16話 "お兄ちゃま"(前)

「■■■■! これ、あげる。プレゼントだよ」

「プレゼント? なあに?」

「ぼくが作ったんだ。きっと■■■■に似合うよ」


 そう言って彼がくれたのは、花でできた冠。

 

「わあ、すごい! きれい!」

「ほら、おいで。ぼくがつけてあげる。うん、やっぱり似合うなぁ……■■■■は、ぼくのお姫様だね」

「おひめさま? じゃあお兄ちゃんは、おうじさま?」

「王子様? ふふ、そうだね」

「パパとママは? おうさまとおきさきさま?」

「うん……そうだね」

「おうじさまなお兄ちゃんは、なんて呼ぶの?」

「なんだろう。お兄さま? 兄さま?」

「お兄ちゃま?」

「お兄ちゃまは変だよ……お兄さまじゃない?」

「きめた。■■■■、これからお兄ちゃんのことお兄ちゃまってよぶ!」

「は……恥ずかしいよ。せめて二人の時だけにしてよ」


 彼は恥ずかしそうに笑う。

 

 お兄ちゃま。わたしの、お兄ちゃま。

 温かい。手を握るとじんわりと温かい。紋章の、ぬくもり。

 お兄ちゃまはわたしを、なんて呼んでいたの? 分からない。

 

 ――おれにはちゃんと『フランツ』って名前があるのに『2005番』とか、番号で呼ぶんだよ!

 ――お前らはゴミだから名前なんかいらない、番号だけでもありがたく思えとかってさ……いやだって言ったらなぐられるんだ!

 ――でもルカは『ルカ』よね。番号じゃなくて名前じゃないの? それは。

 ――お姉さんは、名前があるの? じゃあ、上のクラスなんだ。

 ――行いが良かったら名前がもらえて上のクラスに上がれるんだって。

 

『……知らない。わたしは最初からそこにいたから。わたしは最初から、ルカ』

 

 わたしはルカ。でも……最初からルカではなかった? 分からない。誰か、教えて。

 

 

 ◇

 

 

「よくぞここまで上がってきました。君達は天使――神により近い存在です。これからも善き行いをして神に尽くしましょう」

 

 天使は、感情を持たない。だから、わたしは神に近い存在。選ばれた者。

 

「天使ルカ。君に試練を与えます。ヒトの世に降り立ち、ヒトの行いを見なさい。ヒトの原罪に染まらず帰ってこられたら、君はもっと上に――より神に近い存在になれる。大丈夫、君なら出来るよ」

 

 司教さまにそう言われ、わたしはヒトの世に送り出された。

 感情を持つ、愚かなヒト。モノを作って育てて、勝手に感情を生み出す。汚いヒト。

 でも……ヒトの中に、あのぬくもりを感じたの。

 

「お兄ちゃま!!」

 

 わたしは、彼の腕を掴んだ。紋章のぬくもり。

 間違いない、この人はわたしのお兄ちゃま。

 どこへ行っていたの? 何をしているの?

 

「なんだ……君は」

「わたしはルカ」

「……悪いが、知らないな」


 彼はわたしのことが分からない。会うのが久しぶりだから? でも、これを見せればきっと分かる。


「お兄ちゃまは、わたしのお兄ちゃま。これが、証拠」

「……!」


 わたしが左手の紋章を光らせると、彼の左手が光り出す。

 赤くて、温かい。火の紋章。

 

「……確かに、俺の手には君と同じに紋章がある。でも悪いが俺は君を知らない。人違いだろう。だいたい、人種も違うじゃないか」


 彼は黒髪に灰色の瞳。わたしと全然色が違う。……でも。


「でも、お兄ちゃまだわ」

「違います。……じゃあ、俺はこれで」

「!」

 

 彼が足早に歩き出す。


「待って、お兄ちゃま。お兄ちゃま! お兄ちゃま!」


 何度か呼ぶと、彼は更に歩く速度を早め、やがて走り出した。

 すごい速さで、あっという間にいなくなった。

 

「…………お兄ちゃま」

 

 ――知ってる。お兄ちゃまとよく遊んだ。これは、追いかけっこ。

 わたしはお兄ちゃまになかなか追いつけなかったけど、今のわたしには転移魔法がある。

 ――すぐに追いつくわ。

 

「お兄ちゃまっ!!」

「うわっ!?」

 

 転移魔法で建物の陰に隠れている彼の元へ飛んでいくと彼は驚いて尻もちをついた。

 その後も、逃げる彼を何回も捕まえた。


「お兄ちゃま。わたしばかり、オニ。不公平」

「っ……ふざけるな、いい加減に――」

 

 彼が何か言おうとした瞬間、わたしのお腹が鳴った。

 ヒトの世は、よく分からない。何度となくお腹が空く。

 

 

 ◇

 

 

「――ここは俺が出すから。何でもいいから食べてそれで解放してくれないか」


 いくつかのテーブルが並んだ室内。彼はわたしに何かの本を差し出す。

 

「これは……何」

「何って何だ? メニューだろう。……外食したことないのか」

「がいしょく」

「……外の飲食店で食事すること」

「わたしはこれしか食べないわ」

「な、……これは」

 

 彼に自分がいつも食べている神の食べ物を見せると、追いかけっこで捕まえた時よりもびっくりしていた。

 

「神から与えられた食べ物」

「……光の塾の」

「そう。わたしは天使」

「…………何が」

「?」

「何が、天使だ……馬鹿野郎」

「……ばかやろう? わたしに言ったの」

「! いや、すまない。…………これ少し食べていいか」

「いいわ。お兄ちゃまだもの」

「……それはどうも。お兄ちゃまではないが」


 彼は神の食べ物を口に入れた――でもすぐに咳き込みながら吐き出してしまった。

 

「ゲホッ、ゲホッ……! なんだこれ、不味い……」

「選ばれしものだけが食べられる、神の食べ物」

「……くそったれ、何が神だ。天使だかなんだか知らんが、人間の食べ物を食べろ」


 水を大量に飲みながら、彼は室内をうろうろしている人間を呼ぶ。

 やがてわたしの前に人間の――ヒトの食べ物が並べられた。

 

 色んな色をした食べ物。食べているヒトも作っているヒトも、綺麗な水を持っている。

 ヒトの食べ物を食べたわたしはどんな色の水? 分からない。

 

「お兄ちゃま。わたし、これ食べる」

「おい、まだ食べる気か……さすがに」

「これ、ふわふわ。温かい。わたし、好き、お兄ちゃま」

「誤解を受けそうな言い方はやめろ。……あと何度も言うが俺はお兄ちゃまじゃない。グレンという名前がある。そっちで呼べ」

「分かったわ、お兄ちゃま」

「全っ然、分かってないな……はぁ」

 

 

 ◇

 

 

「…………」


 ヒトの街を、わたしは歩く。

 数ヶ月前降り立った時には、何の感情もなかった。

 でも今のわたしは感情だらけ、穢れだらけ。

 

 あの達、枯れてしまった。

 ――ちがう。あのひとが殺したの。

 あの達を奪った人が目の前にいるのに何もできない。

 

 お兄ちゃま――グレンと出会って嬉しい気持ちになった。それが間違いの始まり?

 魔法が、使えなくなった。遠くへ飛んでいきたいのに、できない。

 

 わたしは感情を知ってしまった。喜び、楽しい気持ち。

 そして、悲しみと怒り。

 悲しい、悲しい、辛い、悔しい。心を乱され感情にさらわれ、わたしは力を失った。

 穢れた存在。わたしはもう、天使じゃない。堕落した、ヒト。


「お兄ちゃま……」


 どこ? わたしのお兄ちゃまはどこ?

 怖い夢を見たら、一緒に寝てくれたの。悲しい時は頭を撫でてギュッとしてくれたの。優しいお兄ちゃま。

 

「!」

 

 ――誰かとぶつかった。相手からは紋章のぬくもりが感じられた。

 紋章が光らなくなっても、感じることができる。初めて知った。


「……お兄ちゃま!?」


 グレンだと思って顔を上げたら、そこにいたのは別の人だった。

 

「やあ、天使ルカ。久しぶりだ」

「あ……」


 黒い法衣を身にまとった男。


「……司教、さま……」

 

 光の塾の司教。神に最も近い人。

 黒い髪に、灰色の瞳。グレンと同じ、ノルデン人。

 そしてグレンやお兄ちゃまと同じに、紋章の気配がする。

 

「司教さまは……お兄ちゃまなの?」

「君が言うなら、そうかもしれないね」


 司教さまはわたしを見てにこりと笑う。


「…………」

 

「ねえ、ルカ。ヒトの世に降り立つ試練の時もそろそろ終わりを迎える。君を探していたよ。迎えに来たんだ」

「え……」

「うん?」

「わた、し……もう、戻れません。モノを作りました。神からのみ与えられる喜びを知りました。怒りも悲しみも知りました。わたしは汚いヒトです。わたしはもう、天使ではない。戻る資格は――」

 

「なるほど。ヒトに感情を与えられたというんだね」

「……感情」

「喜ぶこと、楽しいことを体験したのかな」

「はい……」

「けれど、怒りと悲しみも体験したんだね」

「はい」

「ああ……かわいそうに。辛かっただろう、ルカ」

「司教、さま……」


 お花が枯れてから、わたしの目からは涙が止まらない。司教さまは指でそれを拭いわたしの頭を撫でた。

 お兄ちゃまも悲しい時にわたしの頭を撫でてくれた。優しいお兄ちゃま。

 それに、紋章のぬくもり。だから、この人はわたしの――。

 

「……それこそがヒトの汚いところだよ、ルカ」

「汚い……?」

「そう。良い感情を与えておいて、後から怒りと悲しみも与えるんだ。そんなものを与えておきながら、ヒトはその責任を取りはしない……君が苦しんでいても彼らは見ないふりだ。『勝手に感情を持ったのだろう』とね。神の与える喜びと違って不完全なんだ」

「…………」

「ああ、君は穢れてしまったね……ルカ」

「あ…………」

 

 頬をそっと彼の両手が包み、灰色の瞳がわたしを捉える。

 ――グレンと同じ色の瞳。だけど彼とは全く違う。ぞわりとする。

 司教さまはずっと笑みをたたえて、やわらかい声で喋る。それなのに震えが止まらない。

 彼はわたしの顔から手を離すと人差し指を自らの口にやって目を閉じる――やがて目を開けて、手の甲でわたしの頬をなでた。

 

「ああ……だけど大丈夫だよ。君はとても善き天使だった。だから、君を赦すと神が託宣をくださった」

「え…………?」

「ルカ。君をまた天使にしてあげる。君の罪は洗い流され、感情などという穢れを忘れることができる……全ては、元通りに」

「もと、どおり」


 震える声で復唱すると、大きく手を広げ彼はにこりと笑った。

 

「戻っておいでルカ。光の塾に――僕のもとへ」

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