海の日SS:梨香ちゃんとプール

 夏休みのある日のこと。朝から茹だる様な暑さの中、エアコンの効いたリビングで楓さんと宿題をしていたら突然電話が来た。相手はタカさんだった。


『もしもし? 勇也か。オレだ。今大丈夫か?』

「またオレオレ詐欺の電話ですか? 今度こそ本当に警察に電話しますよ?」

『おいコラ! このくだりは春にやったよな!? 4月頃にやったよな!?』

「そうだったけ? 3か月くらい前のことだからもう記憶にないかな」


 というか要件は何ですか? 俺は宿題で忙しいし、タカさんとこうして電話をしているだけで、正面に座っている楓さんの頬がみるみるうちに膨れてきて大変なことになっているから早く要件を話してくれないかな?


『あぁ……そのことなんだが……俺としては非常に癪で出来ることなら頼みたくないだが、梨香がどうしても〝勇也お兄ちゃんがいい!〟って聞かなくてな? 業腹なんだが愛する娘の願いを叶えないわけにもいかなくて……』


 タカさんが悲痛な声でボソボソと言い訳じみたことを話したことをまとめると、つまりこの電話は梨香ちゃん絡みと言うことだ。それが分かった瞬間、楓さんの頬はさらに膨らみ、眉が一段階下がった。臨界点まであと少し?


「もう、煮え切らないなぁ。梨香ちゃんがどうしたの? もしかして宿題手伝って欲しいとか? それなら家に来て一緒に───」

『あっ、いや。宿題だったら俺も別に構わないんだが、というか見てやってほしいくらいなんだが……ちょ、梨香? 今勇也と話しているからちょっと待って───もしもし、勇也お兄ちゃん!?』


 元気いっぱいの梨香ちゃんの声が聞こえてきた。うだうだして話を前に進めないタカさんに業を煮やして奪い取ったようだ。


『あのね、勇也お兄ちゃんにお願いがあるんだけど……いいかな?』


 切実な声で尋ねてくる梨香ちゃん。きっと電話の向こうでは断られたらどうしようって不安になっているに違いない。俺の目の前にいる楓さんは不満そうだけど。


「うん。俺でよければ何でも聞くよ。どうしたの?」

『実はね、勇也お兄ちゃんと一緒にプールに行きたいの!』


 梨香ちゃんからのまさかの申し出に俺は一瞬フリーズし、楓さんはムンクの叫びのような顔で声にならない悲鳴を上げた。



 *****


 電話の翌日の午後。早速俺達は市民プールにやって来ていた。ここは泳ぐ専用の50mプールだけでなく楽しく遊べる流れるプールやスライダーもあり、さらに疲れを癒すミストサウナなどもある屋内遊泳施設である。


「勇也お兄ちゃん、今日はたくさん遊ぼうね!」

「今日も元気だね、梨香ちゃん」


 小学校で使っているスク水を身に纏い、拳をぐっと握り締めて元気百倍な梨香ちゃんの頭をポンポンと撫でた。


「何から遊ぶ? 梨香はね、勇也お兄ちゃんと一緒にウォータースライダーに乗りたい!」


 俺の手を取って早速歩き出そうとする梨香ちゃん。ちなみに俺達をここまで送ってくれた春美さんは併設されている温泉に入ってくると言っていた。タカさんはお仕事で来られず、血の涙を流していた。


「私は一緒の浮輪に乗って流れるプールで遊びたいです!」


 小学二年生の女の子に対抗するかのように俺の腕を取る楓さん。


「それもいいけど……その前に楓さん。その水着はいつ買ったんですか?」


 沖縄で着ていたビキニでもなく、お風呂に入る時によく着るサイズ感の合っていないスク水でもなく。今日の楓さんは本格的な競泳水着スタイルだった。しかしこれはこれで目に毒だな。


「こんな日が来るんじゃないかと思って、あの日一緒に買っておいたんです! どうですか? 似合っていますか?」


 言いながら、楓さんは膝に手をついて前かがみになって俺の顔を覗きこんでくる。俺は思わず目を逸らした。


「勇也君以外の人にあまり肌を見せたくなかったのでビキニとは別に買ったんですけど……可愛くなかったですか?」

「何を言っているの、楓さん。可愛くないどころかむしろいつもよりなんていうか……煽情的ですらあるよ?」


 肌色の面積はビキニと比べて格段に少ないが、蠱惑的な楓さんの身体のラインを強調するかのようにフィットしているので、たわわな果実の主張もいつもより3割り増しくらいになっているので目のやり場に非常に困る。


「あれれ、どうしたんですか? 勇也君、お顔が真っ赤ですよ?」


 某小学生探偵のような口調でニヤニヤしながら尋ねてくるあたり、俺がどう思っているか楓さんは気が付いているはずだ。


「うぅ……勇也お兄ちゃんのバカ! 私の頭を撫でながら楓お姉ちゃんとイチャイチャしないでよぉ!」


 ダムダムと激しく地団駄を踏む梨香ちゃん。別にイチャイチャしているわけじゃないんだけどね?


「イチャイチャしてたもん! 楓お姉ちゃんの水着を見て勇也お兄ちゃんの鼻の下がでろんって伸びていたもん!」

「鼻の下が伸びていたって……そんな言葉よく知っているね」

「パパがママによく言われるんだけど、その時のパパの顔と同じだったから……」


 なるほど。タカさんはいつも春美さんに鼻の下を伸ばしているのか。春美さんは美人だから無理もない。正直タカさんのお嫁さんには勿体ないくらいだからな。まぁそれを言ったら楓さんも俺には勿体ない女性なんだが。


「フフッ。大丈夫ですよ。梨香ちゃんは今も可愛いですが、大きくなったらもっと可愛くなりますよ」

「……ほんと? 楓お姉ちゃんみたいになれるかな……?」


 不安そうな声で言いながら潤んだ瞳で楓さんに尋ねる梨香ちゃんは控えめに言ってすごく可愛かった。楓さんも同じことを思ったのか、思いきり抱き締めて、


「もう! 梨香ちゃんは本当に可愛いですね! 私の妹としてこのままお持ち帰りしたいくらいです!」

「く、くすぐったいから離してよ、楓お姉ちゃん!」


 そう言う梨香ちゃんの顔は嫌そうではなく、むしろその逆でとても嬉しそうだった。こうしてみると仲の良い姉妹にしか見えないな。


「フフッ。それじゃぁ梨香ちゃん。まずはしっかり準備運動をして、それから一緒にウォータースライダーに乗りましょうね」

「やったぁ! ありがとう、楓お姉ちゃん!」


 えへへと満面の笑みを浮かべる梨香ちゃんを慈愛に溢れた表情で優しく撫でる楓さんはまるで聖母様のようだった。そんな二人を見ているだけで俺の心は自然と温かくなった。


「自分は関係ないって顔をしていますが、勇也君も一緒に乗るんですよ? 私の腰に腕を回して絶対に離さようしっかり抱きしめてくださいね?」


 一転して聖母から小悪魔へとジョブチェンジした楓さんが蠱惑的な笑みを口元に浮かべて俺の理性を殺しにかかる。


 その後、梨香ちゃんと〝どっちが勇也君に抱っこしてもらうか〟でひと悶着が起きたのは言うまでもないだろう。


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