180話:体育祭本番です!



 梅雨真っ盛りのこの時期としては幸運なことに晴天に恵まれて、体育祭は予定通りの日程で開催されることになった。

 

 子供の晴れ姿を一目見ようと多くの親御さんや暇を持て余した卒業生が来ており、まだ開会式も始まっていないというのに校庭は異様な熱気に包まれている。


 そんな中俺は、校庭に各クラスごとに設けられている簡易テントの中から燦々と輝く太陽を眺めながら、空に向かって心の中で張り切らなくてもいいんですよと恨み言を呟く。


 時刻はまだ9時前だというのに湿度が高いせいもあってじんわりと汗がにじみ出て止まらない。


「去年経験したはずなのになんだか緊張してきましたね、勇也君」

「そんなことよりいったん離れようか? というか楓さん、あなた絶対に緊張してないよね?」


 俺の手をぎゅっと握り締めながら楓さんが話しかけてきた。その表情は言葉とは裏腹にとても楽しそうにしていた。おかげでこれから整列して校長先生や来賓の方々のありがたい長いお話を聞くのに、周囲から寄せられる憎悪の視線に俺のライフがゴリゴリ削られている。


「えへへ。去年は退屈な校長先生のお話も勇也君と一緒なら耐えれそうです」

「それは何よりだけど、俺は色んな意味で耐えられないかもしれないです」


 主に周囲からの〝イチャつくんじゃない〟という抗議の視線と〝そこを変われ〟という憎悪の眼差しのせいでね。楓さんと手を繋ぎたくないわけではないけど、今は控えてほしいかな。


「むぅ……わかりました。そこまで言うなら今だけは離れますね。今だけは」


 大事なことだから二回言いました、と言って楓さんは手を離した。だが俺との距離は離れるどころかむしろ肩が触れるくらいに接近してきたのでむしろ逆効果だ。


 ふわりと爽やかな柑橘の香りに心が穏やかになるが、体操服の首元からチラリとのぞく白く綺麗な鎖骨とそこにじんわりと滲む汗が健康的な艶美さがあって否が応でも心臓の鼓動が速くなる。


「フフッ。どうしたんですか、勇也君? 顔が赤いですよ? はっ!? もしかして熱中症ですか!? 早く水分を摂らないと!」

「大丈夫だからこれ以上密着して来ないで! むしろ少し離れてくれたら治るから!」

「勇也君、熱中症は甘く見てはダメです! 体育祭が始まる前にリタイアするつもりですか? 保健室で一日横になると? まぁそれはそれで勇也君を合法的に看病できるので私は構いませんけどね!」


 そう言いながらぐへへとだらしない顔で笑う楓さん。看病してくれるのは嬉しいはずなのに不安を覚えるのはどうしてだろうか。


「郷に入っては郷に従えと言いますし、勇也君を看病するのに体操服は相応しくありませんよね。やはりナース服に着替えないと!」

「うん、楓さんがまともに看病する気がないことがよくわかったよ。どうして学校の保健室でコスプレするのかな!?」

「お母さんが言っていた。男の子はナース服に弱いって」


 桜子さんから教えてもらったろくでもない知識をどこぞの〝天の道を行き総てを司る男〟の決め台詞のような口上で披露する楓さん。


「うん、だいたいわかった。俺は金輪際風邪をひけないね。楓さんに看病されるわけにはいかないな」

「そんなぁ……どうしてそんなことを言うんですか!? 私に勇也君を看病させてくださいよぉ! 汗ばんだシャツを脱がしてハスハスしたり背中を拭いてあげたりしたいです!」


 頬を蒸気させ、ハァハァと鼻息荒くずいっと顔を近づけてくる楓さん。そんな看病をされたら元気になるもの元気にならないと思う。いや、別の意味で元気になるかもしれないがそれ以上は言うまい。


「二人とも。イチャイチャするのはいいけどその辺にしておきなね?」


 呆れた様子で声をかけて着たのは二階堂だった。げんなりとため息をつきながら楓さんの肩を掴んで俺から引き剥がした。助かった。


「まったく……しっかりしてよね、吉住。そんなんだから楓が際限なく甘えるんだよ?」

「あ、あぁ……気を付けるようにするよ」

「楓も。吉住が大好きなのはわかるけどほどほどにしないとダメだよ? 体育祭が始まる前からクラスのみんなをぐろっきにーにするつもり?」

「はい……調子に乗ってごめんなさい。反省します」


 そう言ってしょぼんと俯く楓さん。もしも彼女が子犬なら耳と尻尾を下ろしていることだろう。その姿を想像してみると何とも可愛いな。つい頭を撫でて甘やかしたくなる。だがその衝動を我慢をしないと二階堂からなんて言われるか。


「はいはい。本当に楓のこととなると吉住はポンコツになるね。楓のことを撫でたいって顔に書いてあるよ」

「……そんなバカな」

「何度も言っているけど吉住は顔に出やすいんだよ。ほら、そろそろ開会式が始まるから行くよ」


 二階堂に言われてあたりを見渡してみると、ぞろぞろと校庭にクラスごとに整列が始まっていた。伸二や大槻さんはすでにその中に加わっている。むしろまだ並んでいない俺達が遅いくらいだ。これ以上悪目立ちはしたくない。


「ほら、いつまでもしょんぼりしていないで俺達も行くよ、楓さん」


 俺は言いながら自然と楓さんの手を取って歩き出していた。まずい、これを見られたら二階堂になんて言われるかと焦ったが、嬉しそうに破顔する楓さんを見たら離すに離せなくなった。楓さんのこの顔には抗えない。


「えへへ。今年の体育祭、優勝目指して頑張りましょうね、勇也君!」


 楓さんの応援があれば負ける気がしない。

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