15話 袋小路

「ねえ、ねえ、レイチェル姉ちゃん。何か手伝うことないかなー?」

「そうだね、んっと……このゴミを出しておいてくれる」

「分かったー」


 大量のカニの殻をフランツに託した。

 カニの殻は臭いけど、土の魔石を置いておいたらこれまたいい土になるのよ。

 しばらく、本当に臭いけどね。


「そのあと、パスタの袋持ってきて~!」

「分かったー!」

 

「レイチェル……」

「んっ?」


 ジャミルの声がした。

 声の方に目を見やると、ジャミルがまた紫のオーラをまとって厨房をずるずると歩いてきていた。

 

「ジャ、ジャミル……どうしたの、また……」

「いや……なんでもねえ、なんか、すること、ねえか……?」

「こっちは大丈夫だよ、ねえ、ベルを呼んでくるから寝て――」

「なんでもいいからやらせてくれよ!!」


 広い食堂と厨房にジャミルの怒鳴り声が響き渡り、驚いたフランツが持っていたパスタの袋を落とす。

 前に怒鳴られた時と同じだ。


「お、落ち着いてよ。小さい子もいるんだから怒鳴らないで。あの、じゃあさ、この大根切ってよ」


 ビクビクしながらもジャミルに大根を差し出すと「分かった」と言って大根の皮を剥き始めた。

 邪悪なオーラを放ちながら大根を桂剥きするジャミル。

(どういう状況……)

 フランツがジャミルに怯えながらパスタの袋を持ってくる。


「わりい……二人共」


 明らかにビクビクしているわたし達に、ジャミルがボソリと言った。


「……寝てなくて大丈夫なの」

「寝てる方がおかしくなりそうなんだ。剣が喋るし、変な幻覚や夢は見るし、何かしていないと落ち着かねぇ」


 大根の皮が薄く薄く剥かれてシンクに落ちていく。


「剣が喋る? 幻覚に夢?」


 ルカが言っていたことと同じだ。ジャミルは聞こえていないって言っていたけど、今は聞こえているの? それってどういう状態?


「『お前のせいだ』とか『なんであの時連れてかなかったんだ』とか。夢は……ひたすらあの日の夢だ。湖のほとりで、アイツが死んでる」

「……ただの夢だよ。カイルは生きてるよ」

「大人のアイツがひたすら無言で見下ろしてくるだけの夢も見る。グレンには『剣が喋る』しか言ってねえけど、それ言ったら真面目に聞き返してきて。アイツちゃらんぽらんだから……そうやって真面目に聞いてくるって、なんかヤベー時なんだろな。仕事にも出るなってよ」

「そうなんだ……」


 無心に大根を剥いているジャミル。必要がないくらいに薄く剥かれて、大根がどんどん細くなっていく。

 

 ――どうしてだろう。

 ジャミルはここまでの目に遭わなきゃいけないものなの?

 彼のちょっとした過ちで結果的にカイルはいなくなってしまった。

 だけどどうしてこんな剣に呪われて、ありもしない幻覚を見せられてまで責められなければいけないの?

 カイルは生きている。ジャミルを憎んではいるけれど、いつか元に戻れるかもしれないって言ってる。

 時間が解決するかもしれないことを、この変な剣が邪魔をしている。どうしてなの……。

 

 フランツはジャミルに近づかないよう、気まずい雰囲気に目を泳がせながら色々と物を持ってきてくれている。

(これは良くないよね……)


「フランツ。あとはわたしがやるから、もういいよ。部屋に戻ってて」

「う、うん……」


 ジャミルを見ないようにフランツがパタパタと立ち去ろうとしたその時だった。


「ちくしょう!」


 という声とともに、ジャミルがシンクを叩きつけた。

 フランツがビクッとなってその場に立ちすくむ。


「なんでだよ! なんでだよ!! なんでうまくいかねえんだよ!! なんで、オレがっ――」

 

 ――そこまで言ったところで、突然ジャミルの上に水の球が出現した。水の球は彼に直撃し、ジャミルは水浸しになってしまう。

(水の球――)

 

「てん、ちゅう……」

「そうよぉ。小さい子やレディの前でがなりたてるなんてどういうおつもりですの?」

 

 ルカとベルだった。

 ルカが指をかざすと、またジャミルの上に水が出現してザバ――っとかかる。

 少し怒ったように見える。こんなルカは珍しい。

 ピンポイントでジャミルにかかっていて、排水口があるとはいえキッチンは水浸しだ。

 あとで掃除しなければいけないだろう。


「わりい……許してくれ」


 そう言ったあと、ジャミルはその場にへたり込む。そして両手で頭を抱えたきり、何も言わなくなってしまった。

 

 

 ◇

 

 

「なんだ。全員ここ、に……」


 グレンさんが何かの書類を手にして帰ってきた。

 ――水浸しのキッチンに頭を抱えて座り込むジャミルに、それを見ているだけのわたし達。


「…………」


 状況を一瞬で把握したのかグレンさんは無言になるが、すぐにまた口を開いた。

 

「――レイチェル」

「えっ! あ、はい!」


 ジャミルに声をかけると思いきや、自分に声がかかると思わず素っ頓狂な声が出てしまう。

 

「少し話があって……でもここの片づけが先だな」

「――オレがやるから、いい」

「お前びしょびしょじゃないか、風呂入ったら――」

「いいんだ。やらせてくれ」

「――わかった」

 

 びしょ濡れのままでジャミルが立ち上がり、掃除用具を取りに行った。

 彼を覆っていた紫のオーラはなりを潜めたが、その代わりに目が少し光っている。


(目が光ってる! ……あれ?)


 ――彼の眼は青のはず。だけど何か赤みがかかって、紫色になっているような……。

 

「レイチェル。いいか?」

「は、はい……」

 

 

 ◇

 

 

 グレンさんと厨房から出て、砦の奥の『練習場』へ。剣の練習用の人形や、魔法の練習用の珠が置いてある。

 ジャミルとグレンさんが手合わせする時によく使われているけど、基本人気ひとけはない。

 最近のわたしなら『二人きり!』とドキドキするシチュエーションだけど、今は違う。


「グレンさん……あの、ジャミルの眼が光ってて、あと、彼は青眼のはずなのに紫になってました……」

「……見た。あれはまずいな」

「……」

 

『まずい』――それを聞いてわたしはさっきのジャミルの言葉を思い出す。

 基本ちゃらんぽらんで何を考えているか分からないグレンさんが、真面目な顔で『まずい』と言う。

 これはきっと、相当良くないことなんだ。

 

「レイチェルには現実味がないかもしれないが、眼がああなるのはまずい。闇堕ちでも一番最悪のやつ――『赤眼あかめ』になりかかってる」

「赤眼……?」

「眼の色が完全に赤に染まったら、剣に宿っている闇の紋章がジャミルを乗っ取って、剣の意のままに動くようになる。そうなったら――魔物と同じと見なされる」

「え……何それそんな……それじゃ、ジャミルは」

「――捕まって牢屋行き、もし捕まえられずにジャミルが逃げれば賞金首になる」

「しょ……」


 ――賞金首? それって凶悪犯の顔写真の下に報奨金の額が書かれた手配書が出回って……ってやつ? 指名手配されるの? ジャミルが?

 

「どうして、どうしてジャミルがそんな……彼はただの幼なじみで、料理人で、そんなの――」

「落ち着いてくれ。ちょっと情報量が多すぎたな……すまん。それで、レイチェルに頼みたいことがあって」

「わたしに……?」

「これからカイルの所に行く。それであいつにジャミルの事情を説明して、ジャミルと話するよう説得して欲しいんだ」

「説得って、わたしがですか?」

「ああ。頼む。俺が言っても不機嫌になって物別れに終わる可能性大だ」

「はい……あの、わたしの話をもし聞いてもらえなかったり、失敗した、場合は……」

「……その時は、引きずり倒してでも、ジャミルの前に」


 グレンさんが険しい顔で拳を作って、自身の太ももあたりをドンドンと叩く。

 

「ひ、引きずる……」

「いや、腹が立たないか? なんで俺達が奴らの諍いに気を揉まなけりゃならない。大人なんだからてめえらで話し合えって話だ。剣の事をあいつだけが知らないのも気に入らない」

「それは、そうですが……てめえらってそんな言葉が悪い……」

「すまんな。隊長は気が短いんだ。ヤンキーなんだ」

「ヤ……えええ……」

「そういうわけで、善は急げだ。……行こうか」

「行くって、でもカイルはどこに……またあの宿屋ですか?」

「いや。……ちょっと、失礼」


 肩にグレンさんの手が置かれる。


「え……」


 突然触れられてドキッとしてしまう。

 グレンさんが目を閉じて無言になると、目の前の景色が霞む。

(あ……この感覚、これって)

 わたしが考えるより先に視界から砦の景色が消え、そして次の瞬間にはポルト市街が広がっていた。目の前にはこの前とは違う宿屋。

 

「わ……すごい、グレンさんも転移魔法使えたんですね」

「まあな。疲れるから、あまりやらないけど……ああ、今はここに泊まってるのか。助かる」

「助かる……?」

「いや、こっちの話。行こうか」

「はい」

 

 

 ◇ 

 

 

 宿のクローク前。


(えっと、まずはわたしがカイルを呼び出すんだよね)


 前のやりとりを思い出して、わたしは偽名を使っているカイルを呼び出そうとした。


「あの――」

「ここに『クライブ・ディクソン』という男が泊まっていないか? グレン・マクロードの名前で呼び出して欲しい」

(……え?)


 グレンさんが宿のクロークの人にはっきりとそう告げる。『偽名はインプットされない』って、前は全く別の名前を言っていたのに、淀みなく。

 

 

 しばらくすると、カイルがやってきた。わたし達二人を見て少し眉間にしわを寄せながらやってくる。


「……また二人か。何の用で――」

「ごきげんよう、クライブ・ディクソンさん」

「え?」


 グレンさんが目を細めて冷たく言うと、カイルは心底驚いたといったように目を見開いてグレンさんを見る。

 

「何だよ、お前……」

「お話があります。どうぞこちらへ」

「…………」


 事務的にそれだけ告げたグレンさんの後を、カイルは無言で胸の辺りの服をつかみながら憮然とした顔でついていく。


「レイチェルも、こっちへ」

「あ、はい」

 

 『カイル』としか呼べず、『クライブ・ディクソンを呼ぶはずがない』という彼が、その名前を呼ぶ。そこには2人にしか分からない意味があるんだろうか――。

 わたしは不安でたまらない気持ちを抱え、2人のあとをついて宿屋を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る