後編


 京さんがふらふらとどこかへ行ってしまったあとの話で御座います。


 一寸さんはとても焦っておりました。

 大きな声を出さないだけで無表情ではありませんので、よく見れば感情は分かるのです。威圧的な身体の大きさのせいでじっくり見ようとはあまり思いませんが。


 さすがは一寸さんと申しますか、さすがは奴隷歴が長いと申しますか。

 どうやらあの時彼はすでに席を確保したあとだったようで御座います。つまり、先に京さんの用事を済ませたあとで、勇子さんと談笑していたので御座いますね。


 そして待てど暮らせどやってこない京さんに、心配になった一寸さんが京さんを探しているというのがいまの現状と相成ります。


 何よりも食事を愛する京さんが食事の時間になっても現れないというのはまさに天変地異の前触れと言わざるを得ません。何か事件に巻き込まれてしまったのかもしれないと思うと、一寸さんの表情はますます曇っていく一方なのでありました。


 自身のクラス、職員室、図書室、一度戻って食堂、最後の砦である女子トイレを如何にして探るか悩む一寸さんが目の当たりにしたのは、中庭のベンチで一人お弁当をつつく京さんの姿でありました。


「…………」


 怒るという選択肢は彼の中にはない御様子。

 あれだけ探し回ったというのに、いつもと違う行動を取った京さんに苦情を言う気はないようで、浮かぶ表情は安堵だけでありました。


「なんや」


 近づく一寸さんに投げつけられた一言は、それはそれは恐ろしく冷え切ったものでありました。文字でしかお伝え出来ないことがもったいないと思うほどにそれは寒々しいものでありました。


「…………」


「はッ! よぉ言うわ。ウチのことなんかどうでもええんちゃうんかい」


「…………」


「お前は勝手に自分の好きでよろしゅうやっときゃええんやろが!!」


 京さんがどうしてここまで機嫌が悪いのか一寸さんには分かりません。まさか勇子さんと仲良くしていた姿を見られていたなんて夢にも思っていないのでしょう。


「ええ機会やから教えといたるわ。昔のことや、お前がケーキを盗み食いしたんをウチのせいにしよった話」


「…………」


「どこまでもマヌケなやっちゃな! ウチもやっとったんじゃ!」


「…………」


「お前は一口らしいな、ウチは一切れ全部食べたんじゃ! せやからウチが怒られたんは自業自得でお前がそのことずっと気にしとんのはただの阿呆っちゅうんじゃ!!」


「…………」


「ウチにとっちゃそのおかげでお前がずっと下僕扱いできるさかいな、都合良かったんじゃ! よかったやんけ。これでお役御免じゃ! 好きなとこ行って好きなことしとけや、ダボ!!」


 それでもなお何か言い返そうとする一寸さんに京さんはまだ中身が半分以上残っていたお弁当箱を投げつけました。

 言い返そう、と言いましても何を言っていたのかさっぱりなんですけどね。


 いくら良い体躯を持ち合わせていようとも、頑丈なお弁当箱を真っ正面から受けてしまえば怯まないわけにはまいりません。

 その隙に逃げ出す京さんを、一寸さんが追いかけることは、ありませんでした。


「あッ! こんなところに居たのね……、ちょっと猿之介が意味不明なこと言ってたんだけど、いったい何があった」


「美宝ぢゃぁあ!!」


「ど、どうしたのよ!?」


 猿之介さんに頼まれた美宝さんに京さんが抱きつきます。

 様子のおかしい友人に、さすがの美宝さんも大慌てで御座います。


「ウヂ……っ、うぢィ……ッ!!」


「ちょ、え? い、いいから落ち着きなさいって!」


「うわぁあああああッ!!」


 子どものように泣きじゃくる友人に、美宝さんは優しく京さんを抱きしめて、その背中をなでてあげるしか出来ないのでありました。



 ※※※



「つまり、ずっと貴女が住吉くんをこき使っていたのは、昔の話を使ってたってわけ」


「うん……」


「でも実際には、貴女もしっかりつまみ食いしてたから全部が全部彼のせいってわけでもなくて」


「うん……」


「これは良いや、と嘘を突き通していたらまさかの彼のことを好きな女の子が居た、と」


「うん……」


 せっかく猿之介さんが入れてくれたフォローはまったく京さんの耳には届いていなかったのですが、その場に居なかった美宝さんがそのことを分かるはずがありません。


「それで? さっき昔のことはもう関係ないから好きにすれば良いって彼に伝えた、と」


「うん……」


「もうちょっと素直になっておきなさいよ……」


「せやかて!?」


 そっくりそのまま美宝さんに打ち返してしまいたい台詞では御座いますが、まぁ、彼女の場合はお相手さんがそれを踏まえて楽しんでいる様子なので良しと致しましょうか。


「あの一寸を好きになる人なんてウチ以外に居るはずないと思ってたんやもん!」


「本当に住吉くんのこと好きなのよね?」


「もうお終いやッ! 一寸には彼女が出来てもうて、しかもウチは嫌われた! ずっと嘘ついてこき使ってきたんがバレてもうたらもうあかん! もう嫌われてもうたッ!!」


「……、勇子と住吉くんが……?」


 一寸さんのことは、京さんの幼馴染程度でしか知らなくとも、勇子さんのことはよく知っている美宝さんにとって、彼らが恋人同士になるということがまったくピンと来ておりません。実際そんなことないので、ピンと来るわけないので御座いますが。


「あんたの勘違いじゃなくて?」


「だって変なん好きって言ってたもん!! 吉備津のツレが言うとったもん!!」


「確かに勇子は変な人とか好きだけど……」


「ほらァァ!! もうあかんのじゃぁああ!!」


「だから本当に住吉くんのこと好きなのよね?」


 桃太郎さんを好きな貴女が言っても説得力ありませんよ。


 さて。

 美宝さん、美宝さん。


「うん? なによ」


 来てますよ。


「来てるって誰、あら」


「…………」


 振り向いた美宝さんの視界には、ずんずん近づいてくる巨人の姿。つまりは一寸さんで御座います。


「とにかくッ!」


「ふぁ……?」


「自分に責任があると思うんだったら、逃げずにしっかり話してきなッ! さい!!」


「にぎゃぁあ!?」


 さすがは桃太郎さんの家の庭石を持ち上げるだけの腕前を誇るだけは御座います。一寸さんへ京さんを投げ飛ばした美宝さんは、髪をかき上げ颯爽とこの場をあとにするのでありました。


「痛ッ! ……くない?」


 彼女にお尻にどすんと衝撃が、来ることはありません。

 だって、優しくキャッチしてもらっておりますからね。


「あ……、あ、ぁ……」


 自分を抱きしめている存在に、京さんの顔色がどんどん悪くなっていきます。そんな彼女を一寸さんはいつもと変わらない心配そうな瞳でのぞき込みます。


「ご……、ッ! ごめんなさい!!」


 一寸さんが何か言うまえに、耐えきれなくなった京さんが叫びます。抱きしめられた格好のままで。


「ずっと黙っててごめんなさい! 好き勝手こき使ってごめんなさい! ほんまに! ほんまにごめんなさい!」


「……ぁ」


「嫌いにならんといて! 嫌いにならんといて!!」


「み、」


「彼女居ってもええから! ウチのこと構わんでもええから! せやから嫌いにだけはならんといてッ! ごめんなさい! 嫌いにならんといて!!」


「知ってた!!」


 聞き間違いではありませんよ。

 誤植でもありませんよ。


 確かに、一寸さんです。あの一寸さんです。まったくもって大きな声を出したことがなかった一寸さんが。

 叫んだのでありました。


「知ってた、んだ。みや、こもあの時ケーキを食べてた、こと」


「……おま、声……、え? てか、え?」


「あのあと、おばちゃん、に。僕、が盗み食いしたって、ちゃんと言って、怒られもし、て、それで、おばちゃんから、京も食べてたって、聞いてて」


 ひどく聞き取りにくい話し方でありました。

 それでも、一寸さんは声を出します。決して読み取ってもらおうと京さんに強いるのではなく、自分の声で彼女に伝えるので御座います。


「せ、やったら! なんで、なんでウチの言うこと聞いてッ! だって、そんなん……、そんなんおかしいやんけ!? ありえへん! 嘘や! そんなもん嘘や!!」


「そ、れは」


「嘘つくなや! お前がそんなんする理由があらへんやんけ! やめろや! そんな嘘つかれてもウチが! ウチがお前のしとンッ!?」


 それ以上京さんが叫ぶことは出来ませんでした。

 一寸さんが、京さんの口を塞いでしまったから。


「~~~……ッ!?」


 一寸さんの唇で。


「ずっと一緒に居たかったから」


「…………」


「京のことが、好きだから」


「…………」


 一寸さんの覚悟を決めた告白に、


「…………」


「みや、こ……?」


「…………」


「京!?」


 食いしん坊なお姫様は気を失うので御座いましたとさ。


 めでたし、めでたし。

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