第五章 あの時の俺があったから、今の俺がいる

1.若いっていいなぁ!

「鈴木くん、悪いんだけどさ、この書類作ってくれない?」


「鈴木さん、これちょっと聞きたいんですけど、本社ではどうしてました?」


「いやぁ、鈴木さんが来てくれたからすごく助かるよ! こんな田舎で不便だろうけど、俺たちは大助かりだよ!」


 引っ越しや手続きなどこまごまとした雑務が多く、バタバタと過ごしていたがそれもようやく落ち着きを見せ始め、周囲を気遣う余裕が出てきた。


 転勤して数週間。職場の雰囲気にも慣れ、本社にいた時とは違う社会人生活を俺は送っていた。本社とは違って、田舎特有の気質なのか温かい人たちに囲まれ、気持ちよく仕事ができている。


「今日は鈴木くんの歓迎会をするから、急いで終わらせて飲みに行こう」


 三橋課長にそう声をかけられ、充実した仕事を終えたあと、こじんまりとした居酒屋に連れて行かれた。


 小料理屋と言うには生活感が滲みすぎているその店は、恰幅の良い奥さんが1人で切り盛りしているようだった。奥座敷には煙草のヤニと長年の愛すべき汚れが目立つが、小綺麗に掃除されていて、田舎の祖父母の家のような安心感がある。


「それでは、鈴木さんの転属を歓迎して、乾杯!」


 幹事の挨拶が終わると、ビールジョッキが触れ合う音で埋め尽くされた。


「こっちに来てちょっと経つけど、もうこの土地には慣れましたか?」


「最近、うちの家内がガーデニングにハマっちゃって庭中草だらけだよ」


「この前加藤木さんに教えてもらった店行ったんだけど、なかなか良かったです」


 よく飲み、よく食べ、仕事の話も、プライベートな話も、様々な話題が飛び交い、リラックスした空気が流れていく。とても同じ会社とは思えない距離感だ。そのぐっと距離を詰めてくる感覚に、少し面喰いながらも居心地の悪さは感じず、むしろ心地よい。


 少し前の俺なら、見落としていたかもしれないその関係性を、今では楽しみながら構築していくことができる。


 宴もたけなわ、秋の風を頬に受けながら夜道を1人辿っていると、ふいに人恋しくなってきた。自宅までの道のりにある公園で一息入れよう。ベンチ脇には青色の自動販売機が一台。雨風日光にさらされて、その色をどんどん薄くしていた。


「飲みすぎたかな」


 口の中で呟いて、炭酸飲料を買う。ガコン、という缶が落ちる音が、こんなに大きなものだとは思いもしなかった。気恥ずかしさで周囲を見渡すが、人どころか野良猫の一匹さえもいない。さっきまで喧騒の只中にいたことが信じられないくらいに、孤独を感じた。


 甘ったるい炭酸を口に運びながら、頭上に広がる星明りが近い夜空を眺めながら、物思いに耽った。


 この半年ちょっとで俺の人生は大きく動いていった。川相さんと仲良くなった、戸井田さんと出会った、紺野と付き合った、転勤した。たかがネットの関係性に踊らされ、助けられ、貶められ、癒されて。仕事もプライベートも、めまぐるしく変わっていった。


 この半年があったからこそ、この土地で俺は上手くやれているのかもしれない。


 ふいに思い立って、ずっと開いていなかったFORKのアプリを立ち上げてみた。黒くんの事件以降リアルが忙しいことも手伝って離れていたが、この公園の孤独に気圧されて人恋しさが勝った。


「次郎にするか」


 只野人間ではなく、次郎でFORKにログインした。

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