第6話

 ゴミ箱から少し離れた場所で3人組は立ち止まった。

「ここから投げてゴミ箱に入れられたら、他の二人から奢ってもらえるってのはどうよ」

 俺を持っている男子が提案すると「いいねえ」と他の二人が賛同した。

 だいたい状況はわかった。

 3人が順番にゴミ箱目がけて俺を投げる。見事入れることができればご褒美がある。そんなところだろう。

 俺はこれからこの中の誰かが成功するまで投げられ続ける。

 本音を言えばもっと優しく入れて欲しいが、贅沢は言ってられない。

 先延ばしにされていた俺のゴミ箱入りを実現してくれるのだから感謝しなくてはならない。

 3メートル先の銀色のゴミ箱には、小さい穴がぽっかり開いている。

 それにしても、あんな小さい穴に入れることなんてできるのだろうか。


 順番を決めるためのジャンケンが終わり、俺は最初に投げる男子の手に渡った。

「俺がいきなり入れて終わらせてやるよ」

 随分と自信があったようだが、彼に放られた俺は宙に緩やかな曲線を描いたのち、丸い穴の縁に弾かれて3人組の足元へ戻ってきた。

 最初の挑戦者は「何が終わらせてやる、だよ」とからかわれている。俺は頭を打った痛みに耐えながら、ゴミ箱の丸い穴を見つめた。

 このゲームは難しいに決まっている。

 俺の身体の太さより少しばかり大きいだけの穴だ。綺麗に通り抜けられる気がしなかった。

 二人目も、三回目に投げたこのゲームの提案者も失敗した。

 宙を舞う間に身体の向きや角度がずれる。ずれてしまうと穴に弾かれてしまう。

 その後も何度も何度も投げられた。

 俺のラベルはぼろぼろになっていたが、それでもまだゲームは続いた。

 3人組は周囲からの奇怪なものを見るような目を気にも留めないで嗄れた笑い声を上げていた。

 こいつら、悪魔だ。

 俺をこんなに痛めつけても何とも思わない。

 罪悪感を抱くどころか無邪気に笑っている。

 一度でも善良な若者だと思ってしまった自分が恥ずかしい。

「いい加減入れようぜ」

 誰かが言ったその言葉を聞いた時、少しだけ全身の力みが弛んだ。

 別に俺は理不尽な要求をしているつもりはないんだ。

 ただ俺を。ぼろぼろになった俺を、ゴミ箱に入れて欲しいだけなんだ。

 もうゲームにも飽きてくる頃だろう。

「お願いだ」

 俺は目を閉じた。そしてゆっくり呼吸をしながら、穏やかな終わりが訪れることを祈った。

 それからはゴミ箱に弾かれようが、地面に叩きつけられようが、次こそはきっと、と心に絡みつく諦念を振り払い続けた。

 俺を握る掌に力が入った。

 今までにないほど乱暴な投げ方だった。

 直線的な軌道で丸い穴に収まるわけもなく、身の危険を悟った時には既にゴミ箱にぶつかっていた。

 鈍い衝撃が全身に響く。

 それだけならまだよかった。

 ゴミ箱に当たった時の角度が悪く、直角に弾かれてしまったのだ。そして地面でバウンドして、人間が乗り物を待つスペースから落下した。

 真横に乗り物が走る鉄のレールがある。

 一瞬の出来事だった。視界も激しく回転したこともあって、しばらくは地面をじっと見つめることしかできなかった。

 少し離れたところから、さっきまで一緒にいた3人組の声が聞こえる。

「ホームの下落ちたな」

「何してんだよ」

「思い切り投げればうまくいくと思った」

 言葉とは裏腹に声が弾んでいて不愉快だった。

 ふざけるな。

「馬鹿かよ」

「お前の奢りな」

「え」

「あたりまえだろ」

「もう帰ろうぜ」

 うるさい。もう喋るな。笑うな。

 3人組の甲高い笑い声は遠ざかっていくが頭にこびりついたまま離れなかった。


 上を見上げると空が暗くなり始めていた。

 濃紺の群れが侵食を続けているその様は今の俺の心に似ていた。

 空をじっくりと眺めたのはこれが初めてかもしれない。

 こんな身の上でなければ美しいと思えたに違いない。

 機械的なアナウンス。

 扉の開閉音。

 人間の靴音、話し声。

 聞こえる音は拾えるだけ拾った。

 俺がここにいることを人間は知る由もない。身体は傷だらけだったが、すっくと立ち上がった。

 俺の底にコンクリートの冷たさが伝わってくる。

「行こう」

 誰に聞かせるでもなく自分に向けて呟いた。

 自力で動けるとは言っても、高い位置にあるゴミ箱の穴に入るのは不可能だ。

 ゴミ箱に入るには人間に拾われる必要がある。ここまで酷い扱いをされても、最後には人間の力を借りなくてはいけないとは複雑な気分だ。

 俺は考えていた。

 ゴミ箱に入る前にやりたいことがある。

 キャップをキュッと締めて俺は歩き出した。

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