第129話:今更だけど呼び方変わってない?

 楓さんのサバ折り攻撃から解放された結ちゃんは、俺の背中に避難をしてから自分の身体が真っ二つに折れずに済んだことに安堵していた。


「ひ、ひどい目にあいました……最早安全地帯は吉住先輩の背中しかありません」

「むぅ……結ちゃん。勇也君から離れてください。勇也君の背中にぴとぉってしていいのは私だけです!」

「よ、吉住先輩……楓ねぇの背中に般若が見えるんだけど気のせいですか? 気のせいじゃないですよね?」


 結ちゃん、俺にも見えるから気のせいじゃないよ。というか楓さんは笑っているのに纏っているオーラが怖い! 笑顔ってこんなに怖い物だったか!?


「楓、少し落ち着いて。吉住と結が怖がっているから」


 二階堂が苦笑いをしながら言うと、楓さんの肩がピクリと反応した。


「吉住の心が楓にしか向いていないのは誰が見ても明らかじゃないか。正妻の余裕を見せたほうがいいと思うよ?」

「せ、正妻……私が勇也君の……奥さん?」

「そうそう。吉住の奥さんは楓だよ。だから些細ないことで目くじら立てないで堂々と、ね?」


 まさにこれこそ波状攻撃。俺と結ちゃんは思わず「おぉ……」と感嘆の声を漏らしてしまった。それほどまでに二階堂の王子様スマイルによる楓さんへの説得は洗練されていた。まぁその内容は俺としては恥ずかしいのだが。


「そうでした。なんて大事なことを忘れていたんでしょうか。勇也君、結ちゃん、ごめんなさい」

「いや、俺は別に……」

「楓ねぇが謝ることはないと思うけど……?」

「いいえ。結ちゃんが勇也君にぴとぉとしているのを見て我を忘れてしまいました。結ちゃんは私にとって妹みたいな子です。そんな妹が将来義理の兄になるかもしれない勇也君と仲良くするのは微笑ましいことです」


 なんか聖母のような優しい顔で言っているが、楓さんはポンコツ化しているな。俺が結ちゃんの義理の兄になるかもしれないっておかしいだろう。


 それと二階堂。背中を向けているが笑いを堪えているのは丸わかりだぞ!? 肩がプルプルと震えているからな!


「さぁ、勇也君。帰りますよ、私達の愛の巣へ。今日の夕飯は勇也君の好きな物を作ってあげますからね!」

「ちょ、楓さん! 寄りかかって歩こうとしないで! 危ないから!」

「ダメで―――す。聞く耳持ちませ―――ん!」


 楓さんが腕に抱き着いてきたばかりではなく密着して歩き出すので大変よろしくない。春になり、暖かくなったことでより質感というか柔らかさというのが服を着ていても伝わるようになってしまった。


「……吉住の奴、すぐにデレデレするんだから。私だって……」

「あ、あの……二階堂先輩? どうしたんですか? 背後に虎さんが見えますよ?」

「大きさも大事だが一番は形だよ、形。それを吉住の奴はわかってない。結もそう思うだろう?」

「あ、はい。ノ、ノーコメンでお願いします」


 後ろでは二階堂と結ちゃんが何やらおかしな会話をしているようだ。結ちゃんが口パクで「助けてください」と言っているがごめんよ。今の俺にそんな余裕はないのだ。なぜなら―――


「えへへ。私が勇也君の奥さん……正妻。新妻……ぐへっ」


 半分以上妄想の世界に意識を飛ばしている楓さんが電柱にぶつかったりしないように注意をしておかないといけないからな。



 *****



 その日の夜。


「ねぇ、楓さん。一つ教えてほしいことがあるんだけど……いいかな?」

「もちろんいいですけど、改まってどうしたんですか?」


 ベッドの上でちょこんと座っている楓さんの濡れた髪をバスタオルで拭きながら俺は尋ねた。どうしても気になっていることがあるのだ。



 ちなみに楓さんの妄想モードは電車に乗る頃には収まっていた。ちなみに俺達とは逆方面の電車に乗った結ちゃんからは嘆きのメッセージが何通も届いた。二階堂と帰り道が同じで、別れるまで延々と愚痴を聞かされたそうだ。二階堂も愚痴とか言うんだな。


 そんなことより。俺が聞きたかったことは、


「どうしていきなり二階堂のことを〝哀ちゃん〟って呼ぶようになったの? 二階堂も〝楓〟って呼んでいたし。何かあったのかなって気になってさ」


 何がきっかけで互いの呼び方が変わったのか気になる。切り替わりのタイミングは体育の授業の後頃からだったと思うから、おそらくあのバスケの対戦が影響しているとは思うのだが。


「勇也君の予想通りです。秋穂ちゃんって呼んでいるのに哀ちゃんを二階堂さんって呼ぶのはおかしいかなってずっと思っていたんです。それも哀ちゃんも同じだったみたいで、ならこれを機に、って感じです」


 そういうことだったのか。これまで近くで見ていて微妙な距離感があったのだが、名前で呼び合うようになってからそれが一気に解消されたように思う。


「……勇也君の隣にいることが出来て、私はすごく幸せです」


 言いながら楓さんは俺の腕を取ってぎゅっと握り締めた。それはまるでどこにいかないでと甘えるようであり、駄々をこねるようでもあった。


「? 藪から棒にどうしたの?」

「……なんとなく言いたかったんです。それより勇也君! 今度は後ろから抱きしめながらドライヤーで髪をぶわぁっと乾かしてください!」


 抱きしめながらは乾かせないよ、楓さん。後ろからハグするのは髪の毛を乾かし終わった後で、ゆっくりするからね。

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