第6話
報奨金は多くはなかった。傭兵だと言うとしこたま貯めこんでいると思われることがままあるが、実際には稼げる職業とは言い難い。
戦の装備は自前だし、カーダンのように裕福な国でも報酬がいいとは限らない。戦がなければその間は糊口を凌ぐために畑を耕す傭兵もいるくらいで、実際カエンも必要以上の金を手にはしていない。
やれ剣の刃こぼれだ、鎖帷子の修繕だと何かと金がかかるのが実情で、それに馬と自分が食っていけて気晴らしに酒や女に遣うことができるくらい。持っている金と言えば、その程度のものだった。
そういう意味では、ラキタイとカーダンはどちらも傭兵にとっては安定した雇い主だし、決して多くない額の報奨金も毎回支給されれば有り難いものだ。待遇はよくないが、そもそも傭兵を大事にしてくれる国などない。生国のカルグーンには傭兵がいなかったので、ここ数年で学んだことだ。
掌に載る小さな袋を懐中に仕舞いこみながら、カエンは前方に立って仲間と与太話に興じるヴァレリーを眺めた。
明け方、娼館の寝台で目を覚ましたカエンの連れは、しつこく居座る頭痛だけだった。ヴァレリーの姿はどこにもなかったが、寝具が酷く乱れていたのは寝相が悪かったせいではあるまい。それに、身体のあちらこちらに爪が食い込んだ痕や、噛み痕があった。爪はまだしも、カエンに傷を残すほど酷く噛みついた女と言えば、調教中の牝馬以外には思いつかない。
「昨日は誰を探していたんだ?」
身支度を整えて階下に向かったカエンの白々しい問いに、ロザリーヌは輝くような微笑みを返し、たっぷり肉のついた首をこちらもわざとらしく傾げて見せた。
「あら、あなたの美しい相棒よ、カエン」
「へえ」
「おかしいわね、あなたは彼に会わなかったのかしら?」
「俺は頭が痛くて寝てたんだ、知ってるだろう」
「まあ、じゃあ私たちがお邪魔した時は一体誰といたのかしらねえ?」
「ああ、さあ? 彼女の名前は知らんな」
「私たちは秘密を守るわ」
すっとぼけて肩を竦めるカエンにいたずらっぽい笑みを向けた後、不意に真顔になったロザリーヌは、真っ赤な唇をすぼめて瞬きした。
「ここは夢と快楽を売る深紅の薔薇よ。ここで何があろうと、それはここだけの秘密なの。そうでなければ、誰も安心して夢を買えないわ」
「……俺は、夢は見ていないぞ」
「では、真実を見たのかもしれないわね。違うかしら?」
「──三倍でいいか」
「あら、なんて気前がいいのかしら」
にっと笑ったロザリーヌにもう一度肩を竦めて見せて上乗せ分の金を払い、カエンは娼館を後にした。傭兵にあてがわれた宿舎に寄ってみたが、ヴァレリーの姿はなかった。誰も昨晩から姿を見ていないと言っていたが、報奨金を受取りに登城してみると、ヴァレリーはそこにいた。
「おはよう。二日酔い、治った?」
ヴァレリーは普段と少しも変わらぬ何食わぬ顔で、当たり前のようにカエンに近寄って声をかけてきた。
「ああ、昨日よりかマシだ」
「そりゃよかった」
屈託なく見える笑いの底に何があるのかは分からない。だが、明るい陽光に隅々まで照らされた城内で突き詰めることでもないかと、カエンも何も言わなかった。
石造りの城は、さすが大国の王城だけあって、堅固で広大だ。故郷の建築物はほぼ木造なので、カエンにとっては若干息苦しくもある。風が通るのが当たり前の生活をしていたから、初めて足を踏み入れた時はじめつき澱んだ空気に辟易したものだ。
豪奢なタペストリー、高価そうなお仕着せの使用人たち、顎を上げすまして歩く貴族たち。その中に混じった傭兵の群れは、種類の違う動物の群れに迷い込んだそれのように酷く異質だった。ヴァレリーは貴族たちの誰よりも美形だが、それでも間違いなく浮いている。
まるで今の己とヴァレリーの間に横たわる昨夜の記憶のようだと感じ、カエンは小さく溜息を吐いた。
「何景気の悪い面してんだ、大将」
後ろから思い切り背中を叩かれ、力が抜けていたカエンは前のめりになった。
「おいおい、しっかりしろよ。一日戦場から離れたらもう気が抜けたのか」
振り返ると、同じ部隊のアナトールが丸顔に笑みを浮かべて立っていた。戦斧を操るアナトールの掌は分厚くて大きい。あの掌で叩かれたら、小柄な男なら吹っ飛ぶだろう。
「いや、ちょっと考え事をしてた」
「考え事?」
アナトールとの付き合いは、ラウルに次いで長い。ラウルと同じ傭兵部隊に所属していたアナトールとは、同じ歳ということもあってすぐに親しくなった。
元々はラキタイより更に西にある、カエンは国名すら知らない小国の出身で、ラキタイの侵略から逃れた難民だった。一旦は南下して別の国を目指したが、色々あって結局カーダンに落ち着いたそうだ。
丸い顔に太い首、見るからに屈強そうで実際そうだが、根は優しく面倒見のいい男だ。傭兵は大抵独り者だが、アナトールには妻と二人の子供がいる。カーダンに住まう家族の元に帰るのが、アナトールの何よりの楽しみだった。
そのアナトールはカエンの視線を追って、ああ、と呟き頷いた。
「ヴァレリーか」
「……敵兵より面倒だ」
片笑みを浮かべ、アナトールはカエンの肩を抱いて歩き出した。
「確かに、面倒くさい男だよな」
「まったく、お調子者のようでいてそうでもないし」
「あの朗らかさは作っているんだろうな」
カエンは真横にあるアナトールの顔に視線を向けた。身長はほとんど同じだから、アナトールの憂い顔が目に飛び込んでくる。
「あいつが心配なのは、俺も同じだよ、カエン」
カエンは一度振り返り、仲間の冗談に笑い転げているヴァレリーを見た。ヴァレリーを含めた三人の傭兵たちは、何がそんなにおかしいのか、大口を開けて馬鹿笑いしている。
一見屈託がなさそうな笑顔の下に様々なものを抱えているのはヴァレリーに限らず誰もが同じだ。ヴァレリーの抱える何かは、一体どんな形をしているのだろう、とカエンはぼんやりと考えた。
「──そうか」
「ナットも心配していた」
「ナットが?」
アナトールは肩を竦めた。
「ヴァレリーを見ていろといつも言われる。お前に頼むとヴァレリーが気付くから、俺が見ているほうがいいそうだ」
ナットがそれほどヴァレリーを心配していたとは知らなかった。戸惑いが顔に出たのだろう。アナトールはちょっと笑った。
「ナットはほら、薬師だからだろう。奪うのではなく与えるのが商売だ。ヴァレリーは人が変わったように冷酷に殺すからな。心配なんだろうさ。孫のような年だし」
「まあ、それはそうだな」
「カエン、確かにここ最近のヴァレリーはおかしい。気を付けててやらないと、いつか死ぬ」
アナトールの言葉に、カエンは思わず立ち止まった。二人が歩く回廊は、天窓から降り注ぐ陽光で幻のように美しかった。溢れる光はまるでこの世のどこにも争いなどないかのように、辺りを明るく照らしている。光の溢れる回廊を背景に、アナトールの顔は慈愛に満ちて見えた。
「傭兵は──そうでなくても、いつか死ぬ。あいつだけが死に近いわけじゃない」
カエンが言うと、アナトールは頷いた。
「分かってるさ。俺もお前も同じように明日をも知れぬ身だ。ヴァレリーより先に死んでもおかしくない」
「それなら、どういうことだ」
「あの殺し方」
じゃらり、と金属が鳴る音がする。反射的にそちらに目を向けると、傭兵の一人が報奨金の入った袋を放り上げて受け止めたところだった。一瞬持って行かれた注意をアナトールに向け直す。アナトールはカエンの目を見つめていた。
「詮索することじゃないと思って訊ねたことはなかったが──お前は軍人だろう?」
「……」
「長い付き合いだ、見ていれば分かるよ。俺たちとは違って、訓練されているのが一目瞭然だ。しかも、ただの下っ端じゃない。将官になるはずだった、そうだろ?」
「……ああ」
「お前は何人殺そうと、殺し方がどうであれ、冷静だ。斃すべきものは目の前の人間ではないと知っている。相手の頭を叩き割っていても、見ているのは戦況であって眼前にある血肉じゃない。ヴァレリーは多分違うだろう」
「単に、軍人と傭兵の違いではないのか」
「違うんじゃないか。いや、そうなのかも知れんが、俺には分からん。俺も一介の傭兵で、しかも元々は商人だ。だから杞憂かも知れないが、あいつはいつか潰れる気がするんだ。最近は益々追い詰められているように見えるよ。何を抱えてるのか知らないが、このままではきっと戦闘で生き残っても自滅する。ナットも同じようなことを思ってるのかも知れん。まあ」
アナトールは肩を竦めて小さく笑った。
「俺の予想なんか当てにならんな。どんな賭けでも勝ったことがない」
カエンの肩を一度強く掴み、アナトールは一歩下がった。
「お前、今日はどうする? 女のところか」
「いや、刃こぼれを何とかしてもらわんと。カスケルの蹄鉄も欠けたし、鎖帷子にも修理がいるんだ。鍛冶屋に行って、色々頼んだら馬具屋も──忙しいよ」
「色気がないねえ。よかったら晩飯を食いに来い。ヴァレリーも連れてな」
今度こそ本当に笑い、アナトールは手を上げ歩み去った。回廊を遠ざかっていく広い背中を見送って踵を返し、カエンは鍛冶屋の顔を思い浮かべつつ、頭の半分でヴァレリーのことを考えていた。
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