえば」と、思いついたように部長が言う。「お前はなんでここに入ったんだ?」

「それは……」

 わたしは言い淀んだ。いきなり訊かれたので、何も言う準備がなかった。

「……別に。そういう部長は、なんでゲートボールやってるんですか」

 まったくうまくない誤魔化し方だったけど、強引に部長に話を振った。

「私か? そうだな、それは、門に惹かれたから……導かれたからといってもいい」

 部長が門とか言うと、もう卑猥なことにしか聞こえない。

「人間は門から生まれ、また門へと帰っていく。そして人間自身、一つの門だ」

 けど、わたしの予想とは裏腹に、部長は何か難しいことを話しはじめた。

「飛門、戸門、吸門、噴門、幽門、蘭門、魄門。人間の身体は門に貫かれている。いわば肉体の門だ。門というのは象徴なんだ。肉体だけじゃない、この宇宙の極小から極大までをも貫く一つの論理だ。ゲートボールをプレイするということは、一つの隠喩であり、儀礼であり、再生であり、予行であり、予言であり、預言なんだ。私はボールをゲートに通すたびに同時にそれらを行い、物事は次の段階へと進む。私は常に進化するためにゲートボールをやっているんだ」

 門の哲学を語り終えた部長はわたしのほうを見た。

「……というのはどうでもよくて、ただ単純に、楽しいだろ?」

「そう、ですね」

 たしかにそうだった。はじめゲートボールなんて聞いたときには、お年寄りがやるものというイメージしかなく、面白そうにも思えなかった。けど実際にプレイしてみて、初めて自分でボールを打ち、ゲートを通すことができたとき、その達成感と満足感は、今までに感じたことのない種類のものだった。

 ゲートボールは率直に言って楽しい。でもわたしがここにいるのは、そのためだけではなかった。

「いやー、しかし暑いな。なんといっても2020年の夏だからな。2020年の夏! 2020年の夏といえば特別だ。……特に何がというわけでもないが」

「要項を満たすためだけに不自然に2020年の夏を連呼しないでください」

「何のことだか皆目わからんな」

 それはともかく、暑いのは本当だった。今日の夕食は照り焼きにしようとでも決めたかのごとき太陽が、頭上にはあった。

 わたしは、何かあれば太陽のせいということにしようという、ムルソー以来の伝統に則ることにした。いいかげん、わたしもどうにかしなければならない。

「……部長、勝負をしませんか?」

「何だ、藪から棒に?」

「わたしが勝ったら……わたしと付き合ってください。あとついでに下ネタ禁止」

「ほう……?」

 部長は何かを察したような笑みを浮かべた。

「さっき、ここに来た理由を訊いたとき、はぐらかしたのはそういうことか。……まあいいが、私が勝ったときはどうするんだ?」

「そのときは……煮るなり焼くなり、好きにしてください」

「そうか。では、お前の発展途上門の開発を進めよう。政府開発援助も受けねば」

「わたしの門は発展途上どころかまだ未開ですが。部長はもうとっくに先進国の仲間入りでしょうけど」

「馬鹿な。私だってまだ開発中だ」

 我ながら酷い会話だと思う。

「……で、どうするんだ」

「シンプルにいきましょう。早く上がったほうの勝ちということで」

「おっけー」

 軽いな部長。

 ゲートボールは通常、15m×20mのコートを使う。杵のような形をした、スティックと呼ばれる道具でボールを打ち、コート上に設置された第1から第3のゲートに順に通した後、最後に中央のゴールポールに当てると上がりになる。基本的に、1打席に打てる回数は1回だけど、ゲートを通過させたときには続けてもう1回打つことができる。

 本来は5人対5人のチーム戦だけど、うちにはわたしと部長しかいないので、ふだんは一人で何役もやって模擬的にチーム戦をしたり、近所の公園でやっているお年寄りたちに混ぜてもらったりしている。でも今回は完全に1人1球の1対1だ。

 わたしが先攻になり、なんとか1打席目で第2ゴールの近くまで寄せることができた。部長の第1打席……部長はぷるぷる震えていた。

「ええ……」

 近所のお年寄りたちでも見たことがないくらいよぼよぼで頼りなく、案の定打ったボールもひょろひょろで、1打席目は失敗だった。方向が反れていたけど、そもそもゲートまで届いてすらいなかった。第1ゲートはスタートエリアから1発で通さなければならず、それができるまでは何打席もやり直しになる。

「大丈夫ですか、部長」

「大丈夫だ、問題ない」

「それ大丈夫じゃないやつ」

 はじめこそ、こちらが有利になるだけだからいいかと思っていたけど、2打席目、3打席目も失敗しているのを見ていると、だんだんと心配というか可哀想にすら見えてきた。

 奇跡的にうまくいけば1打席でも上がれるはずだけど、普通は最短で2打席5打というところで、わたしの場合はうまくやって4打席7打という感じだ。5打で上がれたのは、わたしはこれまでに一度だけだけど、部長が最短で上がるのは何度も見てきた。だから、普通に考えて部長が負ける可能性は低い。なのにこれは……。

 今日のわたしは調子が良く、4打席で上がることができた。そして問題の部長の4打席目……奇跡が起き、部長はその打席だけで第1から第3までのゲートを通し、上がった……ということはなく、普通に失敗した。

 部長よわ……。

「わ、わざと負けたに決まってるだろう……」

 そんなぷるぷるしながら言われても。

「じゃあどうしてわざと負けたのかって話になりますけど」

「そ、それは、べ、別にいいと思ったんだ。お前と付き合ってやっても……」

 そのまま受け取れば、わたしには嬉しい言葉だけど、それがただの強がりだとしたら、それは嘘ということになり、わたしは否定したくなかった。

 これでは、部長がガチで負けたにしろ、本当にわざと負けたにしろ、すっきりしない。

「あー……もう、なしでいいです、この勝負」

「いいのか、本当に……?」

「なんか、馬鹿らしくなっちゃったので」

 結局、わたしは何がしたかったのか。

 わたしは、本当は負けたかったのかもしれない。部長には、自分より強くいてほしかったのかもしれない。よく、わからない。

 よくわからないので、全部、夏の太陽のせいということにしておこう。

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