第636話 白と黒

 いや、え……は?

 朝まで、雨宿り……?

 それをしてったらって、だいが言うの……?

 ——え?


 レッピーのスマホに映った文字を見て、俺の思考が停止する。いや、思考だけじゃない。身体の動きも完全ストップ。

 だが変わらない視界に入ってくるそれには、何回見ても同じ文字が並んでいて——


「お前の彼女、大丈夫か?」


 俺より先に硬直から回復したのか、手に持っていたスマホの画面を下にしてベッドに置き、空いた手をマグカップで温めるように持ち直して一口飲んでから、真横から呆れた顔を向けてくる奴が一人。

 その呆れ顔に、俺は顔に手を当てながら——


「ノーコメント……」


 としか返せなかった。

 だってそうじゃん。俺だってこの意図が分からないんだから。

 だがそんな俺に——


「つっても流石に好意でこう言われてもなー……」

「え?」

「アレだよ。お前に呼ばれて来たんならまだしも、アタシの不注意で来ちまっただけだろ? それで朝までいるってのは、流石にちょっとアタシ的にないんだよなー……」


 何とも言えない顔つきで、義理堅いようでそうじゃない、何とも言えないことを言ってくる奴が居て——


「え、いや、俺に呼ばれたんならって……」

「あ?」

「あ、いやいやいや……」


 俺はその言葉の一部にしどろもどろしてしまったのだが、そんな俺に向かってレッピーは眉を顰めて睨んできて、俺は思わず立ち上がってレッピーにどうどうと両手を向けたわけなのだが。


「でもまぁ、そんなわけだからしゃーない。もう少しあったまったら気張って帰るわ。だからとりあえずお前の持ってる中で一番あったかいコート貸せ……」


 はぁ、と一度ため息ついてから、レッピーがだいに返事をしようと思ったのだろう、俺と話しながらベッドの上に置いていたスマホを手に取ったのだが……言いかけた言葉の語尾が消えていった後、レッピーは驚くように目を見開いてその画面に見入っていた。そしてその数秒後、何故か今度はスンッと真顔になる。

 その様子に俺は「へ?」ときっと間抜けな顔を浮かべたのだろうが——


「あー……」


 俺の方を向くこともなくスマホの画面を見つめたまま、今度はレッピーが何か考えるような表情を見せてきて——


「お前の彼女どうなってんだ?」


 そう、聞いてきた。

 それはさっきと同じような質問で、俺はその問いかけに困惑する。


「え?」

「何者なんだよマジで?」

「は? それどういう——」

「まぁお前に聞いてもわかんねーよな」

「え、いやだから——」

「でもま、いいや」

「な、何が?」

「ちょっと癪な気持ちもあるけど、気ぃ変わった。やっぱ雨止むまで待たせてもらうわ」

「え? ……え?」


 そんな困惑続きの俺に何度か問いかけ続けた後、突如何か悟ったような顔をして、何故かレッピーの考えが反転した。

 そんなレッピーに俺は完全に虚を突かれたように口をぽかんと開いてしまったのだが——


「そうと決まりゃあれだ。待たせてもらうついでにとりあえずまだ身体めっちゃ冷え冷えだからさ、風呂貸してくれ」

「は? え、はい!?」

「あ、温度はちょっと熱めでよろ」

「あ、はい。じゃなくて——」

「ほれほれ。アタシが風邪引いたら新チームでの練習出来なくなんぞ? だから動け動け」


 レッピーからは戸惑う俺をよそにズケズケと色んな指示が送られてきて、なんで急にと俺は完全な混乱デバフに陥った。

 だっておかしくない? さっきまでうちに来た理由が理由だから、だいに申し訳ないって帰ろうとしてたはずなんだぜ?

 なのに何故?

 そんな疑問が拭えない中、ヴヴッとポケットの中に振動を感じ、消えない混乱の中ハッとその意味を確認すれば——


里見菜月>北条倫『レッピーさんに風邪引かせちゃダメだからね。ちゃんと面倒見るんだよ。私の服とかも貸していいから』0:56

里見菜月>北条倫『じゃあ私は亜衣菜さんとお風呂代わってくるから、おやすみ』0:56


 !?!?!?!?何ですと!?


 そう、まさかのだいから個別メッセージで余計混乱に拍車をかける連絡が来たではありませんか。

 そうか、これからだいは風呂なのか。亜衣菜と一緒に入ったわけじゃないんだなぁ。……って違う違う!

 危うく現実逃避しかけたが、これは最早だいからの命令、ってことだよな?

 そしてさっきのレッピーの手のひら返しも、何か連絡を見てから起きたから……もしやだいから何か個別で連絡がいってる、のか?

 しかしこう言われては……逆に従わないわけにはいかなくなった。

 俺も流石に朝まで泊めるのは、と思ってて、レッピーも流石に……って思ってたのに、だいが泊めろって言ってくるなら仕方あるまい。なんだったら後日ちゃんと泊めたかどうかの確認とかまで来そうだし。

 いや、たしかにちょっと前に困った亜衣菜をだいの合意の下我が家に泊めたことはある。そして今回も雨という要因によって現在レッピーが困ってる。

 つまりこれも、同じ人助けってくくりなのかもな……。

 とは言え……俺の脳裏を過ぎる「借り」という言葉。

 そう、あの時の俺と亜衣菜の関係と、今回の俺とレッピーの状況は違うのだ。

 ……いや、でもこれはだいからすれば知らない話。俺が蒔いた種であって、だいはこのことを知らないか。

 そうならば——


「お前明日も朝から仕事だろ? もうこんな時間なんだし、さっさと風呂入って寝ようぜ」


 俺を急かすレッピーは、毛布にくるまって少し温まってきたからなのか何なのか、何故か軽くニヤニヤして楽しそうな顔になっていた。

 でも、そんなことは関係ない。

 そう、こうなっては後は俺の理性の強さを見せるまで。

 活路は全て、そこにかかっているわけである。

 大丈夫、俺ならいける。


「分かった分かった分かりましたよっ」


 今日も俺の強い理性を見せてやる。

 そんな覚悟を胸に抱き、俺は自分のスマホをベッドに投げ捨て、これは人助けだからと風呂の準備を始めるのだった。





★ ★ ★ ★ ★

 




「じゃ、おやすみー」

「お、おう」


 時刻は午前2時1分。

 あの後風呂の用意をし、先に入ったレッピーがなかなか出てこないと思ったら、まさかの浴槽の中で寝落ちされる事件が起きたり、その後もレッピーからのドライヤー要求事件があったりと、なんだかんだこいつが来てから寝るまでに1時間以上がかかってしまった。

 あ、ちなみに俺の名誉のために言っておくが、風呂の中で寝落ちしたレッピーに気づいたのは、出てこないからと中を覗いたからじゃないからな? シャワーの音がないのに話しかけても返事がないから、ひたすら声かけ続けて起こしたって話だからな?

 え? ドライヤー要求? それはあれだよ。俺が風呂から出たらドライヤー中のレッピーが座ったまま眠ってて、起こしたら俺にドライヤーするよう頼んできたって話だよ。

 いや、もちろんそんなん誰にだってやるわけじゃない。そもそも彼女だい真実以外にやってやる義理なんか当然ない。ただ今日ばかりは、睡眠時間の確保のためにと割り切ってやってやった方が早い、そう判断しただけである。

 とまぁそんな感じで、現在俺たちは就寝準備完了したわけなのだが——


「しかしこれ肌触りめっちゃいいなー。着心地良いから寝心地も良さそうだし、アタシもガラじゃないけど買ってみっかなー」


 なんてことを言ってくる辺りからもお察しかもしれないが、現在レッピーは裾にレースをあしらったロングワンピースみたいな水色のネグリジェに身を包み、普段後ろで束ねている髪も全部下ろしてパッと見お姫様モードでベッドの上に寝転んでいる。

 え? それ誰の服かって? そんなん俺のなわけないだろう。当然だいの私物である。

 だいがうちに置いてるパジャマは何着かあるが、俺がどれがいいかと提示した中で、レッピーがこの水色のものを選んだわけだ。

 ちなみにこれは俺が前にだいとデートした時に買ってあげたものでもあって、俺の好みが大部分に入ってる。そんな理由もあり、正直今の格好のレッピーは鬼可愛く見えてしょうがない。

 なんかもう、変な緊張で俺の眠気すげー吹き飛んでってるからね!


 とまぁ、そんな感じの現在なわけだが——


「なぁ似合ってるか? これ」

「え——」


 ベッドに寝転んだから声だけしか聞こえないはずだったのに、不意にベッドの下、カーペットの上に布団を敷いて横になってる俺の視界に、真上から俺の顔を覗き込んでくる可愛い顔が現れた。

 その顔はすっぴんでも十分に可愛く、むしろあどけなさ1.2倍増しみたいな童顔具合にバフをかけたみたいな幼さを有してて、そんな顔が「お泊まり会楽しい」的な様子の子どもみたいにちょっと楽しそうに笑いかけてくるのだから、俺は堪らず目を逸らすしか出来なかった。


「ノ、ノーコメントっ」


 そして何とかこう言うのが精一杯で、俺は自分の顔が熱を帯びたことへの恥ずかしさでいっぱいだった。


「おやおや? 昨日は可愛いを認めてくれたのに、今日は違うのかね?」

「やかましいっ」

「あー、ダメだなー。これは虚偽罪でアウトだなー」

「うるせっ! 黙秘権は基本的人権の一つだろがっ」

「沈黙は是なりっても言うぜ?」

「その是は肯定って意味じゃねぇよっ」


 だがそんな俺を逃してくれないのか、ベッドの上の奴は段々と意地悪する時の子どもみたいに無邪気邪悪な笑顔になってきて、俺はそれに全力で反撃を繰り返した。


 ベッドの上で両手で頬杖をつきながらニヤニヤと見下ろしてくるあいつと、それを見上げる俺。そんな応酬の最中——


「じゃあだいとどっちが似合ってる?」

「え……なんで急にだいが?」


 ふと何か声のトーンが変わったような、そんな感じを受けながら、尋ねられたその言葉へ俺は思わず問い返した。

 だが何か感じたのも気のせいだったのか、ベッドの上から俺を覗き込んでくるレッピーの表情は、楽しそうな様子のまま変化はなくて——


「おいおい、そこはお前彼氏なんだからだいって即答するとこだろー?」

「え、いやでもお前だって十分かわい——」


 なんだったんだろう、そう考えてる間にレッピーからダメ出しを受けたせいで、俺は無意識に思ったことをそのまま口にしかけて、それが失言だと気づきた時には、遅かった——


「っなぁっ!!」


 俺が慌てて口をつぐんだ時にはもう俺を見下ろす表情がその姿を変え、謎の声を上げていて——


「っ!?」


 これが「お前そういうとこだぞ」って何回も言われたとこかもしれない、そんな学習効果に気づいた時にはもう既に時既時すでに遅しってやつで——


「ちょ、へっ!?」


 俺の視界に映ったレッピーの表情は、怒りだったのかなんだったのか、それはもう今となってはは分からない。

 だって——


「ぐへぁっ!」


 謎の声を上げ、何かしらの表情を浮かべたレッピーが、俺の身体の上目掛けて勢いよく飛び降りてきたのだから。


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