6話 洗礼

 わたしは翌日、近くの店で種と植木鉢を買ってきた。

 最初は直接植えるよりも鉢植えで育てて、ある程度育ったら庭に植え替えよう。

(ひょっとしたらすぐ辞めちゃうかもしれないしね……)

 

「よい、しょっと……」

「何、してるの」

「はっ!?」

 わたしがしゃがみこんで植木鉢に土を入れていると、ルカが目の前に立っていた。

 

 この子はかなりの魔法の使い手のようで、軽々と転移魔法で消えたり現れたりする。ある程度見慣れたとはいえ、突然目の前に現れると心臓に悪い。

「ええっと……花を育てようと思って、その用意をしてるの」

「……花?」

「うん。みんなが出かけてる間は野菜を切ったりとかしてるんだけど、それまで暇だから何か育てようかなーって」

「育てる……?」

「そう」

「……あなたは『ヒト』なのね」

「へっ? え――っと……。うん……??」

「そう」

 ヒトって人? 人間っていうことなのかな? 何を聞かれているんだろう……。

「えっと……話したことなかったよね。わたしはレイチェル。レイチェル・クラインっていうの。あなたのことは『ルカ』と呼んでいいのかな?」

「いいわ」

「よろしくね」

「…………」

 ルカは無言でわたしに視線だけをやる。

(あんまり話したくない……とか? 作業を続けててもいいかな……?)

 わたしはルカを気にしながらも、土を入れた植木鉢に種を植える。

 

「そういえば、水道はどこかな?」

「……水が必要なの」

「うん」

「…………」

 ルカが無言で手をかざす。彼女の手首に巻いてある魔石のブレスレットが青く光り、空中に水が集まる。

「わぁ……すごい……!」

 集まった水がどんどん大きくなっていく。

「あ……待って、ちょっと……多すぎ……じゃない?」

 その時、グレンさんが焦った様子で飛び出してきた。

「……待て、ルカ! やめ……」

 グレンさんが制止するより前にルカはかざした手を振り下ろした。

 ダバ――ンというけたたましい音とともに巨大な水の玉が地面に叩きつけられる。

「…………え?」

 一瞬何が起こったか分からなかった。

 わたしは大きな水の玉のほぼ真下にいたのでびしょびしょの水浸しになってしまった。

 植木鉢がゴロゴロと転がっていく。たぶん種もどこかに流れてしまった……。

 

「レイチェル! 大丈夫か!?」

 グレンさんがわたしに駆け寄る。

「あ……はい。濡れただけですから……」

「ああ……やっちまった……」

 物音を聞きつけたジャミルがやってきて、バツが悪そうに頭を搔いている。

 

 え? え? 何これ?? この子がよくこれをやってるってこと? ルカを見ると特に表情も変えずわたしを見ている。

「水浸しじゃないか……レイチェル、片付けは俺達がやっておくから君は風呂に入ってきて。タオルのストックはあるはずだから」

「あ、はい……」

 わたしは未だ茫然自失のまま、とぼとぼとお風呂へ向かった。

 

 

「――なるほど。彼女が水がいると言ったんで、水を出してやったと」

「そう」

「故意でないことは分かった。でも相手は悪意にとったかもな」

 わたしがお風呂を借りて戻ってくると、キッチンの椅子に座ったルカがグレンさんにお説教をされていた。ジャミルは黙々とお肉と魚を焼いている。


「お腹が空いたわ。パンケー……」

「――話は終ってない。全くお前は、何回人に水をぶっかければ気が済むんだ。パンケーキだと? そこの、バナナでも食ってろ」

(わぁ……)

 グレンさんはシンクに置いてあるバナナをアゴで促す。するとルカは本当にバナナを手に取り、皮をむいて食べ始めた。

「……」

「クッ……」

 グレンさんが頭を抱えて大きなため息をつき、ジャミルは料理しながら薄ら笑いする。

(笑いどころじゃないような……)

「あ、あのー」

 恐る恐る声をかけると、三人共こちらを一斉に見た。

「わたし、今日はこれで失礼しようかと思うんですが……」

 ちょうど上がりの時間だし……でもタイミングよくないかな?


「あ、ああ……お疲れ……おいルカ、何か言うことがあるだろ」

「好きよ」

「……バナナがか」

「ちがう。……あの子、好き」

「そ、そうか。レイチェル、今日はすまなかった……また、来週」

「はい。お先に失礼します」

 

 

「はぁ……」

 わたしはため息をつきながら家に帰る。

 バケツを引っくり返した雨ってよく言うけど、まさにバケツの水そのもののような塊の水を浴びせられてしまった。

 どうやらルカは何回か人に魔法で水をかけているらしい。たぶんそれが原因で人がやめていってるのかも。

 言動もだけど、行動もかなりおかしい魔法使いの女の子。付き合っていけるのかなぁ……。

 

 

 ◇

 

 

「へぇーぇ……マジで災難じゃん。洗礼ってやつ??」

「そういうのじゃないと思うんだけどね……」

 翌日の放課後、昨日の出来事を話しながらメイちゃんと一緒に帰っていた。


「『お兄ちゃまに近づく女許さない!』ってことじゃん?」

「うーん。なんというか……こう、ただ色々分かってないって感じかなぁ」

「世間知らずってこと?」

「あんまり人と関わってなさそうな……」

 血の繋がりはなさそうだけど「お兄ちゃま」と呼ばれてるグレンさんとも会話が全く噛み合っていなくて、彼もけっこうイライラしながらも会話の糸口を見つけているように見えた。

 

「なんかよくわかんないけど、バイトは続けるわけね?」

「それは、うん。だって、いい土が! ただで手に入っちゃうんだもん!」

「いーなー! ちょっと今度あたしにも横流ししてよー」

「ふふっ 隊長の許可が出たらね!」

「隊長といえば、今日も図書館行くわけ?」

「うん。園芸の本を借りにね」

「どうなん? 週三で憧れのあの人に会ってお話できて、ときめく話とかないわけ?」

「ないよぉ……」

「え――、ときめきは消えちゃったってわけー?」

「かっこいいけど、普通の男の人だなーって思うくらいかなぁ」

 黙っているとかっこいいからちょっとミステリアスだったりしたけど、普通に笑ったり焦ったり、妹? が悪いことしたら叱ったりする普通のお兄さんっていうのが数回バイトで会ったグレンさんに対する感想だ。

(むしろ『ラクして稼ぎたい』っていう、ちょっとダメ寄りの人のような……)

「魔法が解けちゃったかー。なんだぁ、つまんなーい。くださいよぉ~ ときめく話をよぉ~」

 メイちゃんがかばんをブンブン振り回しながら口を尖らせる。

「あはは……。あ、わたしこっちだから」

「ん。バイバ~イ」

 

 

 ◇ 

 

 

(あれれ……?)

 図書館に足を運ぶと、司書の席には館長――テオおじいさんが座っていた。

「やあ、いらっしゃい」

「あ、はい、こんにちは」

 グレンさんが来る前までは女の人が司書をやっていたりしてたけど、館長が座っているのは珍しい。

 

「本を借りていくのかな?」

「はい」

 わたしは園芸の本を館長に渡す。

「今日はマクロード君は用事があっていないんだ。すまないね」

「えっ! いえいえ、そんな……」

(今日は純粋に本を借りるためだったんだけどな……)

 でも最近はもっぱら司書のお兄さん―ーグレンさんを見るために通っていた。館長には分かっていたんだ……恥ずかしい。

 

「レイチェルさん。最近、ワクワクしていますね」

「そ……そうですか??」

「ええ。あなたの周りの空気がそわそわ、ふわふわして踊っています。――いい風が吹いていますよ」

「風……」

 使っているのを見たことがないけど、このおじいさんはたぶん魔法使い。こうやって時々、何かを風に例えて表現する。そして不思議とそれは当たっているのだ。

 

「わたし自身はあまり意識してないですけど……ワクワクしてるのかな?」

「……春は新しいことが始まる季節ですからね。人も街もワクワクでいっぱいですよ」

「あ、それは分かります! 暖かいしお花もいっぱい咲くし、外に出たくなっちゃうもん」

「ふふふ。あなたの新しいこともワクワクでいっぱいになるといいですね」

「はい!」

「じゃあ、これどうぞ。返却は来週月曜日です。……来週はマクロード君がいるからね」

 館長が本をこちらに差し出し、ウインクしてみせる。

 

「そんな、そういうのじゃ……あはは」

 司書のお兄さんにキャーキャーとはしゃいでいた自分を思い出して赤くなってしまう。

(最近は見に来てるっていうわけじゃないんだけど……そんなに気持ちがだだ漏れだったのかな……恥ずかしい)

 

 図書館を出ると、暖かい日差しと柔らかい風。

「うーん、いい風……」

 わたしは春の空気をいっぱい胸に吸い込み、家路についた。

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