4.説明しろよ

 プルルルルル―――。


 コール音は鳴るが、電話には出ない。どうやら宣言通り、俺と連絡を取るつもりはないようだ。


 会社を出てから、紺野に電話をかけているが一向に出る気配がない。何も説明されないまま、はいそうですかと引き下がる訳にもいかない。


 一か八か、紺野を待つことにした。


 会社の向かいにあるチェーンのファストフード店へ入る。コーヒーだけを注文し、会社の入口が見える窓際へ陣取った。やたらに味の薄いコーヒーを流し込みながら、出てくる人間を眺める。


「まっず」


 今日は誰もが落ち着かない日だった。俺も自分のことで手一杯で、だが仕事は待ってくれない。必要最低限のことだけをなんとかクリアしただけだが、俺なんかに構ってられないくらい、上の奴らは慌てているようだった。


 問題は川相さんがなんで知っているかだ。誰にでも優しく、当たり障りなくソツなく仕事をこなしていた彼女。その彼女から届いたメールの意味が分からない。俺が現実に、FORKの話をしただろうか。俺が誰かに、俺が俺だと特定されるような細かい情報を与えただろうか。どうしてあんなメールを送ってきたんだ。その理由は…?


 考えても俺の中に答えは浮かんでこない。これについては川相さんに直接聞くしかないが、彼女はもう会社に来ることもないだろう。連絡先を交換してるわけでもなし、俺に知る術はない。そのことが一層恐怖に感じる。俺の知らないところで、俺のナニカを知って、おそらくそれを紺野に伝えている。震えそうになる膝を叩く。こんなに恐ろしいことが自分に降りかかるとは思いもしなかった。


「あ…」


 恐怖感と戦っていたら、紺野が出てきた。俺の目からは、いつもと変わらない様子に見える。急いで席を立ち、店を出た。


「おい、…明美」


 この短い距離で息が上がる。それだけ慌てていたことがバレてしまうだろう。


「何か用ですか」


 冷たく言い放つ、紺野の視線が痛い。


「連絡、なんで無視するんだよ。言ってくれなきゃ分かんな…」


「話すことなんて、ないです。最低な人」


 取り付く島もない。背を向けて歩き出す紺野。


「理由、理由だけでも教えてくれよ」


「ついて来ないでください」


「納得できない。川相さんに何か言われたのか?」


 ふいに立ち止まった。


「私と付き合ってる陰で、色んな女と遊んでたそうじゃないですか。それも私と行ったことのあるお店でばっかりデートして、そのあともおんなじ。なんなんですか。馬鹿にするのもいい加減にして」


 俺は固まってしまった。どうしてそれを知っているんだ。周りの人間には気を配っていたし、バレるはずもない。それを知っているのは、デートした女と、FORKのリスナーだけなはず。それを、しかも、どうして川相さんが知っているんだ。まさか、やっぱり川相さんもFORKを…?


「川相さんに全部聞きました。川相さんも遊ばれたって泣いてましたよ。真面目そうなイメージとは全然違うんですね。私だって、そんなに安い女になりたくないんで。もう二度と、話しかけないでください」


 それだけサラサラと言うと、しっかりとした足取りで紺野は遠ざかっていく。


「待てよ」


 思わず肩に手を触れると、左頬に衝撃と鈍い熱が広がった。


「気持ち悪い」


 その両目には軽蔑の色がありありと浮かんでいた。俺は何も言えずに、目を伏せた。ビンタをされた左頬がじんじんとしてくる。


 チラと目を上げると、紺野はもう遠くに歩いて行っていた。本当に俺のことを好きだったのかと疑いたくなるほど、「潔い」という言葉が似合う背中だった。


 覚束ないのは俺の足元だ。ぐらぐらと不安定に揺れている気がして、思わずしゃがみこんだ。心臓が痛いほど脈を打っている。頭がぐわんぐわんと回っている気がする。心なしか吐き気もある。身体は冷たく縮こまっていくのに、左頬だけが熱をもってひどく熱い。


 どうして、知っているんだ。どこでヘマをした。俺は何を間違えた。


 FORKのリスナーに裏切り者がいるのか。俺のことを持ち上げながら、陰ではほくそ笑んでいたのか。


 いや、そもそも、俺が鈴木一郎だとどうしてバレたんだっけ。住んでいるところも、仕事も、プライベートな予定も、好きな女の好みも。ネットの世界で済む話が、現実に広がったのは何が原因だったっけ。


 じりじりとしつこい夏の日差しに焼かれ、手に入れた幸せの一端が、風に吹かれて跡形もなくなっていくのを感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る