17話 "お兄ちゃま"(後)
「もどる、光の塾に……?」
「そうだよ」
「……でも、わたしは魔法を使えません。」
「そうだね。君は
「無価値……」
「……だけれど神はそれを広い心をもって
――赦す……何を。穢れたこと? 魔法を使えないこと?
「わたし、は……穢れ」
「そう。怒っただろう? 悲しんだだろう? ……勝手に喜んだだろう? 今の君は汚れている。ヒトに堕ちているんだ。でも光の塾に戻ればその感情は忘れてしまえる。苦しみは神が消し去ってくださる。……神から与えられる喜びだけで生きていけるんだ。素晴らしいだろう?」
「…………」
わたしには感情はなかった。いらなかった。何も考えず魔法を学び、神の御為のみ生きればよかった。天使だから。
そして司教さまは神の代弁者。彼の言うことに間違いなんてない――正しいことしか言わない。
――本当に、そう?
今彼の言うことが、何も入ってこない。
「司教さまは……わたしと同じに、紋章が。だからわたしの、お兄ちゃま?」
「そうだね。その通りだよ。僕は君の言うことを否定などしない」
「…………」
――確かに、俺の手には君と同じに紋章がある。でも悪いが俺は君を知らない。人違いだろう。だいたい、人種も違うじゃないか――
「……し、司教さま、とは、じ、人種が、ちがいます」
「そうだね。でも僕は君のお兄ちゃまだよ。君がそう決めたから」
「……」
笑みをたたえる、目の前の人――お兄ちゃま。
彼はわたしの言うことを否定しない。
わたしが決めたから、わたしのお兄ちゃま?
……何? 何を言っているの?
「なぜ、わたしの、言うことを……否定しない、ですか」
「君を愛しているからさ」
「愛……?」
「そうだよ。愛する君を否定するなど、ありえないだろう」
"愛"という言葉にぞわりとした感覚を覚える。
――本当にそうなの? 愛していれば否定しない?
じゃあ、「お兄ちゃまじゃない」と繰り返し否定するグレンは?
グレンに出会って、ジャミルに出会って、レイチェルに出会って……彼らはわたしの言うことを否定することもあった。
カイルさんは、わたしを叩いた。それらは愛がないから?
愛はどういうもの?
「し、きょう、さま。わたしは、穢れていますか」
「穢れているよ。感情まみれじゃないか。それでは神に近づくことなどできない」
「わたしが出会ったヒトは、罪が深いですか」
「……ヒトがヒトである時点で彼らは罪深いんだ、ルカ」
「…………」
同じことを2回聞いても、何一つ飲み込めない。
それはわたしが汚れているから? みんなと同じ、ヒトに堕ちたから?
感情は、穢れ。
ヒトは汚い。許可なく喜びを作り出し、怒りと悲しみを生み出す。そう教わった。……それはいけないこと?
レイチェルは、グレンは、ジャミルは……穢れている? 汚い?
フランツは、ベルは、カイルさんは……罪が深い? 排除されるべき?
そもそも、"ヒトに堕ちる"というのは何?
レイチェルとグレンは愛し合っている。二人共、綺麗な水。
淀んでいたグレンの水はキラキラになった。レイチェルはもっとキラキラになって、最初よりもっとずっと輝いている。かわいい。
あれは、愛。司教さまのいう愛と同じもの?
「……ち……ちがい、ます」
「うん?」
「ちがいます……司教さまの言うことは……ちがいます」
――わたしの言葉に司教さまは首をかしげる。
「ちがう? 神の代弁者たる僕を否定するということは神を否定するということだよ、ルカ。……それはいけない、駄目なことだ。罰が下ってしまう」
そう言いながらも彼はずっと、さっきからずっと変わらずに笑みを浮かべている。
「愛は、もっと綺麗です。司教さま、の、言葉は、嘘です」
声が震える。彼はやっぱり微笑んでいる。そしてまたわたしの頬を手の甲でなでた。
「ひっ……」
「かわいそうに……ヒトの穢れをもらいすぎて正常な判断ができないのだね。おいで……早く治療しなければいけない」
頬を撫でられ、彼はわたしを抱き寄せた。
紋章があるなら、生命があるなら温かいはず。それなのに全身にぞわりとした感覚が走り、身体が震えて寒気がする。
胸がドクドクと音を立てている。子供の時、幾度となく体験した感覚――これは、恐怖。
でも同じものじゃない。怖い夢を見た時よりもずっと恐ろしい。
怖い、この人が怖い。何を言っても微笑みしか返さない。
嫌。この人は嫌、怖い。この人の所へ行きたくない。
怖い、怖い、怖い――!
助けて、お兄ちゃま、グレン――!
「……!!」
――その時、魔力の閃きを感じた。どこかから、魔法が飛んでくる感覚。
彼もそれを感じ取ったのかわたしを抱く手に力を込め左手をかざした。
同時に司教さまの顔の近くに火球が飛んできた――でも彼の左手から出た
(火球……!)
「グ……グレ、」
「このやろー! ルカ姉ちゃんから離れろ! 変態!!」
「!?」
――グレンじゃない。そこに立っていたのは、フランツだった。
火球は彼が放ったもの。手に巻いてある赤い
あの子は火の魔法の資質があるけど数日前まで使えなかったはず――だからわたしとベルが魔力の練り方、術の発動の仕方を教えていた。
いつ使えるようになった?
――違う違う、今は、そんなことより……。
「……フランツッ!!」
フランツの元に駆け寄り、両手を広げて司教さまから隠す。
「ルカ姉ちゃん!」
「だめ、隠れるの! だめ!」
今この子は司教さまを――神に近い者に攻撃を加えた。罰せられる。殺される。
心臓というのはこんなにもうるさいもの? 抑えようとしても止まらない。
司教さまはやはり笑っている――どうして。どうして笑える?
「どうしたの、ルカ」
「こ、この子は……悪くありません。どうか罰なら……わたしに。フ、フランツを、殺さないで」
「……何故殺すと思うのだろう。子供の戯れを罰する大人など居ないよ。……それに僕は怒らない。怒りは穢れだからね」
「……っ、わたしは、司教さまの、言っていることを、理解しません。わたしは感情を知りました。わたしはヒトです……だけど汚れていない。わたしは、戻りません……!」
「……」
司教さまは一瞬驚いたように口を開けた。でもまた笑顔になる。
「なるほど……なるほど。それならそれで構わない。僕は君を否定しない。だけれどこれは言っておくよ……ヒトの世に堕ちれば君は苦しむ。あの時僕の言う通りにしておけば良かったと悔いるときが来る。でも大丈夫……その時には僕を思い出して僕の名を呼んで欲しい。……いつでも迎えに行くよ」
「…………」
そう言いながら彼は両手を広げると、まばゆい光が彼を包む。
「覚えておいて……僕の名前はロゴス。"ロゴス"は真理――僕は、いつだって真実しか言わない――」
微笑みを絶やさないまま、光とともに司教"ロゴス"は消えていった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます