第652話 疲れていても、これだけは
12月1日火曜日、22時32分。
我が家の玄関で靴を履き、左脇にヘルメットを抱えた可愛い女性から、何とも言えない視線がじっと俺に向けられる。その視線の言いたいことは、何となく分かった……気がした。でも俺は何も言葉は返さない。
そんな音無き攻防の末、その視線の持ち主がほんのわずかに口角を上げた、ような気がした直後、彼女は仰々しく頭を下げた。
「じゃあ、色々ご迷惑おかけしました。アタシはこれで失礼します」
頭を下げた彼女の言葉は通常モードの慇懃無礼、などでは無く、普段の仕事姿を彷彿とさせるビジネスモードのような、そんな丁寧さがあったのだが——
「そんな他人行儀じゃなくていいし、そもそも何も迷惑じゃないからね? また一緒にお話して、一緒にしようね」
「え? いや、それは……あー……気が向いたらなっ」
穏やかな口調のだいがレッピーに次回以降のお誘いを投げかけると、さしものレッピーも軽く狼狽えて、明らかな逃げの一手を打ってきた。
「うん、早めに向くの待ってる——」
「——気長になっ!」
しかしそんな手がどうしてだいに通用しようか? いや、しない。
それを悟ったのか、レッピーは早々にだいの微笑みの発言を遮り。視線の先を俺に切り替えて——
「じゃあ、ゼロやんも色々すまん。これは今度返しに来るから、とりあえずそのなんだ、頑張れよ」
さっき向けられた視線とは異なる、同情気味のような、助けてくれと言いたそうな、そんな視線を向けてきたから——
「なるようになるさ。じゃあとりあえず、またLAで」
「……そうな。うい。またLAで」
「気をつけてね」
さらっとその視線を受け取って、俺のダウンコートを羽織ったレッピーを、今朝とは逆に見送った。
しかしこの別れ際の会話はまぁ、最後までだいはだいだった、って感じで、レッピーは完全に気圧されてた。LAの中でも、リアルでも基本的に飄々としてるレッピーのそんな姿が見れるとは、ほんともう、色んな意味で流石だいだよ。
そんなこんなで、俺は久々にだいと我が家で二人きりになったのが——
「どうする? ゼロやんお疲れだろうし、今日は早く寝る?」
何気ないいつもの感じで、だいの気遣いの発言が現れる。でもその気遣いの先には何となく「明日の朝に向けて」って部分が見え隠れするような、そんな気配も感じてしまう。
いや、それはそれで可愛いなとも思うんだけど、ううん。
何だろう、何か最近足りないんだよな。
もちろん今回の件について改めて二人で話をするのもやらなきゃいけないこと、なんだけど、それたたぶん、今じゃない。
……あ、そうだ。
「今日の活動日はなしだったとはいえ、一昨日からインしてないじゃん? だから、ちょっと眠いのはあるけど、軽くインしようかな」
「おお、冒険者の鑑」
「まぁな」
「じゃあ私も準備するね」
「ん」
少しの逡巡の末、俺がまずは
正直レッピーが帰ったからこそだいの方から出てくる言葉もあるのかなと思ったけど、そんな様子は微塵もない。
そんなだいの様子から、改めてさっきまでの会話が本音だったんだ思わされ、分かっていたがその感覚のズレに内心でため息をつきはした。
まぁでも、俺たちリアルの出会いからまだ半年、付き合ってからならほぼ5ヶ月なんだしな。
ここはそこを前向きに捉えよう。
LAの中での付き合いがどんなに長くても、リアルでの付き合いはまだまだなんだから。
しかもだいは誰かと付き合ったのも俺が初めてなんだから。恋愛関係になったから芽生えてきた感覚とかもあるのだろう。
ゆっくりゆっくり、もっとちゃんと、俺たちは分かっていけばいいのだ。
チラッと振り返り、自身のPCを準備するだいに視線を送りながら、俺は心の中でそう思うのだった。
☆
22時43分。
〈Zero〉『ちょっとだけこんばんは』
〈Daikon〉『こんばんは』
明日も仕事だが、やはりこの時間は心の休息に必要だ。
慣れ親しんだBGMを奏でる我がホームの世界に降り立ちながら、俺はなんだか久しぶりな気持ちで
〈Jack〉『おーーーー、おそばんわーーーーw』
〈Yume〉『やほ〜』
〈Loki〉『こんばんはっす!』
〈Yukimura〉『ちょっとだけの方々こんばんは』
そして俺とだいの挨拶に返ってきたのは、4つのログ。
本当なら今日は活動日だったのだからもっとメンバーがいてもいいはずなのだが、ご存知本日は絶賛師走。そして師走というのは読んで字の如くな時期のため、今週と来週はメンバーが揃えば何かやろう程度の半活動日的な特別ルールが適用される時期なのである。
そのため元々あまり人は多くないと思っていたが、それでも23時前にこの人数とは、予想以上に少ないなってのが正直な感想だった。
〈Jack〉『重役出勤だねーーーーwいっちゃんとせんかんはもう落ちちゃったよーーーーw』
〈Loki〉『ゼロさんたち残業っすか?お疲れ様っす!』
そしてなんだか懐かしい気がする面々からありがたくも勘違いして頂いたお言葉を頂戴したが、いや、まさか修羅場かと思わせて3……してましたなんて口が裂けても言えやしない。
とりあえずここは流れに任せて——
〈Zero〉『師走はなぁ、色々あるからな!』
と、俺がカタカタ返事をすると——
「色々読み取れる上手い返しね」
と、くすくす笑う声とともに、俺の背中側から声がした。
でもこれが事実だし。
色々あった。その中身は非公開だが、俺は決して嘘は言ってないのだよ。
そんな気持ちで「まぁな」とだいに適当な返事をしていると——
〈Yume〉『ね〜ね〜二人に質問いい〜?』
〈Daikon〉『どうしたの?』
それは普段の様子と変わらないゆめからの問いかけ、に感じたが、俺はここで昨日の話を思い出す。
〈Yukimura〉『私もお尋ねしたいことがあります』
そしてその流れにゆきむらも加わってきたことで、俺の想像が確信に変わる。
これはつまり、風見さんが早くも動いたということだろう。
この行動力は流石ギャルって感じだが、では果たして彼女はどんな誘い方をしたのか、二人の質問からそれを確認しようと俺はモニターを注視していると——
〈Yume〉『〈Hideyoshi〉さんって知り合い?』
〈Yukimura〉『ゼロさんのこと好きな人って、たくさんいらっしゃるんですか?』
「は?」
片方の予想通りの聞き方を打ち消して、俺は久々にゆきむらの天然炸裂を喰らうのだった。
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