第12話「それぞれの想い~大宮・浦和・与野・岩槻~」
屋敷の中は、まるで畳と襖と廊下で構成された迷宮のようだ。
ほかの人の姿はない。雛子ちゃんと久子さんしか住んでいないのだろうか。
「……私たちの両親は、父が五年前に、母が三年前に病死しまして。母が亡くなった頃から、あの子は部屋に籠るようになってしまいました。幸い、両親は生活には困らない財産を残してくれましたし、私は華道と茶道と日本舞踊の免許を持っていましたから、それで生計を立てています」
こちらの思ったことを見透かされたのか、久子さんはプライベートなことまで話してくれた。
「本当は、もっとあの子と向かい合わないといけなかったんです……私自身が」
悔いるような、そして、自分を責めるような久子さんの言葉。しかし、誰が責められるというのだろうか。そんな状況で大きな屋敷に二人残されて。
「年齢が離れすぎていたのもよくなかったのかもしれませんね……。あの子が興味があるサイタマバーチャルバトルというものに、私は無頓着でした。あの子がサイタマスーパースクールを受けると言い出したときは、本気だとは思いませんでした。そして、まさか合格するとは思っていませんでした。あの子は……弱虫で、泣き虫で、臆病で……闘いなんて、とてもできるような子じゃなかったですから」
二階に上がっていき、廊下を進む。そして、久子さんは突き当りの部屋の前で、立ち止まった。
心を落ち着けるように胸に手を当ててから、ドアをノックする。
「雛子……サイタマスーパースクールの皆さんが、あなたにどうしても会いたいと仰ってくださっています。…………。……雛子、あなた……せっかく入学したのですから、ここで立ち止まっていたら、いつまでもこのままですよ。それで、いいのですか……?」
お姉さんは声を震わせながら、呼びかける。室内からは返事はない。
そこで、大宮が意を決したように口を開いた。
「はじめましてっ! あたしはサイタマ県央サイタマスーパースクール一年の大宮美也。雛子ちゃんのクラスメイト! ねぇ、あたしたちと一緒に闘おう? サイタマバーチャルバトルが好きならサイタマスーパースクールチーム戦のバトラーが3人必要なの知ってるでしょっ? あたしと、ここにいる浦和と、雛子ちゃんがいれば、きっとサイタマスーパースクールの制覇だって夢じゃないからっ!一緒に、頂点目指してがんばろっ!」
しかし、部屋からは返事がない。そのまま、沈黙が続く。ここまで来て、大宮に任せっぱなしというわけにいかない。俺も、雛子ちゃんに呼びかける言葉を探す。
「ええと……まずは、急に家に押しかけて、ごめん。俺は……俺も、サイタマ県央サイタマスーパースクール一年の与野待人。俺も、その……クラスメイトだ」
そこまで言って、このあとなんて言えばいいのか詰まってしまった。でも、ここで俺が沈黙してしまうわけにはいかない。とにかく、言葉を探す。
「俺は……その、サイタマバーチャルバトルに憧れていたんだ。ずっと子供の頃から。で……試験受けてさ……ギリギリ補欠で合格できたんだけど……。やっぱり、才能なくてさ……みんなができるようなことも、できない。仮想武装も仮想魔法も、本当にショボくってさ……」
話し始めて、俺はなにを言っているんだろうと思った。まるで自分語りみたいになってしまっている。でも、今、俺に話せることはそれぐらいしかなかった。
沈黙するよりはマシだろうと、とにかく言葉を継いでいく。
「だから……俺は、みんなを応援する側に回ろうと思っているんだ。これからも、趣味ではバトルもするだろうけど……やっぱり、見ていてカッコいいのがいいし、すごい魔法やバトルをもっともっと見てみたい。だからさ……俺は、その……雛子ちゃんの仮想武装や仮想魔法を見てみたいんだ。サイタマバーチャルバトルの一ファンとして」
自然と、入学試験を受けてから今日までの出来事が思い出された。俺だって、合格の知らせを受けたときは浮かれた。自分が武器や魔法を使って大活躍する姿を思い浮かべた。
でも、最初の授業で自分がいかに才能がないかを痛感させられた。その差は、歴然としたものだった。ファイヤーボールも飛ばせない俺と比べて、大宮は龍神を呼び出し、浦和は目にも止まらぬ速さで仮想武装の弓矢を放っていた。
比べるのもおこがましい。それぐらいレベルが離れている。二人の戦いを見て、俺は元のファンに戻る決意をしたようなものだ。
でも、雛子ちゃんには才能がある。刀香先生が列挙した中にいるということは、大宮と浦和に肩を並べる仮想能力を持っているはずだ。それを使わないのは、やっぱりもったいない。
それに、見る側としても、将来サイタマバーチャルバトルのスター選手になりうる逸材が眠ってしまっていることは、大いなる損失だ。
「才能があるのなら、俺の分まで、いや、才能がなくて夢を諦めざるをえないほかのみんなの分まで、闘ってほしい! そして、サイタマスーパーバトルで、滅茶苦茶すごい魔法や武器を使ってさ、エキサイティングなバトルを魅(み)せてくれっ! 頼むっ!お願いだっ!」
自然と声が上擦っていた。思った以上に、大きな声を出してしまっていた。
「……っ」
そして、部屋の中から息を呑むような気配がした。
少しは、届いてくれただろうか。
夢を諦めた者の声が、夢を掴むことのできる者へ。
「あんた……」
大宮は驚いたような顔をしていたが、やがて、申し訳なさそうな表情になった。
「ごめん……あたし、無神経だった……。あんたの仮想魔法見て、笑ったりして……」
「いや、気にしてない。いつかは直視しないといけない現実だったからな、自分の才能のなさってやつを。それが早いおかげで、俺は切り替えられた。でも、趣味としてバトルは続けるからさ。そうすれば、いつかはもうちょっと強くなれるかもしれないし。それに、言っただろ? 俺はサイタマバーチャルバトルのファンなんだ。大宮と浦和の仮想魔法と仮想武装、マジで格好よかったからな。それを間近で見られると思うと、俺は、本当にお前たちのクラスメイトになってよかったと思う」
俺の言葉に、大宮の表情が歪む。
それは……初めて見た、大宮の泣きそうな顔だった。
「バカ……なんであたしのこと、泣かそうとしてんのよ……。……本当に、あたしのほうが、バカで無神経で、どうしようもない奴じゃない……」
なんだか妙な雰囲気になってしまった。話が思わぬ方向へ行ってしまっている。
「……そんなに卑下することはない。与野くんだって、まだまだわからない。確かに仮想能力は才能に拠る部分は大きいけれど、これから伸びていく可能性だってある。ファイヤーボールを、あれだけ球体に近づけるのは、私だって難しい」
口数の少ない浦和から長めのフォローが入ったことに驚いた。最初は冷たくて近寄りがたい印象だったけど、この数日で浦和も変わりつつあるのかもしれない。
浦和はドアの前に移動すると、わずかに顔を上げて室内に呼びかけた。
「…………私は浦和文乃。同じくクラスメイト。岩槻さん、このまま引きこもっていたら、きっと後悔することになる、昔の私と同じように。…………私も、子供の頃は家に引きこもっていた。そして、その間に得るものなど、ほとんどなかった。残ったものは、後悔だけだった」
浦和の口から秘められた事実が語られる。
浦和も、雛子ちゃんと同じように引きこもっていた過去があったのか……?
「……そして、私の両親もすでにこの世にいない。サイタマバーチャルバトルシステムの開発者だったふたりは、十年前……サイタマスーパースクールが初めて創設された日、ホテルでのパーティの帰りに、飲酒運転のトラックに突っ込まれて即死した」
「「「っ……!」」」
俺も大宮も久子さんも、そして、部屋の中の雛子ちゃんも息を呑んだ。
そんな中、浦和は淡々と言葉を継いでいく。
「……サイタマバーチャルバトルシステムの開発には私も子どもながらに協力していた。私の思ったことを具現化したり、魔法を使ったり……子どものほうが想像力が豊かだから、システムの開発には都合がいいみたいだった。……私は、物心ついたときから、バトルシステムの研究に関わっていた。……そして、事故が起こった日、わたしはたまたま風邪をひいて寝込んでいてパーティに参加せず、死なずに済んだ。その後、同じく研究者の叔母の家で小学を上がる頃までは過ごしたけど、そのあとは両親のマンションに戻って、一人で暮らしていた。……正確に言うと、引きこもっていた」
サイタマスーパーバトルシステム開発の裏に、そんな話があるとは思わなかった。
まさか、浦和の両親と浦和自身が、そこまで大きく研究に関わっていたとは。
だから、浦和が大宮と初めて戦ったあとに、「私がサイタマで一番、仮想武装を使いこなせる」と言っていたわけだ。幼少期の浦和から集めたデータが開発のベースになっていたのだから。
「……だから、岩槻さんやみんながサイタマバーチャルバトルを好きだと思ってくれていることは、嬉しい……サイタマバーチャルバトルには、私たち家族の想いが籠っているから」
そう言って、浦和は俯いた。
身体を震わせたかと思うと、静かに涙を流し始めた。
まさか、浦和にここまでの過去があったとは……。
雛子ちゃんを説得するはずが、自分たちの内面を曝け出すような形になっていた。
俺たちは、どうしようもなく、不器用だった。
そして、しばらく無言の時が続き――。
「……ごめん、なさいっ……ですっ……ひ、雛子なんかのために……」
室内から幼さを感じさせる女の子の声がした。続いてドアに近づくような足音がして、ゆっくりとドアが開かれた。
そこには、小柄なお姫様がいた。日本人形のような髪型に、ネコ柄のパジャマ。愛らしい大きな瞳には涙がいっぱい溜まっている。見た目は、完全に小学生低学年だ。
「……ご迷惑、おかけして……こんなところまで来てもらって……本当に、申し訳、ないですっ……雛子が、臆病で、泣き虫で、弱虫だからっ……ひく、えぐっ……」
雛子ちゃんの瞳から、次々と涙がこぼれ落ちる。
しかし、泣いているのは雛子ちゃんだけじゃなかった。
浦和だけじゃなくて、大宮も、久子さんも……。
「ねぇ……これからは一緒だからね! 雛子ちゃんは、ひとりじゃないんだからっ! っ……みんな、仲間なんだからっ……!」
大宮は雛子ちゃんの小さな体を抱きしめた。その言葉は、雛子ちゃんだけじゃなくて、この場にいる全員の心にも響いたと思う。
……まったく、なんでこいつはこんなにストレートなんだろう。そんなに真っ直ぐに言葉を出されると、俺まで泣きそうになってくる。
やっぱり、大宮はすごい奴かもしれない。
こいつの暴走気味の突破によって、こちらまで引きずられて、心の内を曝け出すことになってしまった。浦和だって、おそらくは俺たちに過去のことを話す気はなかっただろう。そして、雛子ちゃんだって、大宮と話す前は、部屋から出るつもりはなかったと思う。
大宮は、本当に不思議な奴だ。
☆ ☆ ☆
再び、客間に俺たちは戻ってきた。
久子さんの隣には、雛子ちゃんも一緒だ。
「みなさん……この度は、ご迷惑おかけしました。そして、ありがとうございます」
久子さんが深々と頭を下げる。
「いや、俺たちは特になにをしたわけでないですよ。ただ、思ったことを口にしただけですから」
「うんっ、あたしも言いたいこと言っただけだし……雛子ちゃんと一緒に闘いたいって、それだけだもんっ!」
「……私だって、なにもしていない」
それでも、結果として雛子ちゃんがこうして客間に出てきてくれて本当によかったと思う。あとは保健室登校でもいいから、まずは学校に来れるようになれば――。
……って、保健室には流香先生がいるんだよな。あの自由すぎる養護教諭と一緒で、雛子ちゃんは大丈夫だろうか。ちょっと不安でもある。
「ま、雛子ちゃんの席はあたしたちの隣だし、心配しないで♪ クラスメイトも別に変な奴いないし、保健室の先生も……ちょっと癖あるけど、悪い人じゃないし♪」
大宮は気軽な感じで告げる。
「そうだな、まずは気楽に学校へ行けばいいと思うぞ。進学校ってわけじゃないから、そこまで勉強だって難しくないはずだし、なにより授業にサイタマスーパーバトルがあるんだから。最初は出られるものだけ出て精神的にきつかったら、いつでも保健室に行けばいいんじゃないか?」
いきなり完璧を求めずに、少しずつできることを積み重ねていければと思う。部屋で毎日閉じこもっているよりは、きっといい。……俺なんかが、偉そうに言える立場ではないけど。
ほんと、刀香先生が本来、やるべきことだよな……。一介の生徒、しかも新入生の俺たちがやることではない。でも、同じ年齢の俺たちの言葉だからこそ、あるいは雛子ちゃんに届いたのかもしれない。結果として、刀香先生の直感は当たったのだろう。
「大丈夫。ひとりじゃないから。あたしもいるし、勉強できそうな浦和っちもいるし、こいつもなんだかんだで、フォローがうまいからっ」
今回の件を通して、大宮を中心とするチームワークみたいなものが磨かれた気がする。あるいは、そこも刀香先生の狙いだったのだろうか。
「……ほ、本当に、ありがとうございます……ひ、雛子なんかのために……」
小さなお姫様は、また泣きそうになっている。久子さんが言うように、確かに泣き虫なのかもしれない。でも、泣いたっていいじゃないか。それを笑うような者はいない。泣いたって、前に進んでいければいい。
……というか、俺もしっかりしないといけないとと思う。こうして、前に進もうとがんばっている子がいるのだから。才能がないだなんて、些細なことだ。雛子ちゃんや浦和の過去に比べたら。
「それじゃ、明日学校で待ってるねっ。教室は1-3で、窓際から二列目の後ろから二番目が雛子ちゃんの席だから♪ その隣が浦和っちで、後ろが与野、で、斜め左後ろがあたしだから♪ 保健室には、桜木流香っていう先生がいて、ちょっと変な性格かもしれないけど、いい人だから大丈夫♪ 教室が辛そうだったら、まずは保健室でね」
「は……はぃ……」
ずっと学校に行ってなかった雛子ちゃんは、すでに弱気な顔になっていた。そんな雛子ちゃんに大宮はニッコリと笑った。
「大丈夫っ! あたしがついてるから♪」
根拠なんてないはずなのに、それで本当になんとかなる気がしてくる。大宮の楽天的な性格は、暗い心を吹き飛ばしてくれるようだった。天性のリーダー気質なのかもしれない。
☆ ☆ ☆
雛子ちゃんの家を辞して、再び俺たちはイワツキ駅から電車に乗った。席が空いていなかったので、帰りはドアのところで立ち話をする形になる。
「うーん、これで大丈夫かな?」
大宮がさっきは見せなかった不安そうな表情を浮かべる。
「たぶん、大丈夫だろう。やることはやったし、あとは少しずつ慣れていけばいいんじゃないか?」
あとは、雛子ちゃんが自分自身で一歩を踏み出す番だ。そこをうまくフォローして、歩き続けるようにできればいい。手助けはできても、最初の一歩だけは自分でなんとかするしかないと思う。
「大宮の暴走も、ただの暴走じゃなかったな。あそこで引き下がってたら、雛子ちゃんは引きこもったままだったと思う」
「暴走というか、あたしはいつも夢中なだけだから……。でも、本当、明日から雛子ちゃん、学校に来てくれるといいなぁ……」
それは、本当に。見た感じ、純粋で素直な感じのいい子だったしな。
無駄に気負わずに、学校に通えるようになってほしい。
「……きっと大丈夫」
浦和の言葉は短い。でも、そこには確信の色があった。同じく引きこもっていた経験のある浦和だからこそ、わかることがあるのかもしれない。
それにしても、疲れた。
バス移動もあったものの、今日一日でけっこうな距離を歩いた。
イワツキの街を初めて歩いたが、落ち着いた、いいところだ。城址公園も広々としていながら、木々も多くて、ゆったりした時間が流れている。
帰りのバスで大宮が話していたところでは、イワツキ城址公園は夜桜の名所らしい。
大宮はオオミヤに限らず、サイタマのいろいろな場所の観光情報に精通している。
「来年は、雛子ちゃんも含めて、みんなで夜桜見られればいいよね。屋台もいっぱい出るみたいだしね。大宮公園の桜もいいんだけど」
そんなふうに話しているうちに、電車はオオミヤ駅に着いた。
連絡通路を通って、改札前に出る。
ここは、「豆の木」と呼ばれるオブジュのある待ち合わせ場所になっている。ここからは、それぞれ別々の帰路。大宮は自転車で帰宅、浦和はケイヒントウホク線、俺はサイキョウ線。
「ともかく今日はみんなお疲れ様! また明日ね!」
「ああ、暴走して事故らないようにな」
「……また明日」
それぞれ挨拶を返す。会って一週間なのに、もうずっと前からこうしてみんなと一緒に行動をしているような気分になるから不思議だ。
「もうっ、余計なお世話! オオミヤはあたしの庭なんだから!」
ちなみに、大宮はダイエイ橋と呼ばれる巨大な鉄道跨線橋のところにある駐輪場に自転車を止めている。ジェイアールとトーブ線と貨物の線路を全て跨いでいるわけだから、かなり長い。
ダイエイ橋の北側には、電車の整備工場もある。これも大宮から聞いた話だ。その駐輪場からは、十分ぐらいで自宅に着くらしい。ちなみに、自宅から学園までは二十分とのこと。
「んじゃ、またねっ!」
大宮は手を振って、駅のコンコースの人波に消えていった。
俺と浦和は定期を利用して改札をくぐり、それぞれの路線のホームへ向かう。
「それじゃ、浦和。また明日」
「……うん。また明日」
最初に会った頃からは考えられないほど、浦和とも普通に会話をかわせるようになった。それはやはり、嬉しいことだと思う。距離や壁のある人間関係というのは、やはり気詰まりだから。
明日からの日々が楽しくなる予感がしながら、俺は浦和と別れてサイキョウ線ホームのある地下へ向けて歩き出した。ちなみに、サイキョウ線ホームが改札からは最も遠く、階段もかなり長い。これは、疲れた足には、堪える……。
(やっぱり自転車通学にしようかな……)
そんなことを考えながら、俺はひたすら長い階段を下りていった。
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