11.頭をハンマーで殴られた

 彼女がいた。まだシフト内だったんだ。少しだけ心臓が跳ねて、心が躍った。


呉井心

「願いが通じたのか!?」


呑兵衛@酒に呑まれる全ての人に愛を

「おじさんも嬉しくなっちゃうねぇ」


ぴゑんマン

「真☆打☆登☆場」


ねぐせ君

「ここは話しかけちゃいましょう~」


児島

「只野がときめいている…」


「ちょ、みんな落ち着いて。レジ、彼女しかいないっぽいです。会計してくるんで、スマホはポケットにしまいますね」


 コメントを読まなければよかった。どうしたって意識してしまう。そして口元が少し緩んでしまう。


 しっかりしろ、俺の表情筋。


 口元をさすりながらレジへカゴを突き出した。


「いらっしゃいませ」


 喧噪の中で聞く声とは違って、彼女の声だけが真っすぐ俺の耳に届いた。ソワソワと落ち着かない気持ちをぐっと抑えて耐えた。


 ぼんやりと彼女の動きを眺めていた。彼女の身長は俺より少し小さいぐらい。遠目ではもう少し小さいイメージだったが、雰囲気でそう見えていたんだろうか。


 バーコードを読み取る動きに合わせて、ストレートの黒髪が肩あたりで揺れている。さらに視線を落として胸元についている名札を確認した。


 戸井田。


「1438円です」


 ビクッとして我に返った。セクハラと言われても言い返せない目線だったことに気づいて恥ずかしくなった。


 慌てて財布を取り出し、会計を済ませて外へ出た。


 スマホを取り出し、コメントも確認せず話しかけた。


「彼女の名前、戸井田っていうみたいです」


 想像以上に自分の声が上擦っていた。


呉井心

「新しい情報だー!!!」


呑兵衛@酒に呑まれる全ての人に愛を

「宴じゃああああ」


いちご

「なんで名前分かったんですか?」


ぴゑんマン

「戸井田さんッ! 戸井田さんッッッ!!!」


古美

「素敵なお名前ですね」


児島

「話しかけていた雰囲気はなかったよな?」


グングンぐると

「細かいこたぁいいんですよ!!!」


月(るな)

「只野さんテンション上がってるね。その声好きかも」


 コメントがすごい勢いで流れると同時に、新たな課金アイテムのモーションが画面を埋めていく。


「ありがとうございます! もう、これは、ね。家まで待てない! ……飲みます!」


 テンションに身を任せて、戸井田さんが袋詰めしてくれたビニールから買ったばかりのビール500ml缶を取り出した。


 カシュッと小気味いい音を立てて缶を開ける。


 画面を見やる。


「それでは皆様、カンパーイ!!!」


 ゴッゴッと喉を鳴らして流し込む。キンキンに冷えた炭酸が喉を焼いていった。


「最っ高です!!!」


呑兵衛@酒に呑まれる全ての人に愛を

「外で飲むビールは美味いよねぇ! おじさんもテンション上がってきたよ!」


ペロ

「かんぱぁい!」


さとし

「今日も飲んだくれの配信者いえーい!」


プンちゃん

「なんだか楽しそーっ」


呉井心

「今日も呑んじまったな」


麗華

「いえーい☆」


「皆さんも一緒に呑みましょう! いやぁ気持ちいいですね~」


 夜風が吹いてきて気持ちが良かった。夏の気配を孕んだ匂いが、気持ちをさらに高めてくる。心なしか、足取りも軽やかになる。


 この状況に身を任せてしまいたかった。


「こんな美味いビール呑んだの初めてかもしれないです。今日は会社で嫌なことあったけど、終わりよければ…っすね!」


 手に持ったビールをまた煽る。


呑兵衛@酒に呑まれる全ての人に愛を

「やっぱりおじさんが見込んだ男だよ、君は。アイテム仕入れてきて良かったよぉ」


ポポパイポ

「なになにーなにしてんのー?」


麗華

「只野さんが楽しそうだと私も楽しくなっちゃうな」


月(るな)

「テンション上がった声もいいですね。もっとしゃべってくださいよ」


いちご

「少し声、大きくないですか?」


「いやぁ、俺にもこんな清々しい気持ちが来るなんて思ってなかったっすよ!」


 酔いが回ってきた勢いで、声も段々大きくなる。まばらに道行く人たちが、怪訝そうな顔で俺を見ているが、それさえも俺を高ぶらせた。


「結構喉乾いてたんで、あっという間に半分以下w 呑み切っても、コンビニなんてすぐ近くだから買えるしいいっすね!」


 がははと笑ってコメントを眺めていた。


 昨日来た初見も、今日初めての初見も、とにかく初見の名前とコメントがズラリと並んでいる。次々と課金アイテムが飛び交い、もっともっとと俺のテンションを焚きつけてくる。


「2缶目、行きまーす!」


 高らかに宣言した時だった。


「君、ちょっといいかな?」


「へ?」


 水を差された気持ちで後ろを振り返った。


 青い制服の2人組が俺を見ている。


「ちょっと大きな声じゃない? こんな時間に何やってるのかな?」


 柔らかな表情と声色のくせに、目は笑っていない。


 穴の空いた風船のように、俺のテンションはみるみるしぼんでいった。


 何も言わずにFORKの配信を止めた。


 この日、俺は人生で初めて職質を受けた。

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