第619話 慣れてしまえば大丈夫……?

「お、俺初めてなんだけど?」

「大丈夫だって。初めは怖いかもしれないけど、すぐ慣れるって」

「うう……ちなみにお前、経験はどのくらいあるんだ?」

「8年くらいあるから、テクは安心しとけ」

「お、おう」

「じゃあアタシに身を預ける感じでくっつけ」

「え、くっつくのか?」

「それが一番やりやすいんだよ」

「わ、わかった」

「じゃあいくぜ……!」


 午後8時21分、時折隠れる月の下、ビビる俺に力強く安心を促すレッピーは、なんだかいつもより頼もしく見えた。

 そんな彼女なら身を預けてもいいかもしれない。でもやはり初めての不安は拭えなくて……俺は緊張に身体を固くして、彼女へ回す両腕に力を込め、この身をグッと近づけた——


「んっ……おいこら。腕の位置もっと下げろ」

「え?」


 のだが、その俺の動きにレッピーが一瞬あまり聞いたことのない声を出し、俺は思わず問い返す。


「腕当たってんだわ馬鹿」

「え?」

「ああ、そうかそうか。いつもだいの触ってるからアタシのは存在しないも同義ってか? あ?」

「えっ? ……あっ、ご、ごめん!!」

「おい急に動くな離れんな! あーもう、くっつき具合はそれでいいから。手の位置だけへその高さに直せ」

「わ、分かったっ」


 そして俺の問いかけに恐ろしい威圧を返されて、俺は有無を言わずにレッピーに言われた通りに腕の位置を変更する。そうするとレッピーから小さく「よし」と聞こえてきて、その直後身体への振動と、耳への重低音が響き出す。

 そして続け様にゆったりと視界が変化していき、徐々にその変化が速くなる。それと同時にぐわっと11月末の夜風が衣服の隙間から侵入してきて俺の体温を奪い出し、俺は無意識に温もりを求めるように、この身をさらにレッピーへとくっつけた。

 そう。もうお分かりだと思うが、俺は今まさにレッピーに送ってもらい出した直後なのだ。

 それなのに何で体温が奪われるのかって? そりゃ風が冷たいからに決まってる。

 風の冷たさを感じさせ、重低音を響かせるもの——俺とレッピーを運ぶそれは、レッピー自慢のバイクだった。


 ゲーマーと平行して学生の頃からずっと趣味で乗ってるんだと、ラーメン屋を出てレッピーの家に着き、5階立てのシングル用賃貸マンションの前で待つこと10分弱、フォーマルな格好からライダースジャケット姿の私服へと着替えを終えたレッピーは、俺に愛車のバイクを見せながら教えてくれた。

 そして持ってきたヘルメットを俺に渡し、一言『乗れ』と言ったのだ。

 髪をほどき、風を通さなそうなダークブルーのライダースジャケットに着替えたレッピーは、可愛らしい顔立ちに反してカッコよくて、ちょっとドキッとしたのは秘密である。

 

 そして今、俺のドキドキは別な理由によって継続中。

 このドキドキにはレッピーの可愛さもカッコよさも関係ない。

 だってそう、そもそも俺バイクなんか乗ったことがないんだから。

 シンプルに怖いんだよね!

 そんな恐怖を押し殺しながら、レッピーから借りたジェットヘルメットを被り、排気量250ccの黒い国産ネイキッドバイクの上で、同じメットを被るレッピーにしがみつくように乗っている。

 これがドキドキしないわけがない。

 生身でこの速さを感じるって、こんな怖かったんだな……!

 でも、風を切る速度が少しずつ上がっていくその感じは、まるで自分自身が風になったかのような錯覚も与えてくれた。


「いいか? 曲がる時ビビって身体起こすなよ?」

「え!? なんて!?」


 そしてそのまま公道を走りながらレッピーが何事かを言ってきたのだが、風の音や周囲の車の音で俺にはそれが伝わらず。だから俺は大きな声で聞き返したのだが——


「うわっ!?」

「なっ!? おいこらっ」


 バイクの速さに慣れてきたと感じ出した時、急に視界が傾いて、俺は転倒するのかという焦りから慌ててレッピーの身体にしがみつき直した。

 だが流石レッピーだからなのか、転倒とかそんな事態は起きなくて、すぐに進行方向を変えながらすーっとバイクの傾きが戻される。

 ああそうか、カーブだっただけなのか。それなら一安心一安心、俺はそう思ったのだが——


「……お前わざとやってんだろ?」

「はい?」


 赤信号で停止した時、首を回すようにしてこちらを向いたレッピーが、明らかに怪訝そうな横顔を見せながら何事かを尋ねてきた。

 でもその意図が分からない俺は当然尋ね返すしかなかったのだが——


「……いやお前に限ってわざとはねぇか。ま、無意識だとしたら余計タチ悪いけどな」

「……あ」


 見える横顔に苦笑いを浮かべたレッピーの返事は不明瞭だった——のだが、俺はその言葉の意味に気がついた。

 それはつまり、さっきと同じ。

 いや、両手の位置が位置なだけ、さっきよりもタチが悪いは正しい言葉だと思う。

 だって——


「す、すまん!」

「ん」


 レッピーの後ろからしがみつくように回した俺の手は、右手が左側、左手が右側と交差する形でジャケット越しにレッピーの二山を捉えていたのだから。

 いや、山というよりもそれはなだらかな丘陵……いや、なんでもない。

 何はともあれ俺はそれに気づいたから慌てて手の位置を直したのだけれど——


「……!?!?」

「な、なんでもないなんでもない!!」


 自分の触れたものに気づいてしまったから、その大きさを厚い生地越しに感じたから、突如あの生理現象が発生した。

 こんなに寒いのに、それはもう自分で分かるくらいで、その大きくなっていくアレが目の前の存在にぶつかっていくのを俺には止めることが出来なかった。

 そしてその事態にレッピーも気づいてしまったようで、バッとこちらに振り返ってその動揺を伝えてきたから、俺は全力で首を振って否定した。

 そんな俺に——


「押し付けんな馬鹿!!」

「しょ、しょうがねぇだろ!?」


 ガチトーンでレッピーからお叱りがやってきたが、俺はそれに思いっきり言い逃れをしてしまう。

 そりゃたしかに自分の意思ですぐさまどうにか出来るわけじゃないけど、「しょうがない」は相当な開き直りだろう。でも、この時の俺はそこに気づかないくらい焦っていたわけだ。

 じゃあ離れればいいじゃないかと言われるかもしれないが、この点について弁解すると、初めてバイクに乗った俺はレッピーにくっついているのが安定した姿勢だと思い込んでいたので、離れるのが怖かったのだ。

 だからこそ俺はこの生理現象を自覚したまま、レッピーの腰から臀部の辺りにぐいぐいとぶつかろうとする己の己を無視するしかなかった。

 しかしほんと、鎮まりたまえと思えば思うほど猛り狂うのは何故なのか。もうどうすればいいのかと、バイクによるドキドキと合わさった変なドキドキが止まらない。

 その上こんな時なのに頭の中には昨日から何度かドキっとさせられたレッピーの可愛い笑顔やら、昨日こいつとホテル行ったんだよな彼女同伴だったけどとかってことが浮かんでくる。

 そのせいで——


「どんだけだよ変態……!」


「何もしてねーのにおかしくね?」


「……お前今、頭ん中どうなってんだよ?」


 等々、赤信号で停止する度に俺はグサグサとレッピーからのアタック攻撃を受けながら、レッピーに恥ずかしがりながら無言のカウンター押し付けをし続けるという絶望の戦いを繰り広げざるを得なかった。

 そんな人目には見えない攻防を下腹部付近で続けながら、俺は背中側から茶髪たなびかせる美女にしがみついたまま、寒空の夜の街を疾走するのだった。

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