第5話

「人間は喜ぶとき、拳を握るらしい」

 こういうことを言い出すのは決まってカフェラテだった。

「へえ、拳をね」

 ほうじ茶が話に食いつくと、カフェラテは続きを話す。

「その拳を高く掲げることもあるみたいだ」

「なんでそんなことするんだろうね」

「深い意味はないかもしれない。ただの喜びの表現ってだけで」

 真剣な顔をして考え込んでいたレモネードが「こういうのはどうかしら」と考えを説く。

「喜ばしいときや嬉しい時って、運がいいってことじゃない?

 ということは幸運を掴んだことを表しているんじゃないかしら」

「ほう。面白い発想だ」とカフェラテが頷く。

「チャンスを手にした。と言い換えてもいいわね。とにかく、手に入れた幸運を手放さないようにしているんじゃないかしら。

 拳には掴んで離さないようにって意味が込められているのよ」

 自信満々に話すので本当にそうなのではないか、と思えてしまう。

 俺はもう少しレモネードのアイデアを聞いてみたくなった。

「じゃあ、握り拳を高く掲げるのはどうして?」

 レモネードは「そんなの決まってるじゃない」とすぐ反応する。

「周りの人間に見せつけたいのよ。私は幸せ者ですよって。こんないいチャンスが巡ってきたのよ、羨ましいでしょって。

 喜びを共有したいと言えば聞こえはいいけれど、自慢がしたいだけだと思うわ。人間ってそういう自己顕示欲が強い生き物でしょ?」

「随分とハッキリ言うね」と隣でほうじ茶が苦笑している。

 俺たちに真実を知る術はないが、別に悔しいとは思わない。

 ペットボトルの一生は短い。

 不思議なことの真相を知るよりも、友と理想や妄想を広げる方が何倍も有意義だと感じるのだ。

 幸運をつかんで離さない、か。

 運がいい印。嬉しさの表現。希望のシンボル。

 頭に浮かんだ単語はどれもキラキラ輝いていた。


 コンビニ時代の会話が断片的に蘇ってきた。

 二度と会うことはできないと思っているが、奇跡がおこるかもしれないと期待している自分がいる。

 それはそうと、俺の運は好転している。俺が人間だったらガッツポーズをしていたに違いない。

 薄暗い座席の下とは違い、今俺は蛍光灯の明かりを浴びている。

 確実に人間の視界に入るようになった。

 すぐ足元に転がっているペットボトルを拾うくらい誰かしらやるだろう。

 メイクや髪のセットに比べたら、はるかに簡単な作業だと思う。

 横になっている俺は黙って待つことにした。

 目線の先には、荷物を載せるための銀色の棚や、無数のぶら下がった輪っかがあった。

 この乗り物で立っている人のほとんどはこの輪っかを掴んでいた。

 揺れても転ばないようにするための工夫なのだと理解した。

 天井に貼ってある広告を一通り眺め終わっても、俺を拾う者は現れなかった。


 乗り物が速度を緩め始めた。

 そろそろ扉が開いて人間が出入りする頃だ。

 今この乗り物の中にいる人間はあてにならない。新たに乗ってくる人間に期待しよう。

 乗り物が停まり扉が開く。

 3人組の男子高校生が乗ってきて、俺は少しうなだれた。

 今まで見てきた男子高校生は、誰一人として拾うそぶりを見せなかったからだ。

 しかし予想に反して、そのうちの一人が俺に手を伸ばした。

「ちょうどいいのあんじゃん。これ使おうぜ」

 3人組は空いている座席に並んで座った。

 部活動や成績に関する会話がしばらく続いていた。

 やっと捨ててもらえるのだろうか。

 ただ引っかかることがある。彼らは俺を「使う」と言っていた。

 何をされるのか分からず不安だった。

 とは言っても、どんな使われ方をされようと最終的に捨ててくれるならば、ありがたいことなのかもしれない。


 俺たちペットボトルは工作の材料にされることがしばしばある。

 カッターなどの鋭利な物を突き立てられ、シールやテープを身体のあちこちに貼られることもあるらしい。

 身体を改造されたペットボトルたちは玩具や雑貨に成り果てる。

 俺は刃物で身体を引き裂かれてまで長く生きたいとは思わないが、置物となる運命に憧れを持つペットボトルがいるのも確かだ。

 雑貨として人間の目を楽しませつつ、人間の生活をじっくり観察する。

 人間への関心が高いペットボトルはそういった生き方を望む傾向にある。

 そんな彼らはどんな気持ちで、自身に積もる埃を見つめるのだろう。

 人間のことが知れるならば、それでいいと割り切っているのだろうか。

 俺は一刻も早くゴミ箱へ捨てられたいのだが、使うと言われた以上簡単には捨ててもらえない可能性が高かった。


 3人組が乗り物を降りた。もちろん俺も一緒にいる。

 乗り物のすぐ外には自動販売機や、たくさんの文字や絵が描いてある看板があった。

「見つけたぜ」

 俺を握っている高校生が指したのはゴミ箱だった。

 やはり運は俺に味方しているのかも知れない。

 どんな形であれこのゴミ箱に入れられるのだろうと確信した。

 ああ。ここまで長い道のりだった。

 この銀色の丸い穴が空いたゴミ箱に入れば、何も考えないでいい上に、人間の嫌な一面をこれ以上見なくて済むのだ。

 若い人間にはろくな奴がいないと思っていたが、そんなことはなかった。

 中にはいい人間もいる。

 このことを最後に知ることができただけでも、俺は幸せだったのかもしれない。

 それはこれから売られるであろう後輩のペットボトルたちの希望になるのだ。

 よかったな、後輩。

 俺は徐々に近づいてくる銀色のゴミ箱を見つめた。

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