第6話 6

 ルエキラはそのとき不機嫌だった。どちらかというと温和な彼にしては珍しく腹を立てていた。

「では、本日の議題です。ふた月後に迫った大祭についてですが……」

 神殿のおもだった者たちが白い大理石作りの広間に集まり、定例の会議を始めるところだ。最長老こそ出席はしないが、五人の長老やそれらの補佐、そして三十五人の神官。

 壁には会議には参加できないが、見学を許された神官学校の学生たち。もちろん一番年若いとは言え末席にルエキラは座っていた。

 ルエキラは会議の内容もろくに聞かず、いらいらと石板にペンで意味のないことを書き連ねていた。

 その原因は五日前に届いた王からの親書にある。

 テアの同意をもらった翌日、彼はさっそくその旨をしたためた手紙を王の側近に手渡した。返事は少なくとも七日はかかるだろうと言われたが、どうしたことか電光石火の勢いで、なんとその二日後には館の方に届いたのだ。

 しかし、王の返事はあまりにもそっけなかった。

『不可』

 ただ一言。

 その詳しい事を問いただそうと、ルエキラは折り返し王への謁見の約束を取り付けた。

 それが今日なのだが。

 会議の内容は、最長老の衣装の打ち合わせから、当日までのそれぞれの仕事の内容等、大事からごくさまつなことまで、多種多様にわたった。

 前回の会議でルエキラは楽士を言い付けられたのだ。今回彼の出る幕はないだろうと彼自身信じていた。だから、会議の方には耳も貸さずに、王に対しての質問事項を頭の中で思いめぐらしていた。

 なぜ反対なさるのか、いつになったらそれを許してもらえるのか。

 幾度も頭のなかで繰り返した。

「では、次に祭り後の人事に関することです。現在コトシュの谷に努めておりますロセッサ・ニトがその任期を今年いっぱいで終えますので、次なる人選をしなければなりません」

 コトシュの谷はウィルカから、さらに険しいビルカ山脈の奥深くにあり、最長老が一年の大半を過ごすところだ。壮麗な神殿があり、そこで最長老はラバァタ神と直接語り合うと言われている。しかし、それは噂と憶測でしかない。コトシュのようすを語ることは、すべての者にとって禁忌とされているからだ。

「その件は検討するのに時期尚早ではないか」

 長老の一人が発言した。他の者たちも同意の挙手をした。

「そうとは、思いませんな」

 小柄で肉付きのよい丸はげの長老リッシ・ニクテスが皆の同意を遮った。

 皆は眉をひそめた。彼は地位に反して信頼が薄い。それというのも彼に関することはいつも芳しくないからだ。計算高く、信者から多額の浄財をせしめ私服を肥やしているとの専らの噂だし、更には王族との黒いつながりもあるとささやかれているからだ。

「コトシュの任務といえば、一生涯に一度あるかないかの重大なことではないか。それをあえて後回しにすることなどできるはずがない」

 ニクテス長老は得々と語り始め、さらに続けた。

「谷に務める者として私は、アサフ長老補佐の推薦もあり神官のルエキラ・セルキヤを押したいと思う」

 広間は一気にざわめいた。名前まで出すとは誰も予測していなかったのだ。

 ルエキラは突然のことに一瞬ほうけたようになってしまったが、すぐにその意味を介した。

「何故ですか」

 そう間髪を入れず質問したのは、ルエキラではなく、険しい表情をしたアサフ教官そのひとであった。

「何故、とはこれは面妖な。セルキヤ神官を薦めたのは君ではないか。まず、彼には優れた霊視能力と歌曲に関する深い造詣がある。加えて人柄も責任感が強く、目下の者の面倒見も良く、礼儀をわきまえた好人物であること。確かにまだ年若いが前例がない訳ではない。君のようにな。彼自身の今後の神殿務めの為にも大いに勉強となるであろう」

 ニクテスは澱みなくそう言い切った。聞いている本人もがあきれかえってしまうほどの過大評価だ。

 アサフ教官は射るような眼差しでニクテスを見ている。

「確かに私はルエキラ・セルキヤを推薦した。だがそれは谷への職務にではなく、奏曲部から療治部への配置転換のことです。どこの誰に頼まれたのかは知らないが、勝手に私の名を語り、彼をその任につかせようとすることなど、私は許すことができませぬ」

「なに、私の発言を語りというか。たかが長老補佐の地位でこの私を愚弄するか」

 アサフの巻き返しにニクテスも黙ってはいない。はげた頭から汗を流しゆでた鮹のように真っ赤になりながら猛烈に反発する。

「待ちなさい。ニクテス長老。いま重大なことは、おのおのの地位の高さではあるまい。どちらの言い分が真実かということであろう」

 静かにそう諭したのは、長老をまとめるセラヤ長老であった。

「この件に関しては不問とみなす。谷への人選は後日執り行う。皆の者もそのように心しておくよう。ニクテス長老、そなたの発言は軽はずみすぎたな」

 セラヤ長老は立ち上がり冷やかな視線をニクテスに送った。そして会議はそれきり終了となった。


 会議終了後、ルエキラは足音も高く王宮へと続く回廊を足早に歩いた。爪が食い込みそうなほど拳を強く握り締め、怒りのせいで胸が高鳴り、くらくらとめまいさえする。

「まて、ルエキラ君、どこへ行こうというんだ」

 すぐ後ろからアサフ教官が追いすがった。しかし、ルエキラは振り向かない。

「いいんです。あの件は教官の責任ではありません。私には心当たりがあります」

 ずかずかと紫微城の一の門をくぐる。神官はなんら咎めを受けない。彼らの通行は自由なのだ。更に二人は王の執務室へと歩を進める。その部屋の方向にルエキラが進んだとき教官は答えを導きだしたようだった。

「まさか、ルエキラそれは憶測でしかないのだろう、思い直せ、早まるな!」

 教官は慌ててルエキラの腕をつかんだ。しかし、ルエキラはそれを振りほどくと二の門の前に立つ衛兵に証文を渡し、さっさとその奥へと行ってしまった。

 教授は衛兵に止められた。これ以上は事前に申し込んで証文を持ったものしか入ることは出来ないからだ。

「やめるんだ!」

 教授の叫び声は石の歩廊にこだました。しかし、怒りに燃えるルエキラの耳には届かなかった。


「これはこれは、ルエキラ・セルキヤさま。早いお出ましでしたね。約束の時間までにはまだ間がありますので、お茶でも差し上げましょう。……ルエキラ様、ルエキラさま! 何をなさるのですか。王はまだ執務中です。衛兵! 衛兵!」

 ルエキラは止めにかかった大臣を突き飛ばすと、執務室の扉を勢い良く開け放った。

「婿殿。ようこそいらした」

 王は涼しい顔で、書類から目を上げた。元来、ネブカドネザル王は尚武の気質をもっている。そのため老年にさしかかったとはいえ、逞しい体を持ち、さらには威厳と相手を威圧するようなものを身につけていた。

 そこに大臣に呼ばれて慌てて駆け付けた二人の衛兵があらわれ、ルエキラの腕を両側からつかんだ。

 しかし、激高している今のルエキラにはそれすらはねのけるような迫力をみなぎらせた。

「衛兵、よい。さがれ」

 王はそう軽く言うと、衛兵を追い返した。衛兵らは一瞬ためらったが、ルエキラから手を放すと、扉の向こうに去って行った。ルエキラは扉が閉まり、足音が遠くに去ってから会話の口火を切った。

「先程の会議で、コトシュの谷への赴任を言い渡されました」

 王は総てを見透かすような表情で口元を少し歪めた。

「殺気立って訪れたので何か大事が起こったと思ったが、その報告だったとは。たいしたものだ。神官長の地位についてからわずか半年余りでコトシュに推薦されるなど名誉あることだ。だが今日はテア姫の事で話し合うのではなかったか」

「むろん。この件はテアと関係があるのでしょう」

 来る道々考えていたことを少しずつ言葉に置き換えていく。

「谷への赴任は栄転と言えるかも知れませんが、過去何回か外の手段にも用いられたことをあなた様ならご存じでしょう。そう、追放です。私のこの件は追放とまではいかないでしょうが、目障りなものをこの都から一時的にでも排除するには有効な手だてですね」

「ほう。君は誰からか恨みを買っているのかね」

 あくまでしらをきりとおす王が逆にこっけいにみえてしまう。

「とぼけるのがお上手だ……。そうまでして私と彼女とを引き離しておきたいのですか。結婚の条件として別居を上げ、テアを城から引き取りたいと言えば、無下に却下する。そして次なる手段は私を山奥に追放ですか」

 そう一気に言葉を吐き出すと、ルエキラはせいせいと肩で息をした。拳はまだ強く握っている。

「何を根拠にそのような事を言うか。曲がりなりにもニクテス長老からの推薦を蹴るというのか」

 くくっ、と低い笑い声が口からもれた。

「私は彼から推薦された、とは一言も申しておりません」

 王はその言葉に一瞬鼻白んだ。

 王とニクテス長老がいぜんからつながりがあるとささやかれていた。ネの国全土をが崩壊しかけていたとき、ラバァタ神への信仰もまた、薄れていたのだ。王は、欲深いニクテスと手を組み、国と宗教を再興させたというのだ。しかし、それが軌道にのるまでは、同族とはいえ異教徒は徹底して弾圧をしたとのことだ。

 だが王はすぐにいつもの余裕をあらわした。

「私は何も一生テアを手元におくわけではない。テアを君のところに預けるには君にはまだことたりぬ。考えてもみたまえ。あれは体が弱い。よって多額の薬代が必要だ。王族出身であるということを辱められないような生活をさせてもらえることを強く望む。なにせ、他国も含めて王族以外に嫁した姫はテアばかりだからな」

 悠々とネブカドネザル王は答えた。しかし、それは愛娘のさきゆきを心から思う父親のそれとはどこか違っていたるように感じられた。

「ネブカドネザル王。私は何故あなたがそうまでしてテアを束縛したいのかわかりません。しかし、これだけは覚えていなくてはなりません。わが尖耳族がこの地に流されてより三万年。完全に王宮から独立を守ってきた神殿にわずかでも介入した過去の王の末路をご存じならば今回のようなことはやめるべきです。”常に真理はラバァタにあり”この言葉を存じ上げないわけではないでしょうから。では失礼致しました」

 ルエキラは深々と頭を下げ最敬礼をすると、踵を返し去っていった。

 残された王は手にしていた書類を思い切り机にたたき付け低い声で唸った。

「大臣、次に奴が来たらいかなる理由を述べても入り口で引っ捕らえろ!」

 その声は、立ち去るルエキラの耳にまでとどいた。

 

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