ツンデレ幼馴染 寧々宮檸檸 4



 中学二年の時、教室でテロリストを制圧した。

 そんな妄想を百は繰り広げた。


 いったいどんな理由かはたまた偶然か、僕らはある一定の年齢になると、誰しも頭の中でくだらないユメを描くようになる。幼稚でバカバカしく、他人になんてとても恥ずかしくて口には出せない。そんなユメを。


 果たしてそれは、退屈な授業が織りなす一種の必然か。

 あるいは、子どもから大人へと成長する最中で童心が見せる最後の空想なのか。


 理由は定かではないにしても、“教室に襲い来たテロリストを自分が制圧する”という実に愚かでバカげた妄想ユメは、もはや人類の集合無意識と言っても過言ではないほどに共通的な通過儀礼イニシエーションとして少年の心に現れる。まったくもって中二病的な考え方だけど、僕はそう確信している。


 もしも突然クラスに銃を持った襲撃者が現れたら?


 意味不明だし、いったいどんな事情があれば何の変哲もない学校にテロリストが襲撃を仕掛けるメリットがあるのか? 妄想している当人にさえ皆目見当もつきやしないことだけど。

 そんなどうしようもなく現実味に欠けた仮定に、授業の内容を忘れてしまいかねないほど熱中してしまう。

 僕らはいつだってバカでアホでガキのまま、自分がヒーローになれるユメを愛しているんだ。


 もちろん、世界中のどんな国でも誰であってもそうだと主張するつもりはない。


 中には根っからのリアリストだっているだろうし、十代も半ばにもなってアニメのような空想を続けていたら、ここにバカがいるぞと笑ってしまう人もいるだろう。

 だが、そんな人たちだってボクシングやスポーツの世界に視点を変えてあげれば、“強さ”への憧れを誰もが口にする。大なり小なりだと認めてしまう。

 だから、この世に男として生まれついた以上、これはもうほとんど決まりの共通路線だ。


 男には自分が最強ヒーローであることを願わずにはいられない、そんな幼稚でバカげた欲求がある。

 きっとそれは、本能とも言い換えられる程に。


「……」


 しかし──しかし。


 忘れてはならないのが、ユメはあくまでもユメに過ぎないということ。

 妄想は決して頭の中を飛び越えることはないし、現実は何度瞬きしたって変わらずに退屈のまま。

 つまらない授業はいつまでもつまらないし、バカげた妄想を思い浮かべる自分というのは得てしてユメの中の自分から遠くかけ離れているもの。


 隣の芝生は青く見える。


 人は自分にはないものをこそ欲してしまう愚かしい生き物だ。男であればなおさらに。

 であれば、やはりここは一つ言っておかなければならないだろう。

 強きに憧れるいち男として。

 この世界でもっとも愚かしい生き物代表として。


 僕は思う。


(──目の前で泣きそうな女の子がいるのに、自分テメエの弱さを理由に逃げるのは如何にもカッコ悪いよなぁ)


 教室に現れるテロリストと、クラスメートの女子を泣かしに来ているリア充。

 いったいどちらがより簡単に制圧できるのか。そんなこと、わざわざこうして考えるまでもなく端から分かりきっている。


「答えは当然、テロリストだ」


 こちとら百戦錬磨のつわものだぞナメんじゃねえ。

 ヒトロクマルマル。僕は溜め息ひとつ吐いて行動を開始した。







 ──その背中は突然だった。


「あー、なんかおアツくなってるとこ悪いんですけど、ちょっといいですかね」


 居心地の悪そうな声。

 所在なさげに後頭部を掻く片手と合わさって、どう見てもガラじゃないのだと一目で分かる様子と仕草。

 体格に優れている訳でも、特別鍛えている訳でもないはず……それなのに。


 ──大きい背中。


 それだけが、突如として私の前にはあった。

 普段の頼りない、言っては悪いがどこか覇気に欠けた唐変木のような雰囲気はそのままに。

 しかし、どういうことか不思議と堂々とした態度で以って。

 ここ二週間余りでひどく見慣れてしまった男────海石榴侘助が背中を向けてそこにいた。


 まるで、少女を守らんとするかのように。


「……え?」


 だからだろうか。

 それが、なんだかとても意外な光景すぎて、それまで溢れ出しそうだった涙がふと引っ込んでいくのが分かった。

 似合わないことをしている。

 それは、私なんかが言わなくとも十分に本人の方で自覚していることなのだろう。

 海石榴は背後からでも思わずその表情が想像できるくらいに、歯切れ悪く言葉を続けていた。


「いやぁ、お二人が話中なのは分かってるんですけどね? ちょっと、あいや、どうもだいぶヒートアップしすぎてるみたいだから」

「は? なんだオマエ。誰だ」

「あっ、僕? 僕は海石榴侘助っつって、寧々宮さんのクラスメートなんだけども」

「……そうかよ。俺は檸檸の幼馴染だ。見て分かるだろ? 取り込み中だ」

「あー、うん、まあ。それはなんとなく察しがついてた」


 第三者の登場によって幾分か気を落ち着かせたのか、琥隆くりゅうはやや冷静になった様子で海石榴と会話していた。

 対して、海石榴の方は慣れないことをしているせいか、いつにもまして頼りないと言わざるを得ないそんな声音だった。


(コイツ……なんで)


 入学してからずっと、寧々宮檸檸は海石榴侘助に対して強くアタる女だった。

 普段の日常会話でも、放課後の屋上でも。

 中学卒業の日に与えられた傷を逆手に取って、それはもう陰険と言ってもギリギリ過言ではない程にひどくアタって来た。

 もちろん、自分が無軌道な八つ当たりをしている自覚はあったし、失恋の痛みを無遠慮に刺激された負い目と言っても、本当はとっくに許して自由にしなくちゃいけない。チョココロネだっておごってもらっている。

 けれど、それらをすべて理解した上で変わらない──変えられない関係を続けて来た。


 分かりやすく言えば、甘えてすらいたとそう言える。


 もともと、自立の気性が強い檸檸である。

 どれだけ辛く苦しい毎日の中でも、他人に支えられていなければ生きていけない。そんな自分をいつまでも許していられるはずがない。

 無理でも無茶でも、へこたれたままでは枯れ落ちていくだけ。ならば前を向こう。上を向いて歩き続けよう。

 それができるからこそ、寧々宮檸檸は寧々宮檸檸と胸を張れるのだから。


 海石榴侘助を掴まえての奇妙な関係性も、そう長く続けるつもりはなかった。


 ある程度まで自尊心を回復させることができたら、好物の一つでも聞いてお礼する。

 悪かったわね付き合わせて。はい、これ今までのお礼。

 クールに華麗に気前よく。最後は気持ちよく別れの挨拶を告げて「どうせ隣の席だし今後もなんだかんだ話す機会はあるでしょうけど、ま、アンタとは席替えしても友達でいてあげるわ」と。

 そんな感じの素晴らしい未来予想図を企てていた。


 ……だというのに。


「おい、察してたならどけよ。俺はまだ檸檸に話がある」

「あー、それね。悪いんだけど、たぶん先約は僕の方かなぁって」

「はぁ?」


(なっ、なんなのコイツ……)


「ハッ、つまりアレか? オマエが例の男って訳かよ」

「例の男? ……それが誰を指してるかは知らないけど、寧々宮さんと放課後屋上で二人で過ごす約束をしている男のことを言っているのなら、僕で合ってる」

「……てめぇ」

「だからさ、悪いんだけど君は帰ってくれないかな? 君のことは知ってるよ、えーっと、そう。久留生崎くるうざきくん。できたばかりの彼女さんを放って他の女子と会ってちゃ可哀想じゃないか。君は今すぐ彼女さんの下へ行くべきだよ。僕ならそうするね」

「眞由美は今日は塾があんだよ」

「わぉ、そうかい。勤勉だね。迎えに行けば? よろこぶよ」


(なんなのよコイツ……!?)


 海石榴は完全に煽っていた。

 久留生崎琥隆をとにもかくにもこの場から立ち去らせようと、常になく全力で舌を回している。

 それは檸檸が高校に入学してから初めて目にする、まさに異常事態に他ならなかった。


 放課後の約束のおかげで、檸檸はクラスメートの誰より海石榴侘助とコミュニケーションを重ねている。

 そのため、この学園で最も海石榴侘助の声を聞いた人間は誰かと聞かれれば、それは間違いなく檸檸になるだろう。


 だが、海石榴侘助と言えばクラスでの印象は常時辛気臭い顔をした静かな奴。


 友達がいないのが最大の要因にしても、授業で指される時を除いて喋っているのは檸檸くらいしかいない。

 そんな男だから、放課後の屋上でもいつも口下手で、ろくな褒め言葉も聞けたためしがない。

 償いをしようという誠意を一心に感じるからこそ黙っているが、あれがもしナンパや口説き文句だったらと想像すると、勝算は限りなくゼロだろうと思わず同情してしまうレベルだ。

 なのに──


「……うるせぇ。いまは眞由美のことはいいんだよっ!」

「いやいや、君がよくても彼女さんはよくないんじゃないの? っていうか、僕が割って来なけりゃ寧々宮さん危なそうだったし。あー、やだなぁ。女の子怒鳴りつけてどうするつもりだったのさ」


(なによこれ…………まるで別人じゃない!)


 檸檸の前で佇む海石榴は今や、本当にあの海石榴かと目を疑う程に堂々としていた。

 最初にあった頼りなさげな声にも張りが通り、身長差もあるのだろうがずいぶんと強気の姿勢で出ている。

 檸檸は驚きから、自分がただ目を丸くしてその背中を見つめるしかないでいることさえ、しばらく気づけなかった。


 ──しかし。


「……ハッ、ずいぶんと口の回る男だな。オイ、聞かせてくれよ檸檸! こいつのどこが俺より気に入ったんだ?」

「!」


 長年培われた敵意が、本来の獲物へと牙を剥き出しにする。

 ぽっと出の見知らぬ男など眼中にないと。

 俺の目的は最初からただ一人だけだと怒りを乗せて。

 久留生崎琥隆の鋭い眼光に混じって、言葉の刃が心へと突き刺さる。


「高校に上がった途端あれだけ強かった陸上も辞めちまって、放課後は遅くまで男と二人きり。今度は男に打ち込みますってのも別にいいけどよ、もっと他に選択肢はなかったのかよ?」

「ちっ、ちが……! そんなんじゃ──!」

「ま、檸檸のことだ。どうせ。どうせ俺のことも、お前の中じゃその程度の位置づけだったんだろ? 他人のことなんか輝く自分をより輝かせる道具程度にしか見ちゃいねぇ……!」


 昔からそうだった。

 すごいのはお前。褒められるのもお前。お前は何をしても信じられないくらい何でも上手くいって、俺は逆に何をしてもお前を輝かせる踏み台にしかなれなかった。

 だから──ッ!


「言っちまえよ、檸檸。認めろよ。お前のなかじゃこのツバキってヤロウも、どうせ大したウェイト占めちゃいねえゴミクズだってな!」


 久留生崎琥隆は吐き捨てる。

 積年に渡り澱み溜まった膿を放出するように、鬱憤を言葉として。

 それが幼馴染を傷つける刃だと誰より知りながら、ほつれた糸がもう元には戻らないことを突きつけてやるためだけに。


 ──だから。


「ぁ、ぁあ……なん、で……どうして……?」


 だから当然、振るわれた刃はきちんと目標を切り裂いてしまう。突き刺し、抉り、心の一番柔らかいところを掻き混ぜるようにして刃で撫でつける。


 それは完全なる誤解が生んだ、どうしようもない悲劇。


 少年は少女を超人と思い込み、自分では何をしたところで少女に手も足も出ないと錯覚している。

 だが、少女は少年が思うような超人などではなくて、ただ他人よりも少しだけ頑張るのが上手な普通の少女でしかない。

 鉄だと思い込んでナイフを振り下ろす行為は、その実、脆い新聞紙を滅多刺しにする明らかなオーバーキルとなっていた。


 敵意にその目を曇らせる少年に、少女の涙は映らない。


 ──ゆえに。


「いい加減にしろよ」

「あ?」

「マジふざけんな。最悪だよお前」


 その瞬間、海石榴侘助第三者はキレていた。

 その場の誰よりも。他の何と比べても有り得ないくらいに。

 どうしようもないほどこの上なく鶏冠トサカに来てしまっていた。


 自分が喉から手が出る程に欲して手に入らなかったモノ。

 連日連夜否が応にも見せつけられ、夢にまで見る宝石たち。

 微かな期待も淡き希望も持つことすら許されず、決して辿りつけない理想郷。


 それを、あろうことに目と鼻の先で


 そうじゃない道もあったはずなのに。

 そうならない選択肢も取れたはずなのに。

 僕ではなく、他ならぬお前たちならば、いくらでも女の子を笑顔にすることができるはずだろうが。


 ──ふざけるなよクソ!


 過去も背景も知ったことか。

 お前の物語など今この瞬間に塵屑と化したんだよ。それが分かるかバカヤロウ。

 抱きし鬱憤を表層化させ、ひとりぼっちのジャンル違いは咆哮する。


「お前さ、寧々宮さんの幼馴染のくせして、今まで何を見て来たんだ? 眼玉はついてんのかよ節穴ヤロウ」

「──んだと?」


 眦をあげて睨んで来る男の視線を真っ向から睨み返し、やってらんねえよと苛立ちを露わにする海石榴侘助。

 その姿に、寧々宮檸檸は「ぁ」とある一つの事実に気がついた。

 異性の前では照れや緊張が先立ち唐変木と化してしまう少年は、しかし相手が同じ男であればどこまでもナチュラルに地を曝け出せるのだと。そも、思えば一番初めに出会った時からして、この男は初対面の人間を相手に堂々と詰め寄ることができる人間だったと。

 言われたひどい暴言と乱暴な言いがかりにとてつもなく腹が立ったのは記憶に新しい。

 檸檸は口調を変えた海石榴にゴクリと思わず視線を奪われた。


「いいか? よく聞けマヌケ。寧々宮さんはな────かわいいんだよ」


 そして直後、思っていたのとは違う言葉に目を点にして固まらざるを得なくなった。


「……は?」


 真正面から言われた琥隆もまた、困惑してフリーズしている。

 だが、そんなこちらの様子など意に介さずに、海石榴はさらに堂々と二の句を続けた。


「寧々宮さんはかわいい。キレイだ。この事実がどれだけの奇蹟であるか、お前は本当に理解してんのか久留生崎? 僕は妹がいるから知っているがな、女子ってのは本当にオシャレだコスメだのと自分磨きに頑張る生き物なんだよ。僕たち男と違って見てくれが他人からの評価に直結すると言ってもよいほどに、女子ってのは世間からそう見られる。お前も男なら分かるだろ? 可愛い子とそうでない子とで男がどれだけ態度を変えてしまうのか!」


 それは世間一般に通じる身も蓋もない真理である同時、この世は所詮第一印象がすべてであると物語る一つの極論でもあった。


「言っておくがな久留生崎、寧々宮さんからは毎日いい香りがするんだ。毎日だぞ! 分かるかよこの意味が! その上でだ! 寧々宮さんは勉強も運動も頑張っている。朝の始業前には必ず予習を欠かさないんだ。成績だってそりゃすごいに決まってる。校則も今時珍しいくらいにきちんと守っているし、ツンケンした態度が鳴りを潜めれば誰だって友達になりたがるだろうよ。それをなんだお前、陸上を辞めたくらいでゴチャゴチャ言いがかりつけやがって。いいじゃねえか他でもう十分にすげーんだから! 少しくらい休憩したって何が悪い! 僕が気に入らないなら素直にそう言えこのバカが!」


 堰を切ったように流れる怒涛の称賛。

 そこにはやや気持ち悪いと感じるものもあれば、言われて嬉しい言葉も中にはあった。


「たしかに? 寧々宮さんには高飛車で我が儘な暴君的側面があるよ。もう振り回されっぱなしだよ僕なんか。ムカついてもかわいいから言い返せねーんだわズッケーよほんとにさ! たまに分かってやってる時あるしなこの女! 間違いねーよ! だけど──」


 そこで海石榴は一拍呑み、そして言った。


「──なんもかんも全部ひっくるめて、寧々宮さんの努力なんだろうが」

「…………!」


 放たれた言葉に、喘ぐ口は一つ。

 何かを言い返そうとして、何も言えなかった。

 小柄な少年はただ口を閉ざして黙る。

 それは二週間という短い時間、少女の長所を本気で見つけようとした少年と、少女の長所から長い間ずっと目を逸らし続けてきた少年との違い。

 時の重みを僅かな質の差が凌駕した、小さくも大きい決定的な瞬間に他ならなかった。











 短くも長くもない髪はいつも下手なワックスでボサボサで。

 風に翻るジャケットを煩わしそうにし、けれどボタンは絶対に留めない不真面目な着こなし。

 それがカッコいいと本当に思ってるの? と指摘をすれば、口をへの字にしてやめてください死んでしまいます。

 そっぽを向きながら呟く君を、不覚にも可愛いと思ってしまった。

 夕焼け色の帰り道。いつもより少しだけ早い時間。

 二人でコンビニで買ったアイスを齧りながら、私はひそかに安上がりな好物で少しだけ安心していた。







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