14話 報告書
今の気分とは裏腹に、雲一つない快晴。
報告書の入った封筒を手に隊長室を出ると、廊下の掃き出しの窓から、中庭に座っているルカが見えた。
「ルカ、俺は出かけるから」
「ん……」
以前レイチェルと花を植えてから、毎日せっせと水やりをしている。
今はクリップボードを手に何か書いているようだが……。
「一緒にくるか?」
「……行かない。わたし、忙しい」
「あ、そう……」
ここを借り上げたばかりの時はどこに行くにもくっついてきていたルカ。
だが今彼女の中の俺の序列は低い。
花 レイチェル パンケーキ その他諸々……で、俺はランキング下位にいるようだ。最近カニ味噌がランクインしたらしい。
「で、今は何を書いてるんだ」
「この子達の日記」
レイチェルと植えた種は枯れることなく育ち、いくつかはもう花を咲かせている。
花が咲いた時は、無機質で表情が少ない普段の様子からは想像もつかないくらいに顔を綻ばせていたのが記憶に新しい。
「花の観察日記か……絵が描けるのか。すごいな」
クリップボードにはひまわりと朝顔の絵。
他の花はちょっと分からないが、色鉛筆で描かれた何かの花に今日の様子が短く記されていた。
――健全で羨ましい。こちとらストーカーじみた成人男性の観察日記だというのに。
「すごい? 絵が? お兄ちゃまは、描かない?」
「俺は画伯だからな」
「がはく……」
「個性的ってことだ」
「こせいてき……」
「……絵が下手なんだ」
「そう。お兄ちゃまは、絵が下手……覚えたわ」
ルカには婉曲な言い回しは一切通用しない。最初は煽っているのかと思ってイライラしたものだ。
「そんなのは覚えなくていい。……ところで、俺の名前は知ってるよな?」
「グレン・マクロード」
「知ってるじゃないか。そんなわけでお兄ちゃまはやめてくれ」
「……しっくりこないわ」
「しっくりこない……?」
「お兄ちゃまとずっと呼んできたから。……グレンと呼べばいい? レイチェルみたいにグレンさんと?」
「そういう意味か……どっちでも、好きな方でいいぞ」
「分かったわ……お兄ちゃま」
「全く分かってないな……まあとにかく、俺は出かけるから」
「ええ」
◇
ギルドに今月分の『ジャミル君観察日記』を提出した。
ミランダ教会にこれがまた上がって返答がくる。
『ご協力感謝。引き続き経過を報告されたし』という一文だけ記された紙切れが返って来て終わりだ。
いつもは10分くらいで返ってくるが、今日は『1時間ほどお待ち下さい』と言われたため、ギルドの待合室で本を手にボーッと考え事をしていた。
ジャミルのこともそうだが、今朝のルカとの会話だ。
『しっくりこないわ』
しっくりこない……「今さら変えるのが難しい」という意味で、おそらくそれだけだろう。
それでもひっかかりを憶えてしまう。
(けど俺も『ルカ』は憶えてるし言えるしな)
ルカはおそらく本名ではない。何か混じりけのある『色』をしているから、本名は別にあるのだろう。
しかしカイルほどに合っていない『色』ではない。奴はくっきりはっきり違う色をまとっていた。
ルカの方は……おそらく自分で本名を知らないのではないだろうか。
奴の『カイル・レッドフォード』というのはこの上なくしっくりくる名前だ。
上の名前しか知らない頃よりも色が鮮明になり、正体が分かった気がする。
俺は……見える人間からすればどんな色なんだろうか。
(ていうかカイル……カイルだ! あいつめ、クソが)
剣の呪いだの闇堕ちだのこの報告書のことも知らないから仕方がないとはいえ、正直あいつのお陰でジャミルがどんどん仕上がって、こんな『レベル3』だかの報告をあげないといけないんだが?
ジャミルの話をすると不機嫌全開になるとベルナデッタが言っていた。
俺の方も今週のモンスター退治で会った時は意識的にジャミルの話は避けた。
会った段階ですでに機嫌が悪そうだったからだ。
あいつとは10数年付き合っているが、印象は昔と変わらない。
さわやかで基本的に行いはいい、困っている人は助ける、悪いことは見過ごせない。……が、口は悪い。
あとキレさせると怖い。俺は一度やらかしてボコボコにされたことが……って、それはいいか。
ともかく、性格と口は確かに悪いがあんなあからさまに『俺は機嫌が悪い』というオーラを出したのは初めて見る。
奴が兄――ジャミルの話をする時は基本楽しい思い出話ばかりだった。
『兄貴がいるんだけど』『兄貴がこう言っていた』『兄貴と昔来たことがある』『このココアは兄貴と開発したんだ』とか。
心の底から憎んでいるとは思えない……が。いざ顔を合わせると何かこみ上げるものがあるのかもしれない。
そこへ、その兄が剣に取り憑かれていることを教えて引き合わせればどうなってしまうのか……。
そういえばモンスター退治のついでに配達の依頼もすることがあり、依頼主が礼の品として『カラスの黒海』をよこそうとすることがちらほらある。
あの「ノルデン人の子供は光り物と残飯を集める『カラス』だからこれでも飲んでろ」という皮肉だかなんだか分からん嫌がらせの品だ。
俺としては「またか」くらいの瑣末事だが、カイルがいると「なぜワインを贈るのか、なぜ決まってこの銘柄なのか、この土地の風習なのか、名産品なのか、自分一人の時ではこれがもらえないのはなぜか」などを事細かに依頼主に聞く。
もちろん奴はその酒の意味も意図も知っていて聞いている。
相手としては差別や嫌がらせでこういうものを贈っているとは言えないものだから答えに困窮する。
そこをネチネチネチネチと相手が涙目になるくらい質問攻めにして、なおかつ俺が何も言わずに酒を受け取ろうとするのでそれも「なんで断らないのか」とこれまたクドクドクドクド説教される。
――まさかとは思うがあの調子でネチネチクドクド精神攻撃をされてはかなわんと思って、顔を合わせることもないよう出禁にしたのだが。
『いいよ別に。俺も用事がないし』と言いながらも眉間にシワを寄せて笑っていた。
そもそもお前が『これからは現地集合にする』と言っておいて、来るなと言うと不機嫌になるとかなんなんだ。わけが分からん。
……さん、マクロードさん……グレン・マクロードさん……
(ん?)
「グレン・マクロードさん、お待たせしました」
「あ、ええ……」
あれこれ考えていたらギルドの人間に呼ばれていた。
「申し訳ないんですが、少し別室にお願いできますか」
「別室、ですか……分かりました」
――別室。いつもは紙切れ一枚で終わるはずなのに。
ギルドの人間に促されるまま別室に足を運ぶと、法衣を身にまとった神官が立っていた。
何を言われるのだろう。
どうせ、ろくなことではない――。
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