第99話:一葉家、襲来

 無事に買い物も済ませて帰宅したまでは良かったが、楓さんのご両親から到着は19時頃になると連絡があった。その時間が目前に迫るにつれて俺は心臓が口から飛び出そうになるくらいの緊張に襲われていた。


「ね、ねぇ楓さん。これ、おかしくないかな? 大丈夫かな?」


 ファッションコーディネーター楓が俺のために選んだ服は清潔感のある白のハイネックセーターに落ち着いたダークブラウンの色合いのカジュアルジャケット。下に合わせるのはスキニージーンズ。シンプルな組み合わせだが十分フォーマルな装いだと女性店員さんに絶賛され、写真を一緒に撮ってほしいとまで言われた。楓さんの笑顔の圧力にすぐに冗談ですと撤回していたが。


「もう! 何も問題ないですしむしろ似合っていますしカッコいいですしなんなら抱いてほしいくらいですから自信を持ってください!」

「そ、そう? ならいいんだけど……」


 最後の方に聞き捨てならない言葉が混じっていたような気がするが気のせいだろう。うん、そういうことにしておこう。


「髪型もおかしくないかな? 寝ぐせとか変な跳ね返りとかないかな?」

「大丈夫です! 今日の勇也君はいつも以上にビシッと決まっていますよ!」


 俺が不安を口にするたびに楓さんは褒め殺してくれるのだが俺の心は落ち着かない。むしろどんどん緊張が増して身体が震えそうになる。こんな調子で大丈夫か。というかどうして楓さんは普段と変わらない調子でいられるんだ? 父親に彼氏―――というか婿候補―――を紹介するんだぞ?


「それは勇也君が私にとって自慢の彼氏だからですよ? 誰に紹介しても恥ずかしくないくらい素敵な人だと思っているからです」


 汗ばむ俺の手をそっと握り締めて聖母のような温かい笑みを浮かべて楓さんはさらに言葉を続ける。


「だから自信を持ってください。大丈夫、文句は言わせませんから。まぁ文句なんて出るはずがないんですけどね」


 それってどういうこと、と尋ねようとしたとき。運命を告げるチャイムが鳴った。ドクンと心臓が鐘を打つ。覚悟を決めて立ち上がり、ギュッと手を繋いで楓さんと一緒に玄関へと向かう。


 ガチャリと扉を開けると、楓さんをそのまま成長させたような美人な桜子さんと、細身で丸眼鏡をかけた誠実そうな男性が立っていた。この人が楓さんのお父さんの一宏さん?



「久しぶりね、楓。それに勇也君も。同棲生活はどうかしら? 楓が迷惑かけてない? わがまま言ってないかしら?」

「ひどいです! 私は勇也君が嫌がるようなことはしてませんしされてません。もう、いきなりなんてことを言うんですか!?」


 嫌がることはされてないけど反応に困ることは何度もされましたけどね。一緒にお風呂に入ろうとして来たり、スク水着てマッサージを所望したり、至福のひと時だったけど色々大変でしたよ。


「フフフッ。ごめんなさいね。仲良くやっているか気になったものだから。でも勇也君の顔を見る限り大丈夫そうね。あぁ、紹介が遅れてごめんなさい。ここに立っている優しさを人型にしたような男性が私の愛しの夫であり楓の父、そして勇也君の義理の父になる一葉一宏よ」

「もう、桜子さん。なんて紹介するんだよ。もっと他に言い方があるだろう? なんだよ、優しさを人型にしたような人って。僕は22世紀のロボットかな?」


 優しさを人型のようにした、と桜子さんに評された楓さんのお父さんこと一宏さんは苦笑いをしながら抗議する。すると桜子さんは、


「あら。もしあなたが22世紀のロボットなら私はそのご主人様ってことでいいのかしら? もう、子供たちがいる前で主従プレイの話しとかダメじゃない。それは今夜のお楽しみで」

「アハハハ。たまには僕にも主導権を握らせて欲しいんだけどな。男らしいところを桜子さんに見てほしいよ」

「フフフッ。それは本当かしら? 一宏さんが男らしいところを見せてくれるっていうのなら、今夜の私は可愛い猫になろうかしら」


 これはいったい何なんだ!? 今俺たちの前で繰り広げられている会話はいったい何なんだ!? 伸二と大槻さんが展開しているようなバカップルワールドとは違う甘く蜜のように蕩けるような独特な世界。もしやこれがストロベリーワールドというやつなのか!?


「お父さん、お母さん。イチャイチャしたいのはわかりますけど勇也君が戸惑っているじゃないですか。そういうことは家に帰ってからにしてください!」


 あまりの糖度に胸焼けしそうになるところを楓さんの一括で一命を取り留めることができた。


「そうだったね。それじゃ改めて。初めまして、吉住勇也君。僕が楓の父の一葉一宏です。どうぞよろしく」

「は、はい! 吉住勇也と申します。こちらこそよろしくお願いします」


 差し出された手をとって握手を交わす。華奢な身体に見えるがその手は大きくて力強さがうかがえる。そうだ。この人は一家の大黒柱であり、大企業の社長を務めている偉大な人だ。


「ところで勇也君。楓とはもう済ませたんだろう? どうだったかな?」

「……はい?」


 この人は何を言っているんだ? 楓さんの方を見れば頬を赤く染めているし、桜子さんは悪戯っ子のような悪い顔をしているし、なんだこの状況は!?


「え、もしかしてまだ卒業してないの? 勇也君てばまだどうt――――」

「言わせるかぁぁぁぁぁっぁあ――――!!!」


 彼女のお父さんにしてお義父さんになる予定の人に対して俺は魂の叫びを浴びせてしまった。初対面で聞くことじゃないだろう。そうじゃなくても聞かれても答えに困るし、そこは二人だけの秘密にしておきたいというかなんというか。


「何かあったら相談してくれていいからね? マンネリしないように僕が色々教えてあげるから」


 楓さんが時々俺をものすごくドキドキさせてくるのはこの二人の血が流れているからだろう。俺はそう確信した。


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