ツンデレ幼馴染 寧々宮檸檸 3



 じめじめと暑い季節がやってきた。


 高温多湿。

 五月中旬と言えば梅雨も差し掛かり夏も目前で、それまで過ごしやすかった気温が嘘のように跳ね上がるそんな時期。

 むしむしと煙るような蒸し暑さ。

 四季折々の季節が美しいと専らピーアールに勤しんでいる日本だが、そこに住む国民の大半にとって、梅雨独特のこの急に不快指数度を上昇させる豹変ぶりは小さい頃からいくら年を重ねてもまったく慣れることがない、いわば一種の呪いのようなものだろう。


 雨が降り、冷たい風が吹いてくれるならまだいい。


 けれど、幼い頃から暑さというものにてんで弱い僕には、昔から梅雨ひいては夏そのものがひどく煩わしくてたまらないものだった。


「ねぇ。あ、あんたさえ良かったらだけど……今度の週末どこか行かない?」

「あー、別にいいけど」

「ほんと!?」


 気温が上がり暑くなる。

 そうなれば、誰だって汗をかかずにはいられなくなるし、失われる水分は当たりまえのように“乾き”を意味するから、熱中症にだって気をつけなければいけなくなる。


 脱水症状。頭痛。吐き気。まさに危険だ。


 天気予報ではよく、茹だるような暑さと表現されるのを耳にする。

 分かるだろうか?

 天候のスペシャリストであり、お茶の間にたしかな情報を伝えなければならないプロが、わざわざ“茹だる”とまで形容するのだから、人間がみな誰しも暑さというものに根源的な脅威を感じてしまう生き物であることは、火を見るよりも明らかな事実と言える。そこに疑いを差し挟む余地はない。


 ゆえにだ。


 アツさとは、もうコレすなわちいっそ『悪』であると。僕はそう思う。


 じめじめと肌にまとわりつく湿った空気。

 ベタベタとうざったいことこの上ない髪やワイシャツ。

 梅雨は、夏は、ただでさえ不快になることが多い────だというのに。


「……わたしたちも週末どっか遊びにいこっか」

「なんでだよ。中間も近いんだから、俺ぁいかねーぞ」

「わたし、ちょうど行ってみたいカフェがあったんだよね」

「聞けや──はぁ。しゃあねえ。けど、前みたくパンケーキだとかは俺はイヤだからな」


 ──おお、見たまえよこの人目を憚らずに燃え上がる恋の波動!

 当人たちに自覚がないというのが、これほど疑わしく思える会話があるだろうか?

 僕は声を大にして「お前らそれ現実マジ?」と言いたい。


 しかし、世はまさに無情。多勢に無勢。孤立無援のボッチ野郎が何を言ったところで、にすらなれないモブが関の山。

 ひと夏のアバンチュールという言葉が世に出回っていることからも分かる通り、夏休みが明けたら冴えなかったクラスメートが嘘のように垢抜けているとか。

 とにもかくにもそんな現象が往々にして頻発するらしいこの世界では、暑い季節が近づくにつれ当然のように周囲の人間関係もよりホットになっていくようだった。


 海に祭りに夏休み。


 恋の距離は自ずと急接近して、まるで花火のように燃え上がる──なんて。

 ああ、それはとても掛け替えが無くて、きっとさぞや素晴らしいことなのだろう。


 しかしである。


(────チッ)


 恋に友情に絆に青春。

 燃え広がるアツさを満喫するのはそりゃあ個々人の勝手でしょうと言っても、盛りのついた動物のように所かまわず常に全方位へ向けてラブコメられては、たったひとり太宰治の憂鬱な世界観にいるような人間にとって、苦痛も苦痛というものだろう。いや、僕が太宰だなんてそこまで過分な役回りを自称するつもりはこれっぽっちもないんだけれども。


 それでも、最低限それくらいの空気感温度感の差は察してもらいたいと思ってしまう……。


 恋は盲目。そんな言葉、この僕でも知っていることだけども、まさか電車の中で人目も憚らずディープキスをする程のバカップルじゃああるまいし。

 せめて教室のど真ん中に常時チベットスナギツネのような顔をしているクラスメートがいることくらいは、どうにか気づいて欲しいと思う僕だった。


 端的に言って、めちゃくそ居心地が悪い。


(──フ。もはや嫉妬する気持ちも萎えてきたぜ)


 僕はセンチにニヒルに、心の中だけでかっこつけた。

 顔は依然としてチベットスナギツネのままだったけども。


「海石榴ってさぁ、いっつもどうして朝そんなキモイの? やめてよね、げんなりする」


 僕がそうしてチベスナ顔で暗い笑みを湛えていると、寧々宮さんが言った。

 朝のHR前、彼女はいつもキッカリ始業の二十分前に着席しては、その日ある授業のすべての予習をしていたりするザ・優等生なのだが、どうも隣の席に座る僕のことを毎日必ずキモイと言わざるを得ない、そんな短所を持っているようだった。


 あれからおよそ二週間。


 はじめは女子にキモイと言われることの辛さに毎度毎度死にたくなっていた僕も、今ではすっかり慣れて、最近はもう二日にいっぺんくらいの頻度に抑えられるようになっている。

 が、やはり言われっぱなしなのも癪と言えば癪。

 放課後のに付き合わされている件もあるし、少しくらいは相応の態度を取ってもらいたいと、僕は寧々宮さんへ視線を向けた。


(くっそ……可愛い)


 そこにはやはり女の子がいる。

 小さな顔。長い髪。華奢な体躯。じぶんとはどうしたって違う存在に、僕はやっぱり緊張してしまう。

 こんな子を仕方がなかったとはいえ一度は傷つけたかと思うと、未だに自分で自分が許せない。


 けれど、既に二週間だ。

 それだけの期間に渡って、僕は彼女に甲斐甲斐しく尽くしている。これが昔話なら、老人に扮していた神様がそろそろ正体を明かして、健気なウサギを月へと昇らせる頃だろう。

 それくらいの償いはしているんじゃないだろうか?


「そんなにキモイなら、いっそ見なけりゃいいんじゃないんですか?」


 僕は自分を励まして、おずおずと反論した。

 無論、言葉の裏には放課後の恒例行事から解放されたいという意思が滲んでいた。


「見たくなくとも視界に入ってくるキモさなんですぅ。つーかその目。その変な目やめろ」

「ひどい」


 しかし、僕が返したささやかな棘など、寧々宮さんには暖簾に腕押し糠に釘だった。

 どうやら榛摺色の姫は今日も今日とてご機嫌斜めであるらしい。

 女子高生から一日に一度キモイと言われるだけでも並の男ならキツイのに、連続で言われたらオーバーキルだ。

 僕は机に突っ伏した。


(くっそー、なーにが才色兼備の美少女か。こんなのただの暴君じゃんね)


 寧々宮さんが女の子で、そして可愛くなければマジ絶許案件だった。


 ……悲しいのは、なんだかんだと言われつつ、心のどこかで女子と定期的に話せる機会を得られたことに喜んでしまっている自分がいることだ。我ながらもっと男らしく強気の姿勢で行けたらよいのに、異性への免疫のなさがとことん災いしている(く、くやしい! でも感じちゃう……て訳じゃないんだからね! 勘違いしないでよね!)。


 おかげで、寧々宮さんがどうして僕に構い続けるのか、未だにその理由を訊けていない。寧々宮檸檸の運命候補者なら、他にもたくさんいるだろうに。


(けどま、そのへん別にどうでもいいんだよなー)


 ラブコメ漫画のライバル役が、恋に破れて自暴自棄。好きでもない男に積極的に関わってさらなる悲劇を招き寄せる──なんて。

 これがそんな少女漫画だと下手すりゃABCのCまで行っちゃいかねない悪魔的展開のレールの上なのかどうかは、ともかくとしても。

 何にしたって、近づいてこられる男側にまるでモーマンタイだろう。そして、言うまでもなくこの僕にそんな勇気は欠片もない。


 僕は男で、異性に頼りにされたり弱った姿を見せて貰えたら、そりゃ無条件で嬉しくなるが。


 とはいえあいにく、女の子のリアルな感情をドシンッと受け止めて且つ男の甲斐性を魅せつけられるほど……残念ながら自分のことを主人公属性ヒーローだとは思っていない。

 むしろ、どちらかと言えばお悩み相談とか重い系の話は極力遠慮したいタイプだ。


 オイオイ、クズかよだって? 


 否定はしない。でも、人の感情ってバカにできないからイヤなんだ。

 それが本気で、真剣そのものの想いであればあるほど、生半な気持ちで向き合うことは許されない。

 特にそれが女の子なら、男である僕らはなおさら覚悟をしなくちゃいけなくなる。


 だからこそ、僕はできることなら悩みなんて一つも無くて頭空っぽ年がら年中ハッピーお花畑みたいな、そういう子がいたら常々最高だと思っている。


 表現の仕方に悪意があるように感じるかもしれないが、よく考えてほしい。

 笑顔を絶やさず周囲もまた笑顔にできる女の子────そらどうだ? 最高じゃないか。僕はパートナーにするなら絶対にそんな子がいい。アホの子サイコー!


 寧々宮さんはキレイで可愛くて、頭も良ければ運動神経もピカイチなそれこそ輝くような美少女。


 だが、その内側にはどうにもドロドロと渦巻く激情が氾濫しているようで、僕は何となく自走する地雷を連想せずにはいられなかった。

 まるでニトログリセリンが足を生やして歩いているというかなんというか、この女はいつ爆ぜてもおかしくねぇぞ的そんな危機感リスキーさが寧々宮さんにはある。じゃなきゃ入学してからずっと一人ぼっちでいるはずないし。


 外見に優れ、文武問わず成績優秀。寄って来る人間はいるし、声をかけられている姿もそれなりに目にした。


 それでも、依然として寧々宮さんは独り孤高のぼっちであることを選んでいる。わざわざ真性の僕を掴まえて放課後を拘束するほどに。

 だからきっと、この女の子には恐らく自分自身の青春を再構築する、そんなささやかな心の余裕さえ今はないのだろう。僕は勝手にそう推測している。


(…………)


 僕は突っ伏していた身体を起こすと、寧々宮さんに言った。


「姫。ときに今日は一段とおぐしが綺麗に整えられてございますね」

「チッ」


 舌打ちだった。

 あからさまなご機嫌取りに、寧々宮さんはキモイとすら言わずただ顔を顰めた。

 繊細な硝子細工が粉々に砕ける。


「…………くぅ~ん」


 気づくと僕は自身の胸を抑えて、小さくキツネの鳴き真似をしていた。

 チベットスナギツネがくぅ~んと鳴くかなんて、知らなかったけど。










 ──さて。

 そしていつものように放課後がやってきた。

 茹だるような青春の喧騒。

 どこもかしこもアツアツで、眩暈がするほど恋愛濃度の高い空間を半ば突っ切るようにして歩き、僕は屋上へ向かう。


 寧々宮さんとは一緒じゃない。


 クラスも同じで、何なら彼女の方が僕を呼びつけている関係なのだから、HRが終わったタイミングで二人一緒に行けばいいじゃないか。わざわざ僕が逃げ出すかもしれない隙を作らなくてもいいのでは?

 以前にそう口にしたとき、寧々宮さんから「あんたと一緒に校内を歩きたくない」と至極簡潔に言われたからだ。

 そのため、放課後になるとまず彼女が屋上に向かい、遅れて五分か十分、頃合を見てひっそり僕も屋上。そういう流れが出来上がっていた。


 なんでも、フラれらばかりの幼馴染君に万が一にも誤解されたくないらしい。


 春休みも含めて既に二ヶ月弱。

 今さら自分が要らない子扱いされることに疑問はなかった僕なのだが、それを聞いて思わず納得した。

 そして同時に、自分は女の子から一緒に横を歩くことすら拒まれる存在なのだと、ナチュラルに受け入れていた己にショックを覚えた。彼女いない歴=年齢を拗らせると、人はこうまで根が卑屈になるものらしい。知りたくはないトリヴィアだった。


 なお、僕が逃げ出す可能性に関しては最初の一回で結果はもう見えてているはずだと。

 無駄だと知っていてそれでも諦めないなんて、海石榴ってとんでもないバカなの? そう、実にありがたいお言葉をいただいている。

 五階から一階まで往復三分で走れる僕も、これにはぐうの音も出なかった。


 とま、そんな訳で。

 今日もこうしてトボトボ、辞書を片手に僕は屋上へと向かっている。


 人を褒めるという行為は難しく、女の子が言われて喜ぶ言葉なんて僕の脳内には蓄積されていない。

 美辞麗句を並べ立てたところで、それが上滑りしていくだけの芯まで届かない言葉なら意味はないし、我ながら今どき肩身離さず辞書を持ち歩く男子高校生ってどうなのよ? と思わなくもないが。


 とはいえ、傷心の少女を捨て置くのは夢見が悪い。負い目があるならなおさら。泣いている女の子を前に男がぐちぐち言ってもカッコ悪いし。

 たとえ寧々宮さんが表向きどこまでも攻撃的で、その振る舞いに「これほんとに泣いてる? 弱ってる? いやめちゃくそゴリラじゃね?」と疑わしく想えたとしても。


 ──決して。そう、決して背中を向けるようなことがあってはならないのだ。


 よって、僕は今日も寧々宮さんの毒舌を浴びることになる。ああ、なんて最高なのだろう! このマゾ! 救いようがないブタ! ……うん、想像したら今のはなかなかよかった。虚しきセルフ調教に二重丸あげちゃう。


(って、さっきまではそう思っていたんですが……)





「ハッ、なんだよ。噂はマジだったんだな」

「……噂って、なに」

「決まってんだろ! 俺のことが好きだとか言っておいて、高校に上がってすぐコレか! やっぱりお前のなかじゃ俺なんて、こうやってすぐに捨てられる。その程度の存在だったってことだろ!」

「ちっ、ちが! そんな訳ないっ、そんな訳ないじゃん! わ、私は……私は……!」





 いつもの屋上。

 いつもの時間帯。

 扉を開けて、真っ先に視界に入って来たドシリアスに、僕は今すぐ回れ右をして帰りたい気持ちで一杯だった。


 今にも泣き出しそうな寧々宮さん。


 今朝も昨日までも、僕の前では常に「パンが無いなら死ねば?」とでもいいそうな極悪マリー・アントワネットだった彼女が、驚くべきことにまるでか弱い乙女のようだ。偽物だろうか? 僕は思わず周囲を見回した。

 そして、そんな彼女の目の前には一人の男子生徒。男にしてはやや小柄で、平均的な身長の域を出ない僕よりなお小さい。なにやら激昂している。いやだなぁ、近づきたくない。

 両者の間に横たわる空気は明らかに冷たく、そして危うかった。


「あー……マジですか。この空気の中に入んの? 誰が? 僕? うっそーん」


 僕は笑っちゃうくらいに自分と不釣り合いな状況に、チベスナ顔で呟いた。


 頬は引き攣っていたかもしれない。







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