第四話
昼食を駅近のファミリーレストランで食べ終えた頃、例の後輩から着信があった。不動産会社を訪ねる前にあらかじめ、留守番電話に用件を伝え入れていた。
「遅くなり、すみません」
「こちらこそ、ごめんね。こんなオバさんから突然、びっくりしたでしょう? 来年、卒業だっけ?」
他愛もない会話を数往復こなした後、事の仔細と、解決に向けて助力が欲しい旨を説明した。
「旅行サークルに所属していたのは、地方の伝承や土着信仰、風習などを調べる為だったんでしょ? オカルトとか都市伝説とか……その手の話に詳しいって昔、友人から聞いていたことを思い出してね」
後輩はわずかの間、何か思案する様に沈黙すると、困り果てたといった感じで、申し訳なさそうに答えた。
「ごめんなさい。僕にはその、お祓いや除霊の方法をお教えしたり、また、それが出来る人を紹介する事に関してはお力にはなれません」
誰もがインターネットを使って簡単に手に入れられる程度の眉唾な話が多く、その手の信頼出来る人も、今は知らないのだそうだ。
「それに……」と、声に緊張感が増した。
「確かな意味を持つ方法であっても、闇雲に試すことは危険でしかありません」
例えばこんな話がある――と後輩は続けた。
「加えて、実際に効果があるかどうかも分からないことを有難がって行い、時間を無駄に費やすことも怖いんです。取り返しのつかない状況になってしまうかも知れませんし、大概はその後の結果によって、自分のやってきたことの是非がわかりますから。気付いた時には手遅れになることも、往々にしてあります」
つまりはケースバイケース、というわけだ。何をするにしても適切な措置をとることが大切なのだという。
「最もだ」と思った。単にオカルトに詳しいからできた話ではなく、常識の範疇で論理的な観点から物事を語っているように感じた。やや慎重過ぎるきらいもあるが、それだけ親身になってくれている証だろう。
また微妙な間が出来たと思うと、今度は言い難そうに声色を変えた。顔もうろ覚えなのに、受話器の向こう側で眉間に皺を寄せ、険しい表情をしている姿が目に浮かんだ。
「その……何かに躓いたとか、変な寝方をして痣が出来てしまったり――勘違いの可能性ってありませんか?」
「……それって喧嘩売ってる?」
瞬間、頭に血が昇った。散々喋ってきて、今更それを言うのか。私が嘘を吐いていたり、取るに足らない事を頭がおかしくなって、大袈裟に騒ぎ立てていると馬鹿にされた気がした。
それでも、後輩は「大切な事なんです」と、明らかに嫌悪感を滲ませた私に対して怯まなかった。
後輩の毅然とした態度に、私は、少しだけ我に返った。そういえば、通話開始からどれだけ時間が経っているのだろう……。
「……今日の予定は?」
「敢えて言いますが、旅先から帰るバス、乗り過ごしてしまいました……」
高速バスの停留所へ向かう途中、私からの伝言に気付いたらしく、時間にもまだ、余裕があったからと、その場で折返し電話を掛けたそうだ。先程、何気なく視界に入った腕時計の文字盤で、自分の置かれた状況を知った――と言う訳だ。つまりそれだけ、集中してくれていた、という事になる。
唇を小さく尖らせて、長く息を吐く。冷静になり、自分の馬鹿さ加減に辟易した。なんて短気で大人気無い。この子が私との会話で誠実で無かった時があっただろうか? こんな話――大抵、面倒臭いと感じて投げ槍になる所を、真面目に向き合って答えてくれていたではないか。少なくとも、私は適当に扱われているとは欠片も感じていなかった。
「……ごめん。勘違いではないと思う。何度も、何度も考えて。痣も、彼氏の仕業にしては、悪戯の度を超しているし。――ちゃんと確かめた訳じゃないから、はっきりと言えないんだけど、痣の指の大きさが違うんだよね。彼氏よりも小さいっていうか」
わかりましたと、後輩は頷いて、
「それでは、まず、そのマンションが建てられている不動産や土地の歴史を調べましょうか」
「あ、私もそれ考えてた。不動産の担当者はマンションが建つ前はただの宅地だったって言ってたけど、自分で確かめなきゃ気が収まらなくて。今日はこれから図書館に行って古い地図調べようかなと」
「最近はネットでも古地図が出てきたりしますよ。それに土地の情報を今すぐ調査するなら、直接管轄の法務局に行って閉鎖登記簿、旧土地台帳を請求した方が早くて確実です。お金は多少掛かっちゃいますが」
「おぉ……詳しいね」
「伊達に、旅行先で嗅ぎ回っていませんから」
図書館は地番を得るための住宅地図のコピーをしたり、過去マンション付近で起きた事件・事故などを所蔵された新聞を使って調べた方が良いとアドバイスしてくれた。
その後も、簡単な法務局での手続きの仕方や調査に役立つお勧めサイト、メールアドレスを教えて貰い、まさに至れり尽くせりだ。だからだろう、
「あのさ、今日……部屋に戻るの危なくないかな? 正直、帰りたくない……」
二つも年下の男の子につい弱音を漏らしてしまった。
「それはわかりません」とすぐ返事が来た。
「今の情報だけでは何とも言えません。状況的に、部屋に留まる事が一見して、危険な様にも思えますが……。ただ、一人で居ないほうが良いのは確実に言えます」
今回の件――特に今朝浮き出た左足の痣――が人為的な線も捨てられない。もし、これが犯罪であるならば、頼るべきは霊能力者ではなく警察官だ。彼氏と帰った後、天井や床、ベットの下等に通行口が作られていないか、盗聴器や隠しカメラが無いか部屋中をくまなく調べる必要がある。
「万全を期すのであれば、やっぱり、探偵や専門の業者に調査して貰った方がいいでしょうね。ストーカーみたいな変質者がもし部屋に潜んでいたとして、鉢合わせたらそれこそ危険なんてものじゃありませんから」
そうか、左足首を掴まれた事と痣が出来た事、二つが違う原因だというパターンもありえるのか。眠っている間に何者かが侵入し、私の足首を思い切り握る――目的は皆目検討もつかないが、想像しただけでも悍ましい。
机に肘を付き、額を掌に載せた。詰まるところ、最善を追い求めたら切がない、という話なのだ。何処かで線引きするしかない。
「不安を煽る様な事ばかり言って、すみません。遠くから偉そうに……。本当はそちらに出向いて協力するべきなんでしょうけど……」
この後輩は聖人君子か何かなのだろうか? 何処までも謙虚で優しい人間だ。きっと、親御さんの育て方が良かったのだろう。
「いやいや、そこまでしてもらう義理はないから! わざわざ県外まで来てもらったら、私が罪悪感で耐えられないよ。それに、不安が増えた分、やるべき事が明確になったし。迷いがなくなった事で、気分も大分、良くなったよ」
後日、経過を報告する約束を交わし、ありがとうと感謝を伝えて電話を切った。
時刻を確認すると、通話時間は優に一時間を越えていた。電話代は大丈夫だろうか。加入契約プランによっては今月の請求が火を吹くことになる。後輩君には申し訳無いことをした。
張り詰めていた糸が少しだけ緩む。自分の喉が、痛くなるまで渇いていることに気が付いた。
空になったグラスを片手に水を汲みに行く。一杯にまで注がれると、行儀悪く、その場で一気に飲み干した。
――よし、やってやるぞ。
気合を入れ直し、先ずは、部屋に誰かの手が入っていないか、調査依頼する業者を検討する事にした。
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