第615話 推しが当たり前の言葉か否かが世代の差

「はい、どうぞ」

「倫くんやっさしー。ありがとねー」

「いや買わせといてよく言うよ」


 話しやすいところへ移動しようと談話室に行こうと思ったら、そこでは他教科の先生たちがテスト問題の打ち合わせをしていたので、俺は笹戸先生の提案で彼女のテリトリーたる保健室へと向かうことになった。

 そして途中で「なんか飲もうよ」と言われ、学校の自販機でホットの缶コーヒーとミルクティーを俺が購入し、今に至る。

 俺からあったかいミルクティーを受け取った笹戸先生は保健室の自席に座って、それを両手に持って「あったかーい」なんて言ってるけど、本当にこの人自由だな。

 とはいえ室内を見渡せば、3台あるベッドにはパリッとしたシーツが綺麗にしかれ、布団も美しく折り畳まれてるし、机上含めて室内は丁寧に整理整頓されている。この辺は少し見た目に反してというか、ちゃんとすべきところはちゃんとしてるって様子が見受けられた。


「それで市原の話って?」


 そしてひとしきり室内を観察してから、俺は笹戸先生の座る椅子から2メートルほど離れたところにあったソファーへと腰を下ろし、缶コーヒーを口にしながらここにやってきた本題について問いかけた。


「そんなにそらちゃんの話聞きたいのかー、妬いちゃうねこれは」

「いや、妬いちゃうは意味わからんし、そういう冗談いらないから。……え、まさかあいつ何か悩んでたりとかすんの?」

「えー」


 話を切り出した俺に対して笹戸先生は何故かからかうようにケラケラ笑っていて、それを裏読みした俺がまさかと再度問いかけると、俺に向けられた彼女の表情は……全くもって深刻な話ではなさそうな、そんな雰囲気をまとっていた。


「そらちゃんだよ? 席、教卓の前なんでしょ? 悩んでたら倫くんが気づくでしょ、あの子なんだし」

「あー……それは、たしかに、そうだな」


 そしてその雰囲気のまま「まぁそう言われればそうだよな」ってことをサラッと告げられ、俺は肩透かしをくらったような、そんな気持ちで頷いた。


「でしょー? そこはずっと担任してるんだし自信持ちなって」

「はいはい……じゃあそれこそあいつの話って何だ? え、まさかマジでただの世間話の内容、とかじゃないよね?」


 そして話していく中でむしろこの時間が必要なのか疑う気持ちが沸いてきて、俺は今度はそこを問い直したわけなのだが——


「あれ? だって私の時間潰しだよ?」

「マジかよおい」

「あはっ。でもさ、生徒の普段の話を知るのもけっこう役立ったりする時あるじゃん? 誰と遊んだとか、誰と仲良くなったとか、意外と意外な人間関係が知れたりするじゃん?」

「うーん……まぁそれは否定しないけど……それで? 結局市原とどんな世間話したんだよ?」


 要するに隠す気もなく「私のために時間をよこせ」と言ってきた笹戸先生に呆れつつも、なんだかんだ否定できないことも言われた俺は、もうこうなってはしょうがないと諦めた。もうすぐ18時半だけど、レッピーからの連絡もまだないしな。

 そしてソファーに深く座り直しながら、足を組んで笹戸先生に改めて問いかけると。


「そらちゃん、最近練馬商業のソフト部の子とインストグラフSNSで友達なったんだってー」

「え、練商?」


 思ってもなかった単語を聞かされて、俺は思わず聞き返す。


「練馬商業ってたしか倫くんの前任校だよね?」

「うん、そうだけど……まぁでもJKにとってSNSなんか庭みたいなもんだし、そういうこともあるだろって」


 そして聞き返した俺の質問に質問で返されたのだが、少なくとも聞き間違いの学校名ではなかったようだ。

 しかしSNS経由ってのは置いといて、練馬商業とかこの前の大会で負けたとこじゃんな。あの敗戦は正直言って思い出したくない敗因の記憶があるわけだが……負けた相手とあいつよく仲良くなれるな。俺からしたらあの試合はもうある種の黒歴史なんだけど……いや、でもむしろ試合が終わればノーサイドのスポーツマンシップとしては、市原が正しいか。


「練馬商業の子が、星見台の監督イケメンで羨ましいって言ってきて盛り上がったみたいだよー」

「……は?」

「すごいね、他校の子もメロメロにさせちゃうなんてさー」

「いやいやいや……え、マジ?」


 俺の記憶は置いといて、市原の行動は正しいか、そう思った矢先に伝えられたその話に、俺は思わず口をぽかーんとする。

 いや、だって練馬商業だろ? この前試合した相手だろ? 仲良くなって、イケメンとかって盛り上がった? ……いやいやいや! 佐竹先生の指揮の下、俺が監督やってた時代とは打って変わって超真面目な空気感になってたじゃんな!?

 そんな自分の記憶を辿れば辿るほど、あの日試合で見た練商の子がそんな話をしてくるとは信じられなかった。


「倫ちゃん褒められた! ってそらちゃん喜んでたよー」

「いやあいつは何ポジションなんだそれ」

「推しが褒められたら嬉しいじゃん?」

「いや、よー分からんけど……」


 そこでふと思う。

 推しがどうとかの話は置いといて、自分が目にした練商の生徒の姿が記憶にある分俄かには信じられなかったが、さりとて、だ。

 練馬商業偏差値高くないって学校の雰囲気自体を思い返せば、たしかにその類のことを言ってくる生徒がいても不思議はない。

 というか俺の頃はいっぱいいた。

 あ、いや俺のことをイケメンって言ってくる奴がいっぱいいたってわけじゃないぞ? 大会だの校外学習だの、ことあるごとに「あの人カッコいい」とか言ってキャーキャーしたりする空気があったって話だぞ?

 しかし、しかしだ。あの佐竹先生の指導の下で試合中にそんなことを思ってた奴がいたなんて……。人の本質って早々変わらないってことか……。JKの仮面を被るスキルとは全くもって末恐ろしいな。


「テスト終わったら合同練習しよーねって、向こうから誘われちゃったっても言ってたよー」

「 え、俺聞いてないけど」


 そして新たな情報を提示され、俺はその言葉に顧問たる俺まで情報が伝達されていないことに気づいたけど——


「それはほら、まだ向こうの子が練馬商業の先生に話をしてないからなんじゃない?」

「あー……てか、俺今日も市原と普通に話したけど、あいつ俺にはそんな話してこなかったぞ?」


 やんわりとそんなこともある的なことを返されて、俺はなんだかもやもやした。

 市原が笹戸先生に話して俺に話さないことがある。そりゃ同性の先生の方が色々話しやすいところはあるだろうが、あいつが入学してから1年半、学校で会えば必ず話をしてきたというのに。

 そんな思いや感情が顔に出たのか——


「分かってないなー。それが乙女心でしょー?」


 笹戸先生が両手の平を天井に向けてやれやれみたいなポーズをかましてくる。

 だがその意図は俺には全く伝わらず——


「いや、どういう意味だよ?」


 俺が少し不満そうに切り返すと。


「自分が推しと話せる時は、自分と推しの二人の世界でいたいってこと」


 どう解釈すべきなのか戸惑うような「推し」って言葉をまたもや使われ、俺は首を傾げざるをえなくなる。


「いや、でも合同練習とか、あいつキャプテンなんだし俺にも話す必要あるだろ」


 だってそう、感情とかそういうの抜きにあいつにはやるべき責務とその肩書きがあるのだから。

 俺はそう思ったのだけど。


「キャプテンである前に恋する乙女ってことなのだよワトソンくん。推しがカッコいいって言われて嬉しいけど、自分だけの推しでいてほしいって気持ちもあるのじゃよ」

「いや急に何キャラだ? いや、でも……ふむ、そういうもん、なのか?」

「そういうもんそういうもん」

「はぁ」


 笹戸先生の妙に自信ありげな物言いに俺はそれ以上立ち向かえず、ここは彼女に軍配が上がった。

 まぁでも今の話がほんとなら、近々佐竹先生から連絡あるかもってことか。

 ……一昨日の色々でなんかちょっと気まずいけど、避けて通れるわけでもないだろうからな。

 ここは少し覚悟決めとこう。


 と、笹戸先生に付き合う形で発生したこのおしゃべりイベントに自分の中でのまとめを行っていると——


「あ、じゃあ俺そろそろお暇しますわ」

「え、急にー?」

「飲み物奢ったんだから十分だろって。じゃ、お疲れ様でした。お先ー」


 揺れたスマホに表示されたその通知と内容に、俺はスパッと切り替える。

 そして俺の鮮やかな切り替えに少し戸惑う笹戸先生を保健室に残し、俺は帰り支度を整え、足早に学校を後にするのだった。

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