第7話

 アナトールの言っていることは、決して的外れではない気がした。出会った頃からヴァレリーに感じていた危うさは、錯覚ではなかったのだろう。だからこそカエンはヴァレリーの背中を守ってきたのだし、アナトールもそれを知っていてカエンにこういう話をしたのだ。

 カエンは小さく息をつくと、立ち止まり、回廊を戻り始めた。傭兵仲間と談笑するヴァレリーに背後から歩み寄ると、他の男たちが口々にカエンに声をかけた。

「よう、カエン」

「ああ。ヴァレリー、ちょっといいか」

「やだっつったらどうすんの」

「無駄口叩いてないで行けよ、ヴァレリー。カエンを怒らせるな。馬から蹴落とされるぞ」

「ランベルト、次の行軍のときは、ヴァレリーの次にお前の尻を蹴飛ばしてやるからな」

 カエンがわざとらしく指を突きつけて言うと、男が大袈裟に震えたので周囲がどっと笑った。楽しげな輪から引き離したヴァレリーと向かい合い、カエンはその白い顔をじっくり眺めた。昨晩の名残などどこにもない。平素と何ら変わらぬ顔をして、ヴァレリーは片方の眉を引き上げた。

「何だよ」

「お前、今日はどこに泊まる?」

 次の戦地に赴くまでの間、どこに腰を落ち着けるかは人それぞれだ。

 軍が用意した宿舎で寝起きする者や、女や友人、親戚のところを転々とする者、宿屋に泊る者も多数を占める。アナトールのように帰る家を持つ者もいるが、多くはない。

 ヴァレリーは大抵女のところに転がり込んで、次の戦までを過ごす。ただ、今回は女に会いに行ったらいなかったとか言っていたのをおぼろげに覚えていたので、あえて訊ねてみた。案の定、決めていないという答えの後、昨晩も聞いたと思しき、どこの女がどうしたという話が続いた。

「何で。あんたに関係あんの」

 平坦な声には何の感情も、気後れも窺えない。そのことに安堵しているのか気落ちしているのか分からないまま、カエンは灰色の瞳を覗き込んだ。

「関係はない。ただ、もし時間があれば」

 一瞬、灰色の奥で揺らいだ何か。話をしよう、と続けかけ、何故かカエンは躊躇った。

「──アナトールのところへ顔を出そうかと。お前も来ないか」

「……はあ?」

「あいつのかみさんの料理はうまい」

「一家団欒に闖入しろって? 勘弁しろよ」

 ヴァレリーは眉を寄せ、顔の前で手を振った。

「いくら飯が美味くたって、行きたくないね。あいつのところ、子供何人だったっけ? どうせ刺青に触らせてとか言われて両腕にぶら下がられて、帰るまでおもちゃにされる。決まってる」

 本当に嫌そうな顔をするから思わず笑った。何だかんだ言いながらヴァレリーは子供に甘いし、扱いが上手い。兄弟が多かったからだという話だが、あれを見る限り嘘ではないだろう。だが、確かに久し振りの家族の時間を邪魔するのも気が引ける。

「……そうだな。じゃあ、飲まないか」

「いいよ」

 呆気なく頷く前の一瞬、ヴァレリーもまた僅かに躊躇した。何事もなかったようにその一瞬をやり過ごし、絢爛豪華な大国の城の中でお互い平静な振りをする。石壁に当たる陽光が室内の何かに反射しきらきらと光を振り撒いた。

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