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「あなたは誰ですか?ここの住人ですか?勝手に入ってすみません、入るつもりはなかったんですけど。そもそも、ここはどこでしょうか?」
「質問攻めだね」
クスリと笑った男は、髪も服も黒。一方でTシャツから出た腕は白く細い。年齢が読めない。
「順番に答えよう。ここは寺の本堂の下。地下室みたいなものかな。私の住処だが、彼の家ではない。寺だからね」
「どういう――」
「次の質問は、私が全て答え終えてからだ」
答えを与えられたはずなのに、全く腑に落ちない。しかし質問は、穏やかな笑みと共にピシャリと遮られた。
「それから私は――一言で言うのは難しいが……君たちの感覚でいうところの『神様』というものかな」
「ひとつも理解できません」
「そうだろうね。まあ百聞は一見に如かず、だ。こっちへ来てごらん」
彼は柔和な表情を崩さず、右手で祠を示す。「怖くはないよ」と添えて、自分は部屋の隅へ下がった。
「行ったら、私は無事に帰れますか?」
「帰れるとも。私は嘘をつかない。君を傷つけるようなことは絶対にしないよ」
「……わかりました」
ゆっくりと、祠へ近づく。彼は腕を組んだまま動かない。お戒壇巡りの時とは違う不安感と緊張。擦りむいた手のひらの痛みが遠くなる。
祠まであと5歩。鳥居をくぐる。何も起こらない。あと2歩、1歩。
「……何もない、ように、見えるんですけど」
「うん。では、鳥居の前まで戻っておいで」
それはどの神社仏閣にもあるような、何の変哲もない祠で。緊張から解き放たれてようやく、鼓動が早まっていたことに気付く。彼の言う通りに3歩下がれば、今度は男も隣までやって来た。
「失礼」
「――え、」
男が私の手を取り、鳥居をくぐる。手を引かれて私も一歩。世界がまた、くるりと回った。
風が吹いた。髪も服も乱す、強い風。足元がフワフワする。目の前は、一面の青で。
「空!?」
「ああ。あの鳥居から、私はどこへでも行ける。何故ならそれが、私の仕事だからだ。この役割を担う者だけが、鳥居から別の場所へ行く資格を得られる」
私といれば落ちることはない、と彼は風を受けて笑った。そうは言われても体験したことのない浮遊感はあまりに怖くて、私は男の手を思い切り握る。信じたくはない。信じられない。だけど。
「どうして――どうして、そんなことを、私に教えるんですか!」
私たちは空を滑るように飛び続けている。ビュウビュウと吹く風の音で声はすぐにかき消されてしまうから、声を張り上げた。
「私の仕事を手伝ってもらうからだよ」
驚いた。彼の声は、風音を切り裂いて明朗に通る。そしてその声が、私に彼の助手になることを告げた。
「今会ったばかりなのに!?それに私、まだ高校生です!」
「君があの部屋に来たことが、何よりの資格だよ」
「分かりません!仕事も、資格も――何も!」
おばあちゃんは大丈夫だろうか。早く戻らないと心配させてしまう。あの真っ暗闇が恋しくなって帰してくださいと乞えば、彼は怪訝そうな顔をして、空いている手で空を払う。一際大きな風に煽られた次の瞬間には、駆け込むようにさっきの白い部屋に戻っていた。
「どうにも君は答えを求めすぎる傾向があるな。あの体験だけで、十分に魅力が伝わると思ったんだが」
考え込むように腕を組んで、男は眉尻を下げる。
「しかし確かに、引き継ぎも大切なことだね。特に今は」
「今……?」
「そう。私の――私たちの仕事は、生命のバランスを保つこと。命の創造はどんな生き物も自主的に行うが、増やしすぎる種も多い。それを減らしたり、古い命を回収したりするのが私たちの仕事だ」
次々に押し込まれる情報。早く帰らなければという焦り。それらで混乱する頭を必死に整理する。そんなことはお構いなしに、彼は続けた。
「今増えすぎているのは――君たち。人類だ」
「つまり、人を殺せってことですか?」
「君が想像している殺しではないよ。そんなことをしていてはキリがないからね」
目の前にいるのは殺人鬼だったらしい。混乱していた頭の中で、一気に「逃げろ」と警報が鳴り響く。
「生物を減らすのに最も効率的な方法は、刺殺でも銃殺でもない。戦争も災害も局地的にしか減らせない。そこで私は、今の方法を選んだ」
人類が今、脅かされている。真っ先に思い当たるものがあった。
「……ウイルス?」
「その通り。疫病だ。種さえ撒けば生物が拡散してくれる。古い命から順に摘み取れる。実に効率的だろう?」
淡々とした説明に鳥肌が立った。世間を騒がせるウイルスには、黒幕がいたのだ。私は今、その手助けを迫られている。
「どんな方法であれ、人の命を奪うのは犯罪です。私はしません。絶対に」
「君がどれほど拒絶しようと、引き継ぎはすでに完了したよ。手のひらに、証拠が残っている」
彼が凶器を持っている様子はない。距離も十分にあるはずだ。逃げ道を探しながらも、そっと手のひらを見る。
「傷、が」
ここへ来た時に転んで擦りむいた傷が、なくなっていた。血が滲むくらいの傷だったのに。
「私の血で塞いだ」
彼が片手を挙げる。それはさっき、私が握っていた手で。手のひらにはザックリと、何かで切った痕があった。
「この血を介して、私という存在が少しずつ君という器に移されていく。彼の身体は、もう長くは保たないからね」
実感はないのに、彼の言うことが嘘ではないと何故だか確信してしまう。指先が冷えるのが分かった。
「私のような存在は、人間の信仰がないと消えてしまう。今はもう実体なんてとても保てない。だから彼や、君のような『器』が要る」
「手伝うって、つまり――」
「そう、君の中に私を住まわせてほしい。君が手を下すことはない。眠っていれば全てが済むよ。君は絶対にウイルスの餌食にはならない」
嫌だ、と言いたいのに言葉が出ない。急激に眠気が襲ってきたからだ。まぶたを開けていられない。「早速だな」と遠くで男の声がして、私の意識は途切れた。
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