ツンデレ幼馴染 寧々宮檸檸 1



 人生はままならない。


 かつて、イギリスの文豪ウィリアム・シェイクスピアは、自身が手掛けた作品の中で実に多くの名言を世に残した。

 その中でも、リア王──四大悲劇の内の一つ。

 彼の有名な戯曲にて、とても印象に残る一言がある。


 “人は皆、泣きながらこの世に生まれてくる”


 簡潔にして、実に単純な事実だけを告げたように思える言葉だ。

 しかし、こんなことはちょっとネットで調べればすぐに分かることだが、この名言には聞けばとても「うぅむ」と唸らざるを得ない、そんな意味が込められている。


 人間は生まれついてより平等ではなく、貧富の差、衣食住環境、後天的に与えられるあらゆるもので、その人生をより良いものかそうでないものかへと決定づけられる。

 ゆえに、外見や才能、遺伝などさえも含めて、人は最初から持っている者と持たざる者とで、大きなハンデをその身に宿さなければならない。

 運否天賦なんて言葉があるが、まさしくこの世は不平等。

 天が二物どころか三物も四物も与えたような人間がたしかにいる一方で、その逆にたった一つの祝福さえも満足に与えられないそんな人間もいる。

 簡単に言えば、不細工と美形とではゼロから人間関係を構築するとき、それにかかる手間が明らかに後者の方が楽に済むだろう、という統計的な真実。第一印象が大事という言葉がどうして広まったのか、いちいちあげつらって考えるまでもない。


 つまりそういった、人が自分の力ではどうしようもできない背景を指して、だから人は泣きながら生まれてくるのだと。

 シェイクスピアが本当にそこまで考えてこのセリフを考えたのか、それは分からないし別にどうでもいいのでここでは触れないが、要はこの言葉を聞いた受け手側がどう感じるかということ。


 少なくとも、中学二年生の病に犯され、世界中にある名言や格言をサッと引用できる僕って超カッコイイな! と。そんな風に別に自分で考えた訳でもないのに、一時期やたらと得意げになって括弧(誤字に非ず)つけた喋り方をしていた僕にはこう断言できる。


 ──さすがは偉大なる文豪シェイクスピア。まさに正鵠を射たり!


 そして、だからこそ冒頭の“人生は儘ならない”へとここで回帰する。

 自分ではどうしようもできないこと。母親の胎の中にいる間にそうと決められ、以ってその後の運命となる唯一無二。


 前置きが随分と長くなってしまったが、つまるところ『名前』とは人が最初に与えられる一種のだろう。


 海石榴つばき侘助わびすけ


 植物の椿の古語を苗字に、これまたどういう訳か椿の一種である花の名を下の名前として据えられたダブル椿。それが僕の名前だった。わざわざ繰り返さなくてもよいだろうに、なんともひどいネーミングである。

 自分の名前の由来を調べる。小学生のときにそんな授業があったせいで、椿にはその花が首からポトリと落ちる様を指して縁起が悪いとされることを知ってからは、より一層好きにはなれなくなってしまった。だいたいなんだ? 侘助って。ペコペコしろってか?


 別に両親に対して文句を言うつもりはサラサラないが、もうちょっとこう……なにか他になかったのかと。そう思わざるを得ない。


 とはいえ、世間一般的にそうそうお目にかかれない珍しい姓名であるのは事実。


 自己紹介の際にたいへん覚えて貰えやすいので、そこは気に入っている。まぁ、学期試験などで名前を書く時には毎回この画数が微妙にタイムロスなんだよなと若干イライラすることもあるので、結局どちらかといえばマイナスよりなのだが……。


 とかくあれ、名前程度で人生が儘ならないとかいちいち言ってんなよアホらしい。そんな風に切って捨てる反対意見も、この世にはごまんとあるだろう。


 斯く言う僕も、そこまで深刻に悩んでいる程じゃあない。


 これはただ単に、“諦めるしか他にない現実も往々にしてよくあるよね”という事実に端を為す、今さら分かりきった愚痴だ。高一にもなれば自分なりに折りあいの一つもつけられる。


 では、何故そんなことをわざわざ偉人の名言まで引用し、くどくどしく主張してきたのか。疑問に思う諸氏もたくさんいるだろう。

 なので、ここはスッパリ簡潔に。分かりやすく一言。


「あいうえお順を最初に考えた奴を僕は許さない」


 そう宣させてもらう。


 毎度毎度のこと。

 苗字がタ行ゆえに仕方がない。

 そんなことは重々承知しているし何ならこれまでは特別思うところもなかった訳だが、それでもだ。

 僕は眼前に広がる余りに惨たらしい運命に、心底からそう嘆かずにはいられない。

 教室のド真ん中に自分の席が用意された、この悲哀と絶望。余人には決して分からないだろう。

 四方八方、周囲を完全に取り囲むラブコメの檻は、近すぎる距離それゆえにより残酷な光景となって僕の精神を苛むのだから。


 東西南北どこを向こうが常に咲き誇り続ける甘酸っぱきスイ~ツ世界。


 お昼休みになれば「はいっ、あーん」「おいおい教室だぞ?」なんて声が合唱のように鳴り渡り、主人公っぽい奴とそのヒロインどもが脇目も振らず乳繰り合う。その逆もまたしかり。

 たとえ修羅場じみた喧騒が巻き起こったとしても、どうせそれも含めて青春フィーバー。

 少年漫画か少女漫画かの違いなんて、考えるだけ無駄なこと。


 だって、どちらであろうと結局はラブコメだ。そこに僕が介在する余地はないし、お節介な親友ポジションすら既に存在している。そして、その親友役にもまた運命となるべき相手がいる始末……


 正真正銘のぼっち野郎は、たったひとりだけ。


「ふっ、ふふふ。やばいね、これはやばいよ。やばすぎる」

「なにブツブツ言ってんの? キモっ」


 入学して一ヶ月。

 思春期の繊細なハートを一秒間隔でやすり掛けされるような毎日に、そりゃあ独り言だって漏れてくる。

 けれど、左隣に座る寧々宮さんは、そんな僕の様子にまるで汚物でも見るような視線なのだった。


 寧々宮ねねみや檸檸ねね


 榛摺はりずりのキレイな茶髪と、健康的でしなやか肢体を持った女子。女子にしては長身で、中学では女子陸上部の部長をやっていたとかなんとか。

 あの日、僕が傷つけそして皮肉にもこうして縁を繋ぐこととなった少女はしかし、あれから一ヶ月経とうと依然として僕に対し辛辣なままだ。


 が、それも致し方ないことだろう。


 人は第一印象がすべて。

 なにしろ邂逅一番が「げ」だったのだ。

 既に正式な謝罪とそれに伴う誠意(売店のチョココロネ。好物らしい)まで見せたとはいえ、少女の繊細なハートと野郎のそれでは絶対的に前者の方が遥かに重く尊い。それは世界がラブコメの波動に支配されたところで、何ら変わらぬ真実。


 よって、僕は今日も今日とて寧々宮さんに頭が上がらない。ペコペコしちゃう。


 しかし──


「あー、寧々宮さん? さすがにキモイはちょっと……」

「は? あによ。私がアンタをどう思おうと勝手でしょ」

「せめて聞こえないように配慮を……」

「朝のHR前に不快な声を聞くはめになった私への配慮」

「……」


 健全な男子にとって女子からのキモイは死刑宣告にも等しいのですが──と、そう続くはずだった言葉はものの見事に潰される。

 寧々宮さんはそれはそれはいい笑顔で、僕がそれ以上なにかを言うのを拒絶していた。

 異性に免疫のない僕はもうそれだけで押し黙らざるを得ない。


 だって、こんなのは卑怯だろう。


 好意的な感情なんて毛ほども混じっていないのは分かっているが、それでも笑顔は笑顔である。女の子の笑顔。可愛いと思うし、眩しすぎて反論など露と消えてしまう。下手に立ち向かってどもるより、素直に負けを認めて黙った方が恥を掻かずに済むのだから、憐れなチェリーに選択肢などない。


 それに、恥を忍んで告白すれば、僕は寧々宮さんとのこうした遣り取りを実は秘かに楽しんでいた。


 周りはどいつもこいつも己が青春に無我夢中。さすがにRPGよろしく話しかけたら一定のセリフしか吐いて来ない村人なんてことはないにしても、彼あるいは彼女たちの物語に僕が必要ない以上、人間関係はどこまで行ってもドライだ。いや、そもそも関係のかの字にさえ至れないという方が正しいかもしれない。


 なので、それがたとえ怒りだろうと憎しみだろうと、そんな中でも唯一ちゃんと僕を見てきちんと話し相手になってくれる寧々宮さんは、現状とても貴重な存在だった。


 加えて、こんなことを言うとさらに嫌われそうだが、砂糖とバニラクリームを掻き混ぜ、そこに極大のミルクチョコレートをトッピングしたかのようなこの激甘青春世界で、彼女だけが唯一激辛ラーメンみたいな雰囲気であるのも大きいだろう。


 恋に破れ、失恋の痛みを引き摺る寧々宮さんは、僕という恰好の八つ当たり先と隣の席になってしまったからか、入学して以後ずっと刺々しい空気を常に纏っていた。そのせいで未だに友達もできていないらしい。申し訳ないがマジ最高である。


 願わくば、いつまでもその尖ったナイフのような在り方でいてくれ。


 身勝手にも、僕は本気でそう考えていた。








 ──そうしてまた、今日も変わらぬ一日が終わり放課後を迎えた。


 帰りのHRに終わりを告げる鐘の音。各担任教師の合図をもとに、学園全体から途端ににぎやかしい雰囲気が満ち満ちる。

 部活動、委員会、アルバイトに果てはボランティア活動。

 別によくよく考えずともそれらは普通の光景であるはずなのだが、青春ラブコメに侵食された世界ではそんな普通も若干ながら胸焼けもの。昼日中に比べてより一層と青春濃度が高まる魔の時間帯の到来だ。

 このままでは野球部員と女子マネの熱い純愛や、生徒会で広がる逆ハーレム、不純異性交遊をぜんぜん取り締まれない風紀委員などなど。そういったをわらわらと目撃することになるだろう。

 そして、当然だが僕にとってそんなものはもちろん御免被る訳で。


「さて、と」


 荷物をまとめ素早くイヤホンを装着。外部の情報をシャットアウトし、極力進行方向だけを見つめて一目散に帰宅を目指す……というのが、ここ一ヶ月で僕が見出した自己防衛のやり方だった。

 どうせ放課後になって僕なんかに話しかける人間は誰もいない。寧々宮さんだって放課後はすぐに帰る。

 どいつもこいつもたった一ヶ月でどうして自分にとって本命だと言える好きな人を見つけられるのか。恋愛のれの字も知らない僕には全く以って不思議でしかないが、ともあれ他人の恋路を邪魔するつもりは毛頭ない。というか、下手に他人の青春圏域に入り込んでそれで恨みを買ったりでもしたら、とてもじゃないがこの先やっていけないだろう。


 僕はこう見えて知っている。少女漫画は悪魔の書物だ。中には非常に過激なものもある。ラブ&コメディをスクラップ&バイオレンスに変えたくはない。何より、刺されたくはないのだ。


 したがって、放課後になったら即帰る。

 それが僕の高校生活で一番初めに身に着けた完璧な処世術だった。逃避とも言う。


 だが、だからといっていったい誰に僕のことを責められよう。

 考えてみてほしい。学校の教室で自分の席の周りにラブコメ主人公が複数人座っていて、当然ながらその近辺には多種多様なヒロインがいる。彼らと彼女らはそれはそれは激甘なイチャコラを周囲へと見せつけ、それに負けじと他の数組もイチャイチャしだす様を。おお、これぞまさに恋愛脳相乗効果スイーツシナジー


 中心に座り逃げ出すこともできない僕は、まさに翼を捥がれた鳥だ。敗北感と牢獄に囚われた絶望は筆舌に尽くしがたい。


 なので、繰り返すようだが僕はもう帰るのである。辛いのである。不登校になってないだけ親孝行者だと褒めてほしいのである。

 朝起きたその瞬間から憂鬱に染まり、頑張って登校しても一日かけて傷を負うだけ。帰って美少女ゲームに手を出し画面の向こうの女の子に癒されなければ、とても明日も頑張ろうなんて思えないのである。たとえ母親に泣かれ妹に蔑まれようと、男の死活問題なのである。


 とまぁ、そういう訳で。

 僕は放課後になると誰より早く下駄箱に辿りつき、さながら颶風と化して颯爽とゴートゥザホームするのが常であった。


 が──しかし。


「こっ、これは……!?」


 口を突く驚愕。

 震える手足はまさに戦慄を告げ、けれど紛うことなく実体をたしかとする一枚の紙きれに、あふれんほどの衝撃が迸った。


 ──


 それは青天の霹靂であり、自分にはもはや有り得るはずがないと諦めていた天使の福音。

 文面にはただ短く、簡潔な一言が記されている。


『放課後、屋上で。必ず来てください』


 可愛らしい女の子の文字だった。


「──勝った」


 その瞬間の歓喜と幸福を、いったいどう表現すればよいだろう。

 それまで叩き落とされていた地獄が半ば深淵のように深かっただけに、僕は思わず眼の奥が熱くなるのも気にせずに、いつもとはまったく違う逆方向へと駆けだしていた。

 降りて来た階段を一段飛ばしで昇り、ただひたすら屋上を目指して廊下を突き進む。

 重く圧し掛かっていた憂鬱はいつの間にか消え去り、背中にはまるで天使の羽が備わったかと思うほど全身が軽くなっていた。


(──ああ、おかしいと思ってた。変わってしまった世界で、どうして自分にだけは運命の相手が現れないんだろうって。苦しかった。悲しかった。妬みでどうにかなりそうだと本当に辛かった! ──でも、ついにだ。ついに僕にも……!)


 はは、神様も粋なことをする。焦らし上手な愛の天使キューピッドめ。

 胸の中に氾濫するは魂の法悦。

 しかし、それも当然と言えるだろう。

 砂漠を彷徨う遭難者が一滴の水で渇きを潤していたところに、突如としてオアシスが現れたようなものだ。これを喜ばずして、他になんとするのが正しい?

 少なくとも、このときの僕には皆目見当もつかなかった。頭の中を占めるのはラブレターをくれた相手のこと。ただそれのみ。


(どんな子だろう。優しい子かな。年は同じ? いや、それとも上?)


 高鳴る心臓と膨らむ期待はもはやパンパンに膨らんだ風船の如しだった。

 だが、そのどれを裏切られてもまるで構わなかった。相手がどんな子でも関係ない。数ある選択肢の中から他ならぬ自分を選んでくれた子なら、真摯にその気持ちと向き合おう。


 そう思い、僕は緊張で震える右手を必死に押さえつけながら、ゆっくりと屋上のドアを開けた。


 ──だが。






「遅いっ! チョココロネ! 三分!」

「──な」






 そこにいたのは予想も期待も遥かに超えたまさかの人物。

 風に舞う榛摺色が苛立ちも露わに僕を待ち構えていた。


 寧々宮檸檸。


 恋に破れ失恋を引き摺る尖ったナイフが如き少女。

 彼女は驚きで身動きの取れない僕に向かって、両腕を組みさながら仁王が如く高らかに命令していた。


「ボサっとしないっ!」

「へっへい!」






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