第635話 俺には君が分からない

「……なんでだ?」


 我が家の階段の前に立ち、その近くにある物体に俺は思わず目を細める。

 それが何かは一目瞭然。でも、何故それがそこに? そんな疑問が離れない。

 だってそこにあったのは、ついさっきなくなったというか、見送ったはずのものだったから。


「え、まさか……?」


 そしてその黒い物体を目にし、脳裏に浮かぶ一つの考え。

 いや、でも、まさか——

 そんな考えに俺は一人首を振ってから、逸る胸の鼓動を感じながら一歩一歩慎重に階段を上がる。

 そして階段を上り終え、そっと通路を振り向くと——


「ど、どうした!?」


 我が家へと至る扉の前にポツンと一人、小さく身を抱えるようにしゃがみ込む、ライトグリーンのスウェットを着た女性がそこに。

 そんな彼女が俺の声に気づき、ゆっくりこちらへ顔を向けると——


「寒い……」


 力無い瞳でこちらを見ながら、一目で分かるほどに青くなった唇を震わせて一言そう呟いた。

 その頃との違いに俺は慌てて駆け寄り——


「ちょ、ちょっと待ってろっ」


 己を急かすように急いで家の鍵を開けた。

 そして力なく座り込んでいる彼女の手を取り立たせ、肩を支えながら外よりは温もりに満ちた我が家へと案内する。そして俺が玄関扉を閉じ外気から逃れさせたところで、我が家への再訪者はホッとするように息をついていた。

 しかし触った手、めっちゃ冷たかったな。


「やー……わりぃ」

「状況分からんけどいいよ。とりあえずお湯沸かしてお茶いれるから、部屋の方であったまってろって」

「ん、助かる……」


 そんな彼女を気遣うように俺は少し前までいた場所へ改めて彼女を促して、自分は一人キッチンに残って電気ケトルに水を入れてスイッチをオンにした。

 でも、なぜ?

 お湯が沸くのを待ちながら考える。助けてあげなければと思うほどに凍えて見えたから、反射的に今我が家へ案内したけれど、どうして

 一人になって冷静になると、段々疑問も浮かんでくる。

 それと同時に色々邪推する自分も現れる。

 たしかに帰ってきた時、階段下にあったのは今日俺が乗せてもらったバイクだった。

 でもどうしてまた彼女が、が我が家に現れたというのか?

 え、まさか本当に借りを……?

 そんな考えが浮かんだのだけれど——


「ん?」


 ふと感じた、ポケットの中の振動。

 それを確認して見れば——


レッピー>【チームりんりん】『チーム招待ありがと。ゼロやんちにスマホ忘れたみたいで今取りに戻って来たんだけど、旦那一人のとこにきちゃってだいごめんなー』0:42


 と、いつの間にやら招待されていた俺含む5人のTalkチームがあって、そこにレッピーがメッセージを送っていたようだった。

 そして気づけばもう一つ、太田さんから【倫と愉快な仲間たち】ってグループの招待も来ていたようだ。……いや、なんだよこの名前? なんで俺が中心なんだよ……。

 って、あ、なるほど。そういうことか。


 チーム名に最初は目を奪われたが、そのメッセージにはなぜレッピーがここに戻ってきたかについての理由が明確に書かれていた。

 たしかにあいつ、ベッドに横になったりしてたしその時か?

 とはいえその理由に小さな安堵を浮かべながらメッセージを見ていると——


佐竹弥生>【チームりんりん】『レッピーさん上着の返し忘れ大変申し訳ありません……帰宅して鏡を見てお借りしていたことを思い出しました。今からタクシーで北条先生のお宅に返しに伺ってもよいでしょうか?』0:42

 

 間髪入れずにやったきたその文面を見て、俺はハッとさせられた。

 たしかに我が家の前にいたレッピーは、一度帰宅した後に羽織っていた、可愛い顔立ちとのギャップが絵になるライダースジャケットを羽織ってなかった。俺がさっき目にしたレッピーは、うちにいる時に見せていたスウェット姿だったではないか。


「そらさみぃよな……」


 そして我が家の前にやってきた佐竹先生はコートは羽織っていなかった。それ故にバイクに慣れてなくて、少しの距離だけだからときっとレッピーが佐竹先生にジャケットを貸したのだろう。で、道中はたぶん佐竹先生に抱きついてもらって暖を取り、そのまま——レッピーの性格を考えれば、そんな想像が難くない。


レッピー>【チームりんりん】『いやもう遅いからそれは今度で大丈夫。というかアタシも思い出す前に発車してたから気にすんな』0:43

佐竹弥生>【チームりんりん】『そうですか……すみません、ありがとうございます』0:43


 そして佐竹先生にメッセージを返すレッピーは、少し大人ぶったような余裕の様子の文面を送っていたわけだが——


「いや、震えてんじゃねぇか」


 緑茶のティーパックをマグカップに入れてお湯を注いですぐ、部屋に持ってった俺の視界に入った姿を見て、俺は失礼ながら苦笑い。


「マジで寒かったんだって……」


 文面は余裕ぶってたくせに、毛布をかぶって何時間か前と同じくベッドの縁に座りながら、苦笑いする俺に向かって両手を伸ばしてマグカップを受け取ろうとするその姿は、まるで小さな子どもだったから。


「あつっ」

「いや子どもかよ」


 訂正。すぐに受け取ったマグカップに口をつけて飲もうとし、その熱さに軽く火傷したのか舌先を出す姿や、その後すぐにふーふーとお茶を冷まそうとする姿は、まるでうちの学校の生徒レベルだった。

 実際実年齢はJKを終えてもう干支を半周以上はしてるわけだけど、大きな瞳のせいでかなり童顔に見えるからなこいつ。

 ちょっとそんなことを思ったりしていると。


「え……マジ?」

「ん?」


 左手にマグカップを持ったまま、右手でスマホを眺めていたレッピーが急に驚いたように目を大きくしたのが見え、俺もその画面を覗き込むようにレッピーの隣に腰掛けると——


里見菜月>【チームりんりん】『忘れ物はしょうがないよ。上着もゼロやんから借りていいからね。でもお外雨降ってきたけど、大丈夫?』0:44


 てなメッセージが見えたので、まだ凍えた感じのレッピーに代わって俺が立ち上がって窓の外を見に行くと。


「あー……強くはないけど、傘必要な感じの雨降ってるわ」

「うぇー……」


 暗い外の景色の中しとしとと小さな粒が絶え間なく落ちてくるのが確認出来て、俺がその報告をするとレッピーは露骨に嫌そうな顔を見せていた。

 レッピーのヘルメはたしかフェイスガードの部分がなかったから、この雨の中バイクを走らせたら雨粒が顔に当たるのは避けられない。そして外はたぶんこの雨でさっきよりも気温が低くなっているだろう。しかも俺が上着を貸したとしても、防水のコートなんか持ってないし……レッピーの立場からすれば、一寸前まで冷え切った状態だったのに、また冷えるのはそりゃたしかに嫌だろな。

 毛布にくるまりながら窓の方を忌々しく睨みつけるレッピーに苦笑いしながら、俺がタクシーでも呼んでやろうかと言おうと、とりあえずまたレッピーの隣に戻ると——


ヴヴッ

里見菜月>【チームりんりん】『雨雲レーダー見る感じ明け方には止んでるだろうから、レッピーさん朝までゼロやんちで雨宿りしてったら?』0:45

「「え」」


 聞こえた通知の振動に一緒にレッピーのスマホに目を落とせば、さっきのメッセージから数十秒の間を置いて、同じ人物からまさかの内容が送られてきて……その文面に、俺たちは揃って硬直デバフを受けるのだった。

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