3話 バイト初日
金曜日。学校が終わり、いよいよバイト初日。
わたしは自室で宿泊の用意をしていた。
「着替えと、エプロンと、あと学校の課題とぉ……。そういえば食材とかはどうするのかな? 向こうで用意してくれるのかな? 何も聞いてこなかったなー」
「用意はできたの?」
「あ、お母さん」
ドアが開けっ放しになっていた部屋の入り口からお母さんが声をかけてきた。
「うん。そろそろ行ってくるね」
「気をつけてね。それにしても、泊まりがけだなんて大丈夫かしら。野獣みたいな男がいなければいいけど……」
「その時は言いなさい。パパがぶっ飛ばしてやるから」
「あ、お父さん」
いつの間にかお父さんまで鼻息荒く拳を握りしめて立っていた。
お父さんは元冒険者で腕っ節はなかなかだったとか、筋肉フェチのお母さんが「斧を使う筋肉が素敵で惚れ込んだ」という話を2000回くらいは聞かされている。
ちなみに小さい頃から「パパ」と呼んでいたことは一度もない。
「そうね、その時はパパに断罪してもらいましょ!」
「うん、大丈夫。そろそろ行きたいんだけど、いいかな」
わたしはさらっと会話を流す。――いつものことですから。
「レイチェル! 気をつけるんだぞ!」
「辛くなったら帰ってくるのよー!」
「あのね、週末だけだから。旅立つわけじゃないんだから……」
わたしは荷物を抱え家を出る。
「レイチェルー! 寄り道するんじゃないぞぉー!」
「知らない人がアメちゃんくれるって言っても着いてっちゃダメよ~っ」
「も――! 大丈夫だからー!」
わたしは大声で応えながら、自宅から続く丘をパタパタと走る。
「はぁ、騒がしいなぁ……」
泊まりがけのバイトについて「もう18だから自分の責任は自分で取りなさい」という名目のもとあっさりと許可してくれたはいいものの、超絶過保護なんだよね……。
街の民家からちらほら夕ご飯のにおいがし始める時間、わたしは砦に到着した。とりあえずは雇い主のグレンさんに挨拶に行けばいいかな?
「はぁ!? 20万!? おかしいんじゃねぇの!?」
「およっ?」
隊長の部屋へ行くと、中から男の人の怒鳴り声が聞こえてきた。もう一人のお仲間さんなのかな?
「……そんなに怒らなくても」
グレンさんの声も聞こえてくる。
「急に額を釣り上げすぎなんだよ! 適度な額で止めとかねえとヘンなのばっか来んだろが!」
(お給料の話だぁ…)
確かに20万はもらいすぎとは思う。学生が週2のアルバイトだと4~5万くらいが相場っぽいし。
「あ、あのー」
わたしは恐る恐る声をかける。
「あ、ほら。彼女が新しいアルバイトの子」
「あん?」
グレンさんに促され、彼に抗議していた細身の男の人がこちらを振り向く。茶色の短髪に、青い瞳。
(……ん?)
「あれ? ……ジャミル?」
「あ? レイチェル? ……お前がアルバイトかよ?」
その青年はわたしの知っている人だった。
「ん? 知り合い?」
「あ、はい。えっと……幼なじみというか、なんというか……」
「最近は馴染んでねえけどな」
「まあ、そうだね……」
その青年――ジャミルくんはわたしの二つ年上で、幼なじみといっても五年前に引っ越して行って、親同士の付き合いはあるけどわたし達は手紙のやりとりなどの交流も全くなかった。
性別も違うし、思春期だったし。
「なるほど。じゃあちょうどいいか。知っているだろうけど一応。彼はジャミル・レッドフォード君。コックさんをやっています」
(コックさん、て)
「厨房に案内するから、後は彼に教わってくれるか」
「あ、はい」
◇
小規模な建物ながら、厨房は大きな冷蔵庫に広い作業台と、かなり立派な造りだった。カウンターの向こうにはいくつかテーブルがあって、15人くらいは入りそうだ。
「……で、これが食材入れとくとこで、これが一週間分。毎週ここにストックしとくから」
「三人なのにすっごいいっぱいあるね……」
パントリーには1ヶ月分くらいの野菜や果物が大量に置いてあった。これが一週間でなくなるの…?
「ああ……あいつらアホほど食うからよ。特にあの女」
ジャミルが頭を掻きながらあきれたように言う。
「アホほど って……。あの女ってピンクの子だよね?」
「どんぶり飯だけで5杯くらい食うし、グレンの奴もまあまあ食うからな……魔法使うと腹減るのかなんか知らねえけどよ」
「ふ、ふーん……魔法使いの人が知り合いにいないんだけど、そうなんだ……」
「で、冷蔵庫は……こっち水の魔石が入ってて冷やす用。こっちは氷の魔石。こっち入れたら凍っちまうから間違えんなよ。魔石は1ヶ月は持つ。なくなったらその都度補充だ」
ジャミルが青い魔石と水色の魔石を手にする。
「わかった。ところで、今日早速ご飯作るんだよね。何を作ればいいの?」
「なんでも、テキトーに。栄養面とか味も気にしなくていい。とにかくあれば食う連中だから」
「なるほど……」
「めんどくせえ時は毎回カレーでいいぞ。何出しても文句は言わねーから」
「カレー……それで20万はもらいすぎかと……」
「あっ! そうじゃねーか! 話の途中だった! オマエほんとに20万とかもらう気か――」
ジャミルが言い終わる前にピシュンと音がしてルカという女の子が現れた。
「きゃっ!?」
「おわっ!? 急に出てくんなよ!!」
食材の入っている冷蔵庫の前で座り込んでいたわたし達は驚いて尻もちをついてしまう。
「――おなかが空いたわ。……食べ物を」
ルカは驚くわたし達に特に気をやるでもなく注文する。
「あ……ああ。それならここにパンケーキの作り置き、が……」
ジャミルが冷凍庫を見回す。
「……ねえ……。一昨日、50枚くらい作ってたのに」
「食べたわ」
「……」
ジャミルがあっけに取られて黙り込む。パンケーキ3日で50枚全部食べたんだ……すごい。
「パンケーキ、ふわふわでおいしい。食べたい」
「……」
ずいぶんマイペースな子だな……。
「ああ……」
ジャミルは生返事してから立ち上がり、がっくりと肩を落としながらパントリーへ向かう。そして粉の大袋をかついで調理台にドカンと置いた。
「……つーわけで、パンケーキ100枚焼いてくれ」
「ひゃく……!? ……うん、わかった」
なんだか思ってたよりも、ずっと大変そう……かも?
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