第7話

 今回の話題のきっかけはレモネードだった。

「私たちはコンビニで意識が宿ったからコンビニのことしか知らないけど、他の飲料たちはどうやって買われるんだろう」

 みんなの視線がカフェラテに集まる。分からないことがあったらカフェラテを頼る。

 カフェラテはいつも俺たちの問いに淀みなく答える。

「俺たち飲料の買われ方は幾つかある。たとえば、街には自動販売機というものがあるらしい。店員がいらない箱型の機械だ」

「え、店員がいないの?」「万引きとか怖くない?」「見てみたいなあ」

 たちどころに声が上がる。

「自動販売機は丈夫だからほぼ万引きの心配はない。定期的に補充をする人間がいるらしい」

「誰かが楽するために誰かが負担を負う典型ね」

 レモネードがぼそっと呟いた。

 俺は以前の話を思い出していた。

 人間に見られていなければ動ける、という話だ。

「自動販売機の中にいる飲料たちは、常に自由に動けるってこと?」

 カフェラテの方を見ると困ったような顔をしていた。

 カフェラテもコンビニで意識が芽生えたのだから、自動販売機の中のことは詳しくは分からないのだろう。

 ほうじ茶の「そうかもね」の一言だけが浮かんで、俺の問いは流れてしまった。

「通信販売という買われ方もあって、人間の家に俺たちが届けられるってパターンもある」

 へえ便利だね、とほうじ茶は感心しているが、レモネードはどこか気に入らなさそうな顔をしている。

「人間ってのは楽を追求するのが上手なのね」

「確かにね。コンビニが造られたのも、俺たちペットボトルが生み出されたのも、人間の暮らしを豊かにするためだな」

 宥めるような声を掛けたのはカフェラテだった。

「どこで買われようと、購入された時点で私たちには自由はないことは変わらないわね」


 俺は、レモネードがはっきり言い放ち溜め息をついた場面で追想するのをやめた。

 コンビニのホットウォーマーは温かくて居心地のいい場所だった。

 周りにいる仲間たちも意識が芽生えた俺を優しく迎えてくれた。

 途絶えることがない会話も購入される仲間の見送りも、思い出す光景はどれも愛おしい。

 幸せな過去に目を向ければ向けるほど、現在の残酷さが際立つ。

 冷たいコンクリートの上を体を引きずるように歩き続けた。

 同じ景色が暫く続いた。

 一度休もうと壁にもたれかかったとき、近くに何者かの気配を感じた。

「誰かいるのか」

 体の感覚が敏感になっているのがわかる。 

ぬるい風の奥から、コンコンと音が聞こえた。

「おい。誰かいるんだろ」

 呼びかけても、聞こえるのはコンコンという弱々しい音だけだった。

 俺は意を決して音に近づいてみることにした。

 次第に音は大きくなり、コンクリートの壁に寄りかかるようにしている音源を見つけた。

 真っ黒い空き缶だった。

 コーヒーで満たされていただろう身体は、所々へこんでいて傷も一つや二つではなかった。

「君は?」

 空き缶は俺の顔を一瞥して「ブラック」とだけ呟いた。

「ブラックはいつからここに?」

「忘れた」

 そう冷たい声で言い放たれた。

 忘れたとはどういうことか尋ねる前にブラックは続けた。

「いつ買われたかは覚えてない。捨てられてからは人間の目を避けてここまで来た。

 それからは、空が明るくなり暗くなる、その繰り返しを見ていた。

 目の前を通る電車は単調で退屈だが、空は一度も同じ表情を見せることがなかった。今見ているこの空は、この先二度と見ることができないのだと思うと、この場所を離れるのが惜しい気がするんだ」

 空を眺めるブラックの顔は恍惚としていた。

 ブラックの視線の先を追うと、青藍の空にくっきりとした輪郭の雲が浮かんでいた。

 俺がレールの脇に落ちた時には、半分にも満たないほどだった闇の侵食は既に終わっていた。

 月はここから見える位置にはないが、闇に浮かぶ雲を照らしているのがわかる。

「ブラック、君はどんな人間に買われたんだい?」

 ブラックは俺を冷ややかな目で見ている。

「そんなこと知ってどうする気だ」

「別に...」

「ここにいる時点で俺とお前は似た境遇だろ。不憫な身の上話を聞きたいのか?」

 俺は、はっと息を呑んだ。

 表面だけは小綺麗な女性。

 生気を失ったような顔をした人間たち。

 周りへの迷惑を顧みず騒ぐ憎らしい男子学生の姿が脳裏に浮かんだ。

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