第20章

第614話 ちゃんと仕事もしてるんですよ

 11月30日月曜日、17時46分。


「あれ? 倫まだテスト作り終わってないの?」


 残っている人もまばらになった都立星見台高校の職員室で、どこからか俺に話しかけてくる同僚であり親友が一人。


「いや、それはもう終わってるよ。でもすぐ採点始まるし、期末終わったらまた師走恒例のハードDAYじゃん? だから試験後の授業準備、今のうちにやっとこうと思って」


 その声に答えるため、俺は椅子を右に90度回転させて話しかけてきた奴の方を向く。いや、向くっつーか、正確には見上げるなんだけど。

 そんな俺が見上げた先にいた奴は、ただでさえデカいのに今日はストライプ柄のスーツを着ているせいで、なんだかいつもより縦に長く見えた。


「えっ、はやない?」

「善は急げだろ」

「いやいや。そうだとしてもわざわざ残業してやるもんじゃねーだろ」


 そしてその縦長の先端についた、だいぶ日焼けも落ち着いたとはいえ色黒な爽やかな顔に露骨な驚きを浮かべながら、うちの学校で一番高身長の大和と言葉の応酬をしようとするも……出来た切り返しは1回だけ。あっという間に「そらそうだよな」ってことを返されて俺は簡単に言葉を詰まらせた。

 うん、これは無駄な言い返しだった。


「待ち合わせまでの時間調整中だよ、今は」


 そして何と言い返すか迷った結果、この戦いの敗北無意味を理解した俺は、残業でしていたことの理由ではなく、残業をしている理由を伝える方向に切り替える。

 別に最初から伝えても問題なかったのだが、俺に残業を指令を出した奴について説明するのが面倒だったから、俺は色々端折ろうと思ったわけなのだよ。

 でもよく考えれば、今日これから会う奴と大和っていつぞや一緒に遊んでるじゃんな。

 

「時間調整? ああ。だいと待ち合わせてんのか?」


 しかし俺の心の内など読めるはずもなく、俺の使った言葉に大和は勘違いの「ああ」みたいなことを言ってきた。

 でもそりゃ普通はそう思うよなと思いつつ、俺はそれに首を振り——


「いや、今日はだいじゃないよ。ほら、この前LAで一回遊んだ〈Reppy〉って覚えてるか?」


 今日の待ち合わせ相手の名前を告げると、少々考える様子を見せた大和だったが。


「れっぴー? ……あー、あの猫耳の倫のフレンドか?」


 どうやら何となくは記憶してたようだけど、軽く朧げな記憶みたいだったから、俺はそれに頷いてやった。

 まぁあの日〈Senkan〉は二人羽織半分中身がぴょんだったからな。もしかしたらぴょんに気を取られていたのかもってとこだろな。


「そうそう。ずっと昔からフレンドで付き合い長かったんだけどさ、昨日だいとデートしてたらまさかのそいつと街中でばったり会って、色々話してたら割と意気投合してさ、今日一緒に飯行く約束したんだ」


 そして俺がレッピーとこの後の約束のことをざっくり簡単に説明したら——


「昨日の今日でか、すごいな。でもだいは?」

「仕事で来れない」

「ふーん。で、レッピーは女?」


 ほぼほぼ即レスの感じでだいが来るのか聞いたあと、レッピーの性別について尋ねられ、俺は思わずぽかんとした。


「え? ああ。うん。レッピーはキャラの見た目通り女だよ」


 でもとりあえず嘘をつく意味も何もないので、俺が普通に答えると。


「そっか。安心した!」

「は?」


 何故か大和が謎の笑顔を見せてきて、俺は思わず目を見開いて意味が分からんを伝えてやった。

 しかし——


「倫の引き寄せる力がいつも通りでさ」

「……なんだそれ?」


 余計意味の分からん言葉をかけられて、俺は目を細めて怪訝な顔つきになったと思う。

 でもそれ以上その言葉について大和は何も言わず「じゃあレッピーによろしく」と言って帰ってった。

 何だったんだろう? もしかして部活もないし一緒に帰らないかのお誘いで話しかけてきたのかな? だとしたら悪いな大和。まぁテスト中一緒に昼は食おうな!

 なんてことを思いながら職員室から去っていく背中を見ていると。


「だーれだ?」


 急に視界が真っ暗になり、耳元で吐息混じりに古典的な問いかけだーれだ?を告げられた。

 それは割と甘ったるい声色で、テスト前で生徒の職員室入室が禁止されている現状と合わせて考えれば、こんなことをしてくる相手は一人だけしか浮かばない。

 というか生徒ですら今時こんなことしないだろう。


「何すか笹戸先生。見えないんでやめてください」

「うわ、倫くん冷たいなー」


 この襲撃の犯人の名をあっさりと告げ、俺がその手を下ろさせながらくるっと椅子を半回転させると、俺の視界を覆っていた手はあっさりと離れて視界に光が戻ってきた。そして予想通りというか何というか、俺の真後ろだったところにはうちの学校の養護教諭である笹戸先生が少し拗ねた様子で立っていた。

 保健室の先生らしく白衣をまとった姿は、世間一般からすれば白衣の天使に見えるのかもしれない。俺より年下のこの人は黙ってればたしかに可愛いから、服装補正でリアル天使と思われることもあるだろう。しかしこのゆるふわボブの可愛いたぬき顔美人に騙されてはいけない。なんたってこの人はいわゆる小悪魔系って奴なんだから。

 実際何人もの男子生徒が「好きです!」って言って軽くあしらわれ、変な深みにハマっていってるからな。

 それにこういうおふざけだーれだも、俺に対しては初めてじゃないし。

 と、そんなことを思ってると——


「冷たいと悲しいなー?」


 なんてことを言いながら彼女は拗ねた顔つきのまま椅子に座った俺にその顔を近づけてきて、距離15センチくらいのところにまで彼女の可愛い顔がやってきた。


「近い近い」


 だが、このくだりも初めてではないからこそ、俺は淡々と両腕を伸ばして彼女の肩を押し、物理的な距離を遠ざけた。


「むー。つれないー」

「大丈夫、つれるつれる。こんばんは今日もお仕事お疲れ様って思ってるって」

「あしらい方雑だとモテないよー?」

「大丈夫。そこももう定員埋まってるんで」


 そしてなおむくれてくる笹戸先生に今度は完璧な言葉の応酬を見せつけ、彼女の反論を封じきる。このやりとりに密かな勝利を感じていると。


「てかてか大和くん帰してまだお仕事とか、倫くん今日遅くなりそうなのー?」


 さらっと何事もなかったかのように話題を変えられて、俺は確信した勝利が有耶無耶になったことにまさかと軽くガーンとさせられた。

 し、しかしここで引きずるのは紳士じゃない。


「いや、そんな遅くなるつもりはないって」

「どのくらいー?」

「たぶん19時くらいだけど……てかわざわざ職員室来て話しかけてきたとか、何か用あったんじゃないのかよ?」


 心の中のドヤ顔を抑えつつ、見た目可愛い彼女に騙されないよう、俺は割りとドライな感じで対応するが、これもいつも通りと言えばいつも通りなので、笹戸先生も普通に「そういえば」みたいな顔を見せてから。


「あ、そうだったそうだったよー。私と宮ちゃんが明日休みだからテスト作り終わったら飲みに行こうってなってるんだけど、倫くんどー?」


 と、月曜から元気だなって提案をかましてきた。

 ちなみに明日は火曜日でど平日だけど、期末テスト期間になるので通常の授業は行われないから、割とここで休む人は多いのだ。

 さっきも言ったけど師走に入るとハードだからね。ここで休むこと自体は否定しない。

 とはいえ。


「あー、そういう話ね。悪いけど今回は先約あるんで、宮内先生によろしく」


 俺には今日レッピーとの約束があるわけで、その誘いに乗ることは出来ないと俺はズバッとノーを突きつけた。

 だいが仕事終わったら亜衣菜と電話するって言ってたから、その話の内容も今日中にちゃんと知りたいからな。今日は飲みになんか行けないのだ。

 そんな俺に。


「えー、来てよー」

「俺は明日も出勤です」

「そこはほら、若さでカバー」

「俺より若い奴が言うなおい」

「じゃあ宮ちゃんに言ってもらおーっと」

「いや、1歳しかちがわねーし。つーか宮内先生まだテスト作り中なんでしょ? 邪魔するでないって」


 なんともまぁ生徒みたいな雰囲気であれこれわがままを言われたが、俺は深く取り合うことなくのらりくらりと躱していく。

 さすがにそこまで無理ってことを伝えればさしもの笹戸先生も話を分かってくれたろう。

 彼女の諦めるような表情に、俺がやれやれと思っていると——


「じゃあしょうがない。宮ちゃんのテスト出来るまでお話ししてよ」

「いや、俺の都合の時間なったら帰るから」


 要望のランクが低下して、とりあえず今かまえってわがままへと変化した。

 とはいえずっと付き合うわけにもいかないので、俺はさらっと自分の予定を伝えたのだが——


「そらちゃんの話もあるよー?」

「え?」


 不意に出された市原の名前。

 もちろんその話が何なのか気になったのは、俺があいつの担任だから。そしてチラッと時計に目を移せば時刻は18時になる直前。

 レッピーは19時頃って言ってたよな。

 じゃあ、しょうがない。

 俺はここで話すと残ってる人にも迷惑だろうからと、席を立って話しやすいところへ移動するのだった。

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