第13話「月曜の朝は、保健室から」
月曜日。始まりの一日。
今週の学校が始まるという以外にも、雛子ちゃんにとっても始まりの一日になるはずだ。
……無事、通学できていればと思う。
家を出て、自転車を漕いで、電車に乗って、オオミヤ駅で降りて、駅前から出ているスクールバスに乗って――今日もサイタマ県央サイタマスーパースクールへとやってきた。
いつもより二本早いバス。今日は、まず保健室へ寄ってみようと思った。雛子ちゃんが来ているかもしれない。
昇降口に向かう人波から外れて、保健室に向かう。
部活の怪我人やサイタマスーパーバトルの実習で精神的にダメージを負った者が出たときに対処しやすいように、保健室は野外に接している。つまり、外から直接入ることができるのだ(もちろん、靴は脱ぐ)。
ガラス戸の前に立って中を覗きこんでみると、白衣姿の流香先生と真新しい制服に身を包んだ小学生みたいな女の子――雛子ちゃんが向かい合うように座っていた。
よかった、無事通学できたんだ。
「おっ、与野っちじゃん♪ はろはろ~♪ 入って入って♪」
俺に気がついた流香先生が立ち上がって、ガラス戸を開けた。俺は促されるままに、靴を脱いで室内に入った。
「あ、そのっ、え、えぇとっ……! き、昨日は、ありがとうございましたっ……!」
雛子ちゃんは椅子から立ち上がると、ぴょこんと頭を下げた。
「ああ、いや、俺は特になにもしてないから……大宮のおかげだから、ほとんど。ともかく、よかった、サイタマスーパースクールまで来られて」
部屋を出て、家を出て、バスに乗って、電車に乗って、またバスに乗って――その道のりは決して短くない。イワツキの家からだと、ここまで四十分はかかったろう。ずっと家に閉じこもっていたのだから、家を出るだけでも勇気が必要だったと思う。電車やバスに乗っている間は、きっと不安になっただろうし、それを耐えてここまで来たのだから、本当に大きな一歩だ。
「ほーんと、与野っちったら隅におけないね~♪ 大宮っちと浦和っちと流香たんだけじゃなくて、こんなかわいい子にまでハーレムを拡大するなんて♪」
「ちょっ、誤解を招く言い方はやめてください! そもそもなんで先生まで入ってるんですかっ!?」
「えー、与野っち年齢で差別するのー? 流香たんってば、こんな綺麗なおねーさんなのにっ! 私の若い頃なんて、そりゃ毎日放課後に告白攻めだったのよー? もちろん、私より弱い奴と付き合うつもりなんてないから、その場で拳で語り合って強さを確かめたけど。というか、全員倒しちゃったけど」
その結果が、これか……。
「四捨五入って嫌な言葉よねー……二十四歳と二十五歳、たった一歳違うだけで『四捨五入で二十歳ですっ♪』とか合コンで言えなくなるのよ!?」
いや、二十四歳でそんなことを言っている人も、たいがい残念だと思うが……。ほんと、この人は容姿はいいのに、性格で台無しだった。……って、雛子ちゃんがいるのに、なんという暴走トークをしてるんだ……。
「……え、えと…………あは、は……」
雛子ちゃんはどう反応したらいいのかわからないといった感じで、愛想笑いをしている。暴走教師のせいで、いきなり無理をさせてしまったか……。
「ま、学校なんてものはね、難しく考えないで、笑って過ごしてればいいのよっ♪ 大宮っちみたいな元気なのもいるし、こいつも真面目そうに見えてけっこうツッコミ能力あるし、なによりイジリ甲斐あるしねっ♪ なんなら、私と一日お喋りしててもいいのよっ? 男をぶちのめした話とか、男をぶんなぐった話とか、男を蹴り飛ばした話とか、男を土下座させた話とか、たくさんあるから♪」
保健室で流香先生の話し相手になっているのは雛子ちゃんの教育上、とてもよくなさそうだった。
と、そこへ。ガラス戸のところに、ひょこっと大宮が顔を出した。そして、雛子ちゃんの姿を見つけて、ぱぁっと表情を輝かせる。
「おはよーっ! 雛子ちゃん、来てくれたんだっ!」
大宮はガラス戸を開けて靴を脱ぐと、逸る気持ちを抑えきれないといった感じで雛子ちゃんのところにやってきた。
「あ、はぃ……その、昨日は、本当にありがとうございましたっ……!」
雛子ちゃんは大宮に向かって、ぴょこんとお辞儀をする。さっきもそうだったけど、かなり礼儀が正しい。久子さんの影響だろうか。
「もうっ、そんなに硬くならないでいいんだからねっ! ほらほら、そんなことするよりもハグしよっ!」
「ふぇっ……? は、はわっっ……!?」
大宮は雛子ちゃんの背中に両手を回すと、ぎゅっと抱きしめた。雛子ちゃんは驚いた顔をしつつも、されるがまま大宮に抱きしめられてしまう。
というか、こいつの暴走癖は相変わらずだった。なぜいきなりハグなんだ。
「ほらっ、体、硬くなってる……もっと力抜いていかないと、一日持たないよ?」
「は、はぃ……」
雛子ちゃんの頬がみるみるうちに赤くなっていく。朝からなんという光景だ。ふたりの背景に百合の花が咲いているような錯覚がした。
「おー……。大宮っちは、百合属性だったのかー……流香たん、びっくりだ」
あの流香先生を引かせるとは……。
「って、違いますよっ! べ、別に、あたしはちゃんと男の子も好きですから」
……男の子『も』?
「おおー……大宮っちが両刀だったとは……流香たん、さらにびっくりだ……」
「って、言葉のアヤですっ! あたしはノーマルですからっ! と、とにかく雛子ちゃん、あたしがいるから大舟に乗ったつもりでねっ!」
「は、はぃ……」
雛子ちゃんは、顔を赤くしたまま頷いた。……なんか保健室が妙な雰囲気になってしまったじゃないか。大宮の暴走癖にも困ったものだ。
と、そこへ。今度はガラス戸ではなく――保健室のドアがノックされる。
「はーい、どうぞー」
流香先生が答えると、ドアがガラリと開いて浦和が室内に入ってきた。
きっちりとみだしなみが整えられていて、見事な無表情だった。……が、大宮と雛子ちゃんが抱きあっているのを見て、動きが止まった。
「……私、お邪魔?」
浦和が無表情のまま、正面の俺に訊ねてきた。
「いや、大宮がちょっと暴走してただけだから問題ない」
「……そう」
「ご、誤解だからねっ!? あたしはちゃんと男の子が好きなんだからっ!」
「……男好き?」
「なんで略すのよ!? とにかく、あたしはノーマルだからねっ! ひ、雛子ちゃんのことは、その、なんか、抱きしめたくなっちゃうけど……」
大宮はそう言いながら、バツが悪そうに雛子ちゃんから離れた。まぁ、少しはわかる気がする。小動物的なかわいさがあるからな、雛子ちゃんは。ウサギや子猫を抱っこしたくなるのと似ているのだろう。
「…………」
浦和は雛子ちゃんのところに無表情かつ無言で近づく。
「あ……あのっ……はわっ……!?」
そして、浦和は大宮同様に雛子ちゃんを抱きしめた。
大宮と比較して、浦和は胸の発育がいい。二つの膨らみが、雛子ちゃんの顔でもろに潰された。
「はわわっ……むぐっ……」
浦和までなにをやっているんだろうか……。
雛子ちゃんは少しジタバタもがいているが、浦和はそのまま抱きしめ続ける。
やがて、満足したのか、両手を背中から離した。
「ぷはっ……はぁ、ふぅ、はぅ……」
解放された雛子ちゃんは、胸に手を当てて呼吸を整える。すっかり、顔が真っ赤だ。
「……確かに、癒し効果がある」
そして、浦和は無感情にそう口にした。
……いや、わずかにだが、満足そうに、ほんの少しだけ、口元が緩んでいた。
「ね? 雛子ちゃんの癒し効果、すごいでしょ? 雛子ちゃん、回復魔法とか使えるんじゃないの?」
「あ……いえ、……雛子が使えるのは召喚魔法だけ、です……」
「へぇー、すっごいじゃない♪ 召喚魔法っていったら、サイタマ県内でも使える子なんてほとんどいないのよー? こりゃあ、今年のサイタマ県央サイタマスーパースクールはサイタマバーチャルバトルの頂点を狙えるかもねー♪」
「あ、あの……も、もしかして……先生は、あの……サイタマスーパーバトル三連覇を達成した桜木三姉妹の……流香さん……なんですか?」
「おー、えらいえらいっ♪ ちゃんと私のことを知ってるなんて♪ そうよーっ♪ 私が、サイタマ最強の格闘美少女バトラー『血祭姫(ブラッドカーニバルプリンセス)』と呼ばれた流香たんよ♪」
そういや、若かりし頃の流香先生は、そんな不穏な響きの二つ名だったな……。
「ず、ずっと動画見てましたっ……! あの頃のサイタマ県央サイタマスーパースクールの試合は、ネットで見られるのは、全部っ……!」
「おー、おー、嬉しいねぇっ♪ 流香たんかわいかったでしょ?」
「は、はいっ……!」
まぁ……俺だって、動画を見たことはある。
若かりし頃の桜木三姉妹は、本当に清楚可憐で、テレビに出てくるアイドルなんて目じゃなかった。その清楚可憐な美少女たちが死力を尽くして戦うというギャップがすごかった。サイタマスーパーバトル創設の一年目に桜木三姉妹が登場したおかげで、サイタマスーパーバトルもサイタマスーパースクールも軌道に乗ったと言えるだろう。興行的にも、知名度的にも。
流香先生に、あの当時の面影は残っているけど……なんというか、やっぱり寄る年波には――。
「うん、与野っち、今あんたが考えていることお見通しだからねー? 歯ぁ食い縛れ♪」
流香先生は満面の笑みを浮かべながら、拳を固める。
「いえいえ、なにも考えてませんよ!」
武道の達人だからか、表情のわずかな動きからこちらの考えていることを読むのが異常にうまい。
そう言う意味では、相談やカウンセリングに向いているのかもしれない。まぁ、あまりにも乱暴すぎると思うのだが。
「まっ、雛っちに怯えられても困るから、与野っちを血祭りにあげるのはやめておいてあげる♪ あ、今度サイタマバーチャルバトルの練習やってるときに乱入しようかな? 日頃のストレス発散を兼ねて与野っちをボコボコにするの♪」
やっぱり、物騒な養護教諭だった。雛子ちゃんどころかクラス全員がPTSDを負ったらどうするんだ。そもそも、俺をターゲットにするのはやめてほしい。
「ま、そういうわけだから、雛っちもサイタマバーチャルバトルで大暴れしなさいなー♪ やっぱり、サイタマバーチャルバトルは楽しいから♪ どんなに暴れても身体に傷ひとつつかないんだから、本当に最高のシステムよねー♪ ま、リアルの喧嘩で傷だらけになるのも私は好きなんだけど♪ちなみに、雛っちの担任は刀香だし、教頭が弓姉(ゆみねえ)だから♪」
って、桜木弓香先生は教頭なのか……!?
初日に溺れていた俺を助けてくれたっていう。ついでに、俺のアレを目撃した三人のうちの一人でもあるが……。
「ほ、本当ですかっ……!? す、すごいですっ……あ、あの桜木三姉妹の皆さんがいるなんて、ゆ、夢みたいですっ……」
雛子ちゃんの瞳の色が、だんだんと輝きを増していっている気がした。これなら、学園生活も乗り切れそうだ。憧れが、人を強くするのかもしれない。
「ま、私たちが卒業してからずっと低迷しているからね、サイタマ県央サイタマスーパースクールは……。今の二年三年も駄目みたいだし……あんたたちが、再び、サイタマ県央サイタマスーパースクールの黄金時代を築きなさいよー♪ 惜しみなく協力するから♪ あ、でも、それとは別に部活とかもやっといたほうがいいわよ? 私はバトルバカすぎて、その後の人生けっこう苦労したから♪ 視野を広げるのも、大事よー♪」
と、そこで大宮がハッとしたような表情になる。
「あっ、そうだ! よかったら雛子ちゃん、郷土愛好部に入らない?」
「郷土愛好部? ですか?」
「うんっ! 郷土に関する知識や愛を深めるの! サイタマ各地のいろいろなところを回る予定だから、サイタマバーチャルバトルのバトルフィールドについて事前に詳しく調査することができるし、新たな技のヒントになるかも! あたしの召喚する龍神も郷土の歴史から編み出したものだし!」
確かに大宮の龍神はすごいものがある。大宮の妄想によるアレンジもかなりあるだろうけど、その元になっているのは郷土への愛と知識の深さだろう。
しかし、まだまだ雛子ちゃんにあれこれ負担をかけるのはよくない。
「……まぁ、まずは学校に慣れることが第一じゃないか? そもそも、郷土愛好部はまだできてすらないだろ?」
「あ、そうだよね、ごめん、ちょっと先走っちゃった!」
大宮の突破力は貴重なスキルだろうけど、押しが強すぎる面もある。そういうところは、やはり俺がフォローするべきなのかなとも思う。
せっかく雛子ちゃんが学校へ来れるようになったんだ。ここで焦って無理して、また不登校になってしまっては元も子もない。
「うんうんっ♪ けっこうあんたたちいいチームになるかもね。闘うのは三人だけど、マネージャーってのも大事な仕事だから♪ 私たちのときも有能なマネージャーがいたから、力を発揮できたっていうのもあるし♪」
仮想能力が低くてバトルの役に立たない俺なんかは、そういう方向に生きるべきなのかもしれない。
……といったところで、チャイムが鳴った。予鈴だ。
「雛子ちゃん、どうする? あたしたちと一緒に行く?」
あまりグイグイ行くのもよくないと思ったのか、控えめに大宮が訊ねる。
雛子ちゃんの表情が、徐々に曇っていく。
そりゃ……しばらく引きこもっていたわけだから、教室に行くというのは勇気がいるだろう。入学試験は仮想実技のほかにちゃんと紙の試験もあったわけだから、学力的には問題ないのだろうけど。ちなみに、サイタマ県央サイタマスーパースクールの偏差値は六十ちょうどだ。
「……え、えぇと……い、行きますっ……」
雛子ちゃんは両手をギュッと握りしめて、顔を上げた。少し涙目ではあるものの、そこには強い意思を感じられた。
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