15話 呪う女・怯える男

「――ストップ。落ち着いて、レイチェル」

「!!」

 

 肩に手を置かれて我に返る。カイルだ。

 いつの間にか帰ってきていたらしい……全然気がつかなかった。

 

「ああっ、副隊長さん……っ」


 アーテさんが急に声色を変えてカイルに駆け寄る。

 両手で左頬を抑え、目に涙を滲ませて……さっきまでとはまるで別人のような弱々しい乙女の顔。

 彼女はカイルの腕を取ろうとしたが、彼はそれをかわす。

 

「……何度も申し上げていますが、無闇に私に触れないでいただきたいのです」

「え……? あ……でもどうか、話を聞いていただきたく――」

「私から貴女にお話するようなことはありません。お話なら、こちらの方々に」

「え……?」

 

 カイルの後ろに、銀の刺繍を施した白い軍服を着た男の人が二人。腰には白銀の鞘にしまった剣を下げている。


(騎士の人……?)

「な、なんですのこの方達……?」

「ロレーヌ聖銀騎士団の方です。貴女にお話をお聞きしたいそうです」


 ロレーヌ聖銀騎士団――剣と光の魔法と回復魔法を使う僧兵だ。

 お城じゃなく教会や大聖堂の警護に当たっていて、神事の際は聖女様や司祭様の護衛をする。そんな人達がどうして?

 

「聖銀騎士、ですって……何故……クライブさん、貴方が呼んだのですか……?」

「花畑に散らばっている虫の死骸をいくつか教会に持って行って見てもらったのです。……短時間で生命が空っぽになっている、禍々しい呪術に使われた可能性が高いとのことで、その術者がいるなら話を聞きたいと」

「それで……何故、わたくしが? ま、まさかわたくしを疑っているんですの? どうして……」

 

 アーテさんは両手を抱えうつむく。


「何故なの……」


 やがて肩を震わせながら大きく息を吸ってカイルを睨みあげ、彼の頬を思い切り打った。さっきわたしを打ったときよりももっと強い音が食堂に響く。

 

「何故、私の思うように動かないの!!」

 

 耳が痛くなるくらいの高音でカイルを怒鳴りつけた後、血走った目で彼を睨んで呼吸を乱しつつギリギリと歯噛みをする。

 さすがのカイルも理解不能の事態に言葉もなく呆然としている――ルカに時計をぶつけられ腫れていた左頬を更に打たれたため、口から血が流れている。

 

「――私は、お前に役を与えたの!! 私の守護をする役よ! 私は主人なの!! それなのに、それなのにこの私を売り渡すなんて……!! 早く私を護りなさいよ、何をやっているの! 与えた役をこなしなさい!! 何度も術をかけたのになぜなの!! 無能のくせに! 無能のくせに!!」

 

 髪を振り乱して彼女は叫ぶ。

 一から十まで何を言っているのか分からず、その場の全員が口をつぐんでしまう。

 ――やがて、聖銀騎士の男性のうち一人が口を開いた。

 

「そちらの方に何の術をかけたのでしょう」

「誰が喋っていいと言ったの!! 許可なく台詞を発するんじゃない!! この色混じりが!」


 また金切り声を上げて、彼女は騎士を突き飛ばす。

『色混じり』ってなんだろう……また草子クサコとか無能力者みたいな蔑称だろうか。

 

「失礼します!」


 別の騎士が二人、食堂に入ってきた。カイルと一緒に来たのは二人だったけど他にもいたんだ。

 彼らは足早にさっき突き飛ばされた騎士の元へ行き、何事か耳打ちした。彼がリーダー格なんだろうか。

 

「貴女が宿泊なさっていた部屋から、黒魔術の儀式の道具と不審な宝玉が見つかりました。お話を聞かせてください」

「な、なんですって……レディの寝床を勝手に調べるなんて、なんて無礼な男なの!! 恥を知りなさい!!」 


 ――怖い。どこまでも自分本位で、何の言葉も通じない。

 騎士達が彼女を拘束すると、彼女は目玉が落ちそうなくらいに目を見開く。

 血走った目に、剥き出しの歯茎……もはや別人のようにその美貌は見る影もない。

 

「触らないで、汚らわしい! 何が黒魔術よ偽善者!! お前達だって、見ていて気持ち悪い不快だからと虫を殺すことくらいあるでしょう!! 私は魔術に使うことでゴミに価値を与えてあげているの! お前達よりも生命の価値を知っているのよ!! 無礼者!! 離しなさい! 私は次代の聖女なのよ――!!」

 

 断末魔のような叫び。

 何かの文字が刻まれた白銀の手錠をかけられ、彼女は騎士達に連行されていった。

 食堂から出ても廊下から罵倒の言葉が聞こえている。

 やがて彼女が聖銀騎士の馬車に乗せられるまで、ずっと何事か呪詛の言葉を吐き続けていた――。

 

 

 ◇

 

 

「はい、これで治りました」

「……ああ、ありがとう……」

 

 彼女が連行されたあと、カイルはぶたれた頬をベルに治してもらっていた。

 わたしも顔に跡が残ったら大変ってことで治療してもらった。2回叩かれたもんね……でも今それどころじゃないな。

 

「大丈夫? カイル……」

「……まあ、傷は大丈夫だけど。ちょっと心が大丈夫じゃないな」

「あはは……」

「ああああっ、怖い……! なんなのあの女……術がどうとかなんなんだよ怖い……」


 青白い顔で両腕を抱えてカイルは身震いをする。

 よっぽど怖かったのか、口調が普段の大人びた感じでなくなっている。

 

「聖銀騎士様が彼女の部屋を調べてくださってますけれど……まさかあんな。申し訳ありません……」

「君が謝ることじゃないでしょ? ……黒魔術であんなになっているのかただ性格悪いのか分からないから厄介だよなぁ」

「不審な宝玉とかって何なんだろうね……」

 

「失礼します」

「!」


 聖銀騎士の人が食堂に入ってきた。あのリーダーっぽい人だ。

 砦に残ってアーテさんの部屋を調べてくれていたのだ。


「クライブ・ディクソンさんというのはあなたでしょうか」

「あ、はい……」


 名前を呼ばれて、カイルが立ち上がる。

 

「彼女の部屋から、大量の虫の死骸、それからあなたの名前を書いた紙と頭髪が見つかりました」

「え……、え!?」

「紙に記された魔法の文字を解読しましたところ、どうやら彼女はあなたに魅了の術をかけていたようなのですが……」

「み、魅了……」

「見た所なんともないようですが、身体の具合などおかしなところはありませんか?」

「いや、そういえば頭が痛い気がしますが……ただ疲れてるだけかと」


 目を泳がせながら、カイルは再びイスに座り込み頭を抱える。


「『術をかけたのに効かない』ってそういうことだったんだね……」


 虫の死骸が大量に出てきたとか嫌だなぁ……あの人の部屋誰も使えないな。

 

「強靭な精神力をお持ちなのですね。しかし全く効かないのは不思議です。何か特別な装飾品やお守りなどをお持ちで?」

「いや、特別心当たりは……」

「しかし念の為に解呪魔法ディスペルをかけてもらった方が良いのでは。そちらに回復術師の方もいらっしゃいますし」

「あ! そ、そうですね!! 早速やりましょう!」

「ああ……頼むよ」


 カイルの台詞を受け、すぐにベルが杖を両手に持ち目を閉じる。


「彼の者に降りかかりし災いよ……姿を見せよ」


 ベルがそう唱えると、掲げた杖が光り出す。まばゆい光がカイルを包み、やがて……。

 

「ひっ!?」

「な……!」


 その場の全員が息を呑む。

 カイルの全身――頭から腕、足にかけて、おびただしい数の赤い糸がくっついていた。血のような、赤。

 彼自身が蜘蛛の巣にかかった虫のように、ベトベトに糸が絡みついていた――。

 

 

 ◇

 

 

 聖銀騎士の人の話だと、あの糸は1本でもそこそこの効き目があり、かけられた者は術者を目で追うなどしはじめるらしい。

 カイルに直接触ることで糸をくっつけたりもしたようだ。

 だけどまるで効かないどころか「触るな」とたしなめられる。

 何度も何度も術をかけて、彼が赤い糸まみれになっても全く効かない。

 そして自分を聖銀騎士に売り渡すようなことをされ、とうとう怒りが頂点になってしまったようだ……。

 

「なんでだよ……怖すぎるんだよ……」


 身震いしながらカイルが机に突っ伏す。呪いはベルに解いてもらったけど、疲労がすごいみたいだ……。


「なんで全然効かなかったんだろうね?」

「名前じゃないかな……紙に『クライブ・ディクソン』って書いてあったらしいし」

「なるほど、真名まなでないと駄目ということでしょうか」

「それに君がかけた光の守護方陣も彼女の魔法を弱めたのかもしれないね」

「ふぇー、ベルってやっぱりすごいね。っていうか、カイルの髪の毛なんてどこで?」

「部屋は毎回カギかけてたけどな……知らない間に髪切られたみたいなこともないし……」

「あ! お風呂の脱衣所とかは? 髪の毛落ちてるんじゃない?」

「はっ! 脱衣所!?」

「えっ」

 

 素っ頓狂な声を上げたあと、またまた青褪めた顔でカイルは口を両手で覆う。

 

「……そうだ……髪散らばってる……グレンがいないから……」

「「ああ~……!」」

 

 土日の早朝、グレンさんがいつも掃除をしている。

 そしてカイルは今週冒険に出ず砦で寝泊まりをしている。女性の脱衣所はわたし達が掃除しているけど、男性の脱衣所はグレンさん以外が掃除をすることがない。1週間誰も掃除しなければそれなりに髪の毛が落ちるだろう。

 

「なんだか……隊長ってなかなか大事な存在ね……」

「うん……」


 うう、寂しいなぁ。あの人はいなくなったけど、早く帰って来て欲しい……。

 

「ルカ姉ちゃん!?」

「わっ!」


 フランツが大声で叫びながら、食堂の扉を開けた。


「びっくりしたぁ、どうしたの、フランツ」

「ルカ姉ちゃんは? おれ寝ちゃってて……」

「ルカ? 来てないけど……」


 そう言うと、フランツは泣きそうな顔になって拳を握る。

 

「どうしよう……ルカ姉ちゃん、どっか行っちゃった!」

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