21話 囚われの貴族令嬢(2)

 そういうわけであたしは今、屋敷の一室に閉じ込められている。

 一応牢屋ではなく、立派な客室……でも部屋には外側から鍵が掛けられている。そしてこの部屋の扉を開けても前室があり、そこも同様。

 

 杖を砦に置いてきているし、あった所であたしは攻撃魔法は使えない。

 そもそも壁紙に沈黙魔法サイレスの印が記されており魔法自体が使えない――脱出の手立てはない。

 今、あたしの手元にあるのは……袋に入った冷凍の鶏肉(まるごと)。


「駄目よぉ……こんなのじゃどうにもならないぃ……」


 見張りの男をこれで殴ったとして、二人も倒せるわけがない。無理。

 

「どうしたらいいのぉ……」


 またまた半べそをかき膝を抱えていると、部屋の扉が開いた。

 

「ごきげんよう、ベルナデッタ。心は決まったかしら?」

「……」

 

 アーテ様だ。にこにこと笑いながら食事の乗ったトレーを運んで、テーブルの上に置いた。

 

「そのようなことに手を貸すことはできません。癒やしの力は神の力。その力を使って人の心を弄んで金をせびるなど、神が許すはずがありませんわ――」


 と、そこまで言った所で頬に衝撃が走った。平手ばっかりだわねこの人。

 

「そういうのはいいのよ。綺麗事ばかりのいい子ちゃん……虫唾が走るわ」


 眉間に思い切りシワを寄せて、彼女はあたしを見下ろす。


「エリス様のおっしゃることに従いなさい。貴女にもちゃんと"役"を用意してあるの……」


 しゃがみ込んで顔をぐりんと傾け、今度はあたしを間近で見上げてきた。


「や、役……?」

「そう。今ね、"レテ"の役が空いているの。それをやらせてあげるわ。前の"レテ"は役に立たなかったから……ね、光栄でしょう?」


 レテの役が……空いている? 前のレテ?

 全く何のことだか分からない。

 劇の配役ではなさそうだけれど、理解する気が起こらない。

 

「ね、ベルナデッタ。癒やしの力を持つわたくし達は神に近い力を持っているのよ。けれど人はそれに感謝などしない。だったらそれを仕事ビジネスにしてしまおうと、それだけのことなの」

「その、魔法でお金を取った人は……、依存してきている人は、最終的にどうなるのです」

「どう……? ふふ、お金がなくなればその人達はまた新たに血の宝玉になるの。最後までわたくし達の役に立つわ」

「な……なんですって……」

「最近までは人を魔法陣に置いて魂を吸い上げて魔器ルーンにしていたけれど……人体というのはかさばるでしょう? だからこうすれば持ち運びしやすいわ。便利でしょう?」


 血の宝玉片手に、まるで"生活の知恵"のように説明をする彼女。吐き気と頭痛がしてくる。

 そんなあたしに構うことなくアーテ様は喋り続ける。

 

「あのクライブという男も、無能者でも屈強な戦士のようだから良い宝玉になると思ったのに……まさか、"聖女の加護"を得ているだなんて……っ」

「聖女の……加護?」


 ミランダ教のトップ、教皇様と聖女様。

 ロレーヌやディオールでは王族が誕生した時のみ、洗礼として聖女様の加護を受けられる。

 あらゆる呪いや災いから遠ざけられるとされていて……そんなのをカイルさんが……? にわかには信じがたい。

 

「それならそうとちゃんとわたくしに言ってくれなければ駄目じゃない……恥をかかせて」

「そ、そんなこと、あたし知らな――」

「でもいいわ。エリス様に免じて許してあげる。……わたくし達に協力しなさい」

「お断りします」

「貴女の癒やしの術をエリス様が評価してくださっているのよ。ありがたく享受すべきだわ」

「あの方にとってわたくしの術とは、人の心を弄んで生命を費やす技術なのでしょう。そんなものを評価されても何も嬉しくありませんわ」

「お志が強いこと。けど貴女確か、自分の力は嫌いではなかったかしら?」

「……好きではないからといって何の誇りも持ち合わせてないわけではありませんわ、見くびらないでください。……それに学校で最初に教わったではありませんか。癒やしの力は数ある魔法の属性のうちの一つに過ぎない、それらを行使できるからといって自らを神などと思いおごるなかれ、と」

 

 どうせこれも一笑に付すだろうけど、言うべきことを言った。


「……いいのかしら? 貴女の秘密をご両親や婚約者に言いつけるわよ」


 彼女はやはりせせら笑いながら、急におかしなことを言い出す。

 

「秘密……?」

「そう。貴女が男と二人、汚い店から出てきたこと。夜中にその男とは違う男と二人、ベンチに座って語らっていたこと。……全て明るみにするわ」

「…………」


 きっとカイルさんと、ジャミル君の事を言っている。

 どちらもやましいことは一切ない――もちろん貴族令嬢としては、相応しくないかもしれないけれど。

 それよりなんでそんなことを知っているのか……ずっと見られていたの? ……気味が悪い。


「男にだらしないふしだらな女だと知れればどうなるでしょうね? 婚約は破棄、下手をすれば貴族の地位を失って……」

「……どうぞ」

「なんですって?」

「言うなら、どうぞご自由になさってください」

 

 そう返すとアーテ様は、信じがたい事実を目の当たりにしたかのように目を見開き驚く。

 彼女にとっては婚約と貴族の地位は何物にも代え難いものなのだろう。だから脅しに使った。

 でもあたしはその2つに価値を感じていない。

 デニス様はあたしと婚約破棄になっても、代わりの女性はいくらでもいる。

 父はぶどう農園さえあればいい人。母はアーテ様と同じ種類の人だから泣くかもしれないけど……でもたまにはあたしのせいで色々台無しになって泣けばいいんじゃないかしら。

 彼と……ジャミル君と結ばれることがないとしても、自由になれるのなら願ったり叶ったりだわ。

 そんなことを考えていると、また頬に衝撃が走った。


「……っ」


 痛い、もう……叩けばいいと思ってるじゃないこの人。

 これに反撃して啖呵たんか切るなんてレイチェルってばやるわね……。

 

「いちいち口答えばかり……いつからそんなに偉くなったのかしら!? 貴族の地位を失ってどう生きるつもり? お前なんて貴族の地位と癒やしの術がなければ何もない空っぽの馬鹿じゃない!!」

「……!」

「ああ、でもそのお顔と身体だもの、娼婦としてならやっていけるかも……ホホホ、良かったわねぇ」


 大声で歌うように罵倒しながら、アーテ様は両手を広げる。


「黙ってエリス様に従いなさい。一晩時間をあげるから、その空っぽの頭でよく考えることね!」

 

 ドカドカと足音を立てながら、扉を思い切り閉めてアーテ様は出ていった。

 

 

 ◇

 

 

 彼女にぶたれた頬が痛む。でもそれ以上に、彼女に言われたことの方が……。

 

 ――お前なんて貴族の地位と癒やしの術がなければ何もない空っぽの馬鹿じゃない!!

 ――そのお顔と身体だもの、娼婦としてならやっていけるかも……。

 

「…………」


 支離滅裂にしても、あまりな侮辱。

 でも実はこんな風に言われるのは初めてじゃなかった。

 回復魔法をあまり練習せずにお菓子を作っていたら、母に同じようなことを言われた。

 

「何にもしないくせに、体ばっかりいやらしく成長して。娼婦にでもなるつもり?」

「せっかく癒やしの術を使えるように産んであげたのに練習もしない!!」

「お菓子づくりなんてね、誰でもできるの!! 癒やしの術をやらなかったら貴女なんて何の価値もないわよ!!」

 

 母として、それ以上に人間としてのラインを飛び越えた罵倒。

 父が咎めても意味はなかった。だって母にとって父は目下の存在。

 当主といえど、領地もない田舎の伯爵家のそれも無能者――そんな父の言うことなんて聞き入れる必要もなければ、価値もない。

 口が立たない父は散々に自分の無能さを嘲り罵倒され、やがて母に進言することをやめた。

 

 お祖母様が亡くなって、領地を売り払ってなくなるはずだったサンチェス伯爵家。

 でも権威が欲しかった母があたしの婚約を取り付けてきてその話はお流れになった。

 親しい領民とぶどう農園をやりたかった父はやがてあたしを疎ましい目で見るようになった。

 

 この力が嫌いだ。だけど自分にはそれしかないから、自分を見てもらうためにこの力をアピールしないといけない。

 奇跡の力、慈愛の力なんて言うけどあたしが相手を癒す時にそんな心を持って癒やしたことはない。

 何のコンセプトも芯もないから、人を羨んでばかり。確かにあたしは空っぽの人間だわ。

 

 ――回復魔法よりもメシとパンケーキの方が大事だから。お菓子作り得意なんだろ? パンケーキだけ焼きまくってくれればそれでいい。

 

「……隊長」

 

 回復魔法なんていらないんだって。

 あたしの好きなお菓子づくりだけしてればいいんだって。嬉しかったなぁ、飛び上がっちゃった。

 ラーメン作ることにはみんな驚いてたけど、そのうちすぐに慣れてみんなラーメンをおいしそうに食べてくれたの。

 レイチェルにはレシピあげたりなんてして……。


(レイチェル……、レイチェルか……)

 

 ――お願いだよ、ルカがせっかく見つけたルカを捨ててしまわないでよ……

 

 ルカに言ったあのセリフ、すっごい刺さっちゃってあたしも泣きそうになっちゃった。

 やっぱり、お菓子とラーメン作ってるのは楽しいの。

 あたしは自分の力どころか自分自身を好きになれない。

 でも料理をしてる自分だけはやっぱりちょっと好きだなぁって、あの砦に来て初めてそう思えたのよ。

 それで……。

 

 ――だから、大好きなラーメン作ってる時のアンタって、いつもニコニコ楽しそうでさ。そういうのってオレは……。

 

 ――オレは、アンタのことが好きだな。

 

 少しはにかむように彼がそう言ったの。

 癒やしの力を使えるあたしじゃない。人が美しいと褒めそやす容姿なんかじゃない。

 あたしが、あたしがやっとちょっと自分を好きかもって、そう思った自分を、彼が好きだって言ってくれたの。

 

 ……今、こんなこと思い出してどうしようっていうんだろう。

 

 さすがにアイデンティティぐらぐらのあたしと言えど、あの非人道的な行いに手を貸すことは絶対にしない。

 それならあたしの行く末は、あの"血の宝玉"にされることだ。きっと殺されてしまうんだ。

 

「おばあさま……ピッピ……」

 

 心細い時にずっと唱えてきた2つの呼称。

 そのうちに彼も加えるようになるのかなんて思って涙したのは数日前のこと。

 でも……いいかな? いいよね。

 本当にどうにもできなくて、すごく心細くて怖いの、不安なの。だから今だけ……ごめんね。

 

「……ジャミル君……」

 

 そう呼んだら少し安心できるような気がしたけど、余計に涙が出てきてしまった。打たれた頬に涙が伝うとじんと痛い。

 なぜこんなことに? 誰にも、自分にも向き合わずいい加減に生きてきた報いなの?

 それにしたって、あんまりにも釣り合わなすぎるじゃない。

 

「ジャミル君……ジャミル君……たすけて……」

 

 絶対に届くはずのない声が、薄暗くひんやりとした部屋に虚しく響く……。

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