第18話
森を出た時にはほとんど暗くなっていたが、南門のあたりにはいくつもの明かりが見えた。松明を掲げた男女が何人もうろうろしている。どうやら、ヴァレリーを雇った隊商の人間たちのようだった。
南門に近づいて行くヴァレリーを追い越し、カエンは、白い衣を纏った砂漠の民に声をかけた。
「誰がこの隊の長だ?」
公用語のカーダン語ではなく砂漠の言葉で話しかけられ、驚いたらしい。砂漠の民特有の旅装、目だけを出して布で顔を覆った女は暫く黙ってカエンを見つめ、数度瞬きしてから辺りを見回した。
「彼です」
従者らしき少年に松明を掲げさせ、興奮した馬を宥めようと苦心しているでっぷりと太った男の傍でカスケルから降り、男の馬に手を掛けた。首筋を撫でてやりながら話しかけると、馬は途端に落ち着いてカエンに鼻を擦り寄せる。湿った温かい息が顔にかかり、カエンは一瞬すべてを忘れ、声を上げて笑った。
「おお……ありがとうございます」
「大したことではない。いい馬です」
カーダン語に対してスリ語──エシャレール人の大半がこの言語を使う──で返すと、男は先程の女と同じように目を瞠った。
「なんと、エシャレールの方か」
「いえ、カルグーンです」
「おお、それは! 道理で馬の扱いに長けていらっしゃる」
カルグーンとエシャレールは国土こそ離れているが、その縁は深い。
かつてカルグーンが遊牧の民であった頃、彼らはエシャレールの隊商を何度となく襲って財を得た。華やかで美しいものを好み、戦に興味のない穏やかなエシャレール人には屈強な軍隊を持ちたいという意欲がなかった。そのため彼らはカルグーンだけでなく、近隣の民族のいい標的とされていた。
これを憂慮したエシャレールの王が略奪を繰り返すカルグーンに働きかけ、隊商の護衛を依頼したのである。何故カルグーンだったのかといえば、遊牧騎馬民族であるカルグーン人には他国へ侵攻して国土を奪おうという意識がなく、属国とされる恐れがなかったからだと言われている。
その後エシャレールが大国化して軍隊を持ったためカルグーンの「護衛」はその役目を終えたが、エシャレールには軍事顧問として派遣されたカルグーン人の子孫が今も多く残っている。カエンが国にいた頃もカルグーンにはエシャレールの商人たちが頻繁に訪れていた。
カルグーンでは高等教育を受ける立場にいたため、軍事兵法だけでなく、流通や文化についても学んだ。スリ語もその一環で教育を受けるし、スリ語を話す友人や知人も周囲には多かった。
「エシャレールは遠い。お急ぎなのは分かりますが、今から出発するのは諦めたほうがいい。盗賊はいくらでもいるし、いずれにしてもこの規模の隊列を組んで夜間に移動するのは至難の業ですよ」
「ええ、わかっています──本当は陽の高いうちに出発するはずだったのですが、荷が遅れましてね……仕方がない、今日は引き返します。ところで、あなたは?」
「友人が護衛を」
カエンが振り向き、馬上のヴァレリーを顎で指すと、男はああ、と呑気な声を上げた。血塗れのヴァレリーはかなり酷い有様だったが、暗くてよく見えなかったようだ。
「出発間際に雇ったのです。護衛は足りていると思ったので一度は断ったが、報酬は半値でいいと。しかし、他に二人いた護衛は死んでしまった。彼がいなければ今頃皆殺しになっていたでしょう」
「それはよかった。しかし、実はあの者を連れ戻しにここへ来た。申し訳ないが、返してもらえないだろうか」
男は不思議そうに濃い口髭をうごめかせた。目を見開いた顔はまるで小動物のようだ。
「おや、それは何故ですかな」
そう訊かれても、勿論本当のことを言えるわけはない。
「実は脱走兵なのです。連れ戻さないと厳罰が下ります。その代わりと言っては何ですが、彼への報酬と同じ金額で三人寄越しましょう。三人の報酬は私が払う。どうです?」
「勿論、私たちは構いませんが──」
「決まりだ。では、あなたの宿を教えてください。明日の早朝、三人を向かわせる」
カエンは男の宿泊先を聞き出し、馬首を返した。何も口から出まかせを言ったわけではない。カエンの隊にはエシャレールや近隣の小国の出身者が数名いて、そのうちの数人が砂漠に帰る機会を待っていたことは知っていた。
カエンにはもしもの時のため、傭兵稼業とは関係のない蓄え──出国したときに身に着けていたものを売り払って得た──があった。莫大な金額ではないが、決して少ないものではない。大事なときに使おうと保管していたものだが、今使わずしていつ使おうか。
馬上からぼんやりとカエンを見ていたヴァレリーのところへ戻り、その手から手綱を奪う。我に返ったヴァレリーが「おい」と低く凄んだが、カエンは耳を貸さなかった。
戦闘で疲弊したのか、ヴァレリーは案外すぐに黙り込み、大人しく歩を進めるアレクサンドラの背の上で揺られていた。
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